40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-27:起業の天才!江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男

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本書の著者は大西康之さん。会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから(感想文15-07)の著者でもある。

本書の主人公は江副浩正(1936-2013)。株式会社リクルートの創業者だ。

中村桂子市原悦子野際陽子長嶋茂雄、柳田邦男、大槻義彦福田康夫、イヴ・サン=ローラン、桂歌丸白川英樹楳図かずお村上陽一郎シルヴィオ・ベルルスコーニ北島三郎野沢雅子亀井静香さいとう・たかを里見浩太朗川淵三郎が同い年生まれ。まだご存命の方も多い。

就職活動でリクルートにお世話になった人も多いだろう。あいにくまともに就活をしなかった私もリクナビとかで少しはお世話になった記憶がある。

テレビを点けるとリクルートのコマーシャルをよく目にする。SUUMOやゼクシィがそうだ。調べてみたらIndeedリクルートグループなのか。

2021年11月24日時点の時価総額ランキングでは、なんとリクルートは4位(約12兆円)。トヨタソニーキーエンスに続く。NTTやソフトバンクグループやKDDIといった通信大手企業よりも時価総額は大きい。

2020年11月24日時点のリクルートの株式時価総額は7兆8506億円で国内10位。「第二電電」から江副を締め出した稲森和夫のKDDI(7兆991億円)を上回っている。(p.449)

偶然にも1年前の数字が本書に記されている。1年間で時価総額が約1.6倍になり、国内順位も大きく上げている。それだけ企業価値が上がっているのだろう。株を買っておけば良かったのだろうか。

本書を読み進めていくうちに、江副さんの先を見る力に驚き、そしてリクルートの良い意味での異常性を知った。若い時期にリクルートで働いた人は、旧態依然とした会社で働く気にならないだろう。

しかしリクルートには負の歴史がある。長いが引用しておこう。

日本はいつから、これほどまでに新しい企業を生まない国になってしまったのか。答えは「リクルート事件」の後からである。リクルート事件が戦後最大の疑獄になってしまったので、江副が成し遂げた「イノベーション」、つまり、知識産業会社リクルートによる既存の産業構造への創造的破壊は、江副浩正の名前とともに日本経済の歴史から抹消された。だが日本のメディアが、いやわれわれ日本人が「大罪人」のレッテルを貼った江副浩正こそ、まだインターネットのインフラがない30年以上も前に、アマゾンのベゾスやグーグルの創業者であるラリー・ペイジセルゲイ・ブリンと同じビジネスをやろうとした大天才だった。その江副を、彼の「負の側面」ごと全否定したいがために、日本経済は「失われた30年」の泥沼にはまり込んでしまったのである。(p.22-23)

リクルート事件そうだ、あった、そんな事件が。1988年のバブル絶頂とその先の断崖に向かっている途上の日本で起きた。私はまだ小学生だった(結局バブルの恩恵を受けず、ロスジェネとして生きるのだけれど)。

連日テレビで大騒ぎだった。リクルートという耳慣れない、得体の知れない会社が起こした戦後最大の贈収賄事件で企業犯罪。そんな報道のされ方だった。

政治もビジネスも全く分かっていない小学生だった私ですら社名のリクルートをはっきりと記憶している。しかし、今テレビで流れているCMのリクルートとその印象は断絶している感がある。

あれだけの大事件を起こした会社が今では日本を代表する企業に成長している。不思議なものだが、その原点はどこにあるのだろうか。自分自身の子供のころの記憶と断片的な情報がパズルのように組み合わさっていく快感を覚えながら、食い入るように読み進めた。

学生と企業を初めて「マッチング」したのが江副だった。東大新聞に就職説明会の広告を載せ、学生を採用したい企業と企業に就職したい学生を出会わせる。丸紅飯田の広告を取ったとき、江副はまさに時代の波を捉えたのである。それは、江副がまったく新しい情報産業を生むことになる決定的瞬間だった。(p.60)

リクルート社の原点は、1960年に江副が創業した東京大学新聞(東大の学生新聞)の広告代理店「大学新聞広告社」である。

当時の就職は、教授から学生にこの会社に行けと言われて行く、そんな時代だった。優秀な人材を求める企業、自らの力を発揮できる企業に就職したい学生。当時、それぞれを仲介したのは大学教員であったが、当然、ミスマッチも起きていたし、大学教員にコネのない新しい企業は優秀な学生を採用できなかった。

経済学は、このような状態を「情報の非対称性」と名付けている。就職市場が歪んでいる。市場が失敗しているのだ。

そして情報の非対称性に起因する市場の失敗事例は、就職市場だけではない。そこにビジネスチャンスがあった。

問題は売り手と買い手の間にある「情報の非対称性」だ。どこにどんな物件があるのか、その地域の相場はどのくらいなのか、知っているのは不動産屋であり、買い手は情報をほとんど持っていない。気に入った物件が見つかったとしても、提示された値段が高いのか安いのか、判断がつかない。(p.169)

就職市場の次に目を付けたのが、不動産市場だ。これが現在のSUUMOにつながっている。私と同世代の方ならわかるだろうが、アルバイト求人情報誌フロムエー、中古車情報誌カーセンサー、女性向け求人・転職情報誌とらばーゆ、結婚準備情報誌、グルメ情報誌ホットペッパーゼクシィ、海外旅行情報誌エイビーロードなど、多くの情報誌・フリーペーパーをリクルートがたくさん生み出した。

大学生のころは、街で配られていたフロムエーでバイトを探し、ホットペッパーでお得な飲食店を探し、エイビーロードで海外旅行を夢想したものだ。知らず知らずのうちにずいぶん、リクルートにお世話になっていたのだと四半世紀近く経って気づかされた。

さらにリクルートの何がすごいかと言えば、この欲しい情報にいち早く到達する仕組み、つまりは検索機能の付与、もっと言えばデジタル化を誰よりも早く取り入れた先見性だ。

株式、通貨、書籍。どれも形は「紙」だが、本質は「情報」だ。紙でできた株券、紙幣、書籍は情報を運ぶ媒体に過ぎない。コンピュータと通信が結びつくことにより、情報を運ぶ媒体は「紙」から「コンピュータ・ネットワーク」に置き換わる。やがて「紙」から解き放たれた「情報」は、とてつもない価値を持つことになる。(p.12)

コンピューターと通信が結びつき、紙からの情報の解放をかなり早い段階で江副は予見していた。その証拠に、

リクルートがコンピュータを導入したのは1968年。ほとんどの会社に電卓もなかった時代のことだ。(p.14)

創業が1960年。その8年後、電卓も普及していない時期にコンピュータを導入している。この事実が、江副の天才性を物語っている。

日米欧に設置したコンピューター・センターを使って江副が始めたのが「リモート・コンピューティング・サービス(RCS)」である。当時は「コンピュータの時間貸し」と訳され、社内外から”冴えない事業”と見られていたが、今で言う「クラウド・コンピューティング」にほかならない。(p.280)

翻訳は大事だ。コンピュータの時間貸しでは情熱的な仕事はできない。リクルートは日米貿易摩擦の背景があったにせよ、クレイのスーパーコンピューターを導入している。

では通信事業ではどうだったか。こちらも関係していた。「第二電電」だ。

この「第二電電」も私の記憶にかすかに残っているワードだ。カタツムリの第二形態くらいにしか思っていなかったが、ようやく合点がいった。1984年、電電公社の民営化と通信自由化により、誕生した新しい電気通信事業者だ。

この第二電電が、現在のKDDIで京セラの創業者である稲森和夫(1932-)が創業者となっている。

当時は稲盛が50歳。牛尾がひとつ上、飯田はひとつ下である。創業者にしか分からない苦労を語り合える同世代の3人は、牛尾の呼びかけで通信事業進出の野望を抱き、牛尾が行きつけの赤坂の料亭で「あーでもない、こーでもない」と策を練った。(p.220)

牛尾とはウシオ電機の創業者である牛尾 治朗(1931-)、飯田とはセコムの創業者である飯田 亮(1933-)である。ちなみに亮は5男で、兄(次男)の保は天狗で知られる大手居酒屋チェーンであるテンアライドの創業者、兄(3男)の勧はOKストアの創業者である。

話がそれたが、歳の近い3人は第二電電の立ち上げに尽力し、そこに江副も参画していた。しかし、少し歳若いため、稲盛から第二電電への加入を断られてしまう。

この疎外がリクルート事件の遠因となっていく。

その後、リクルート事件で会社は窮地に陥り、江副は保有株式をダイエー創業者である中内㓛に譲渡し、事実上のダイエーグループ入りする。

ダイエーが経営不振に陥り、リクルートが株を買い戻した2000年までの8年間、中内は「お預かりする」の約束を守り、リクルートの経営には一切口を挟まなかった。江副が作り上げたリクルートという「いかがわしい」会社は、革命家・中内によって「いかがわしさ」を残したまま生き延びた。(p.432)

今の感覚では奇妙に映るだろう。情報産業で圧倒的な存在感のあったリクルートがスーパーマーケットの傘下になったのだから。私もリクルートダイエーの傘下になったニュースを見たおぼろげな記憶がある。

球団を買収し勢いのあったダイエーだが、こちらは90年代後半から没落していく。ダイエーそれ自体の社歴は興味深いが、また別の話。

バブル期、金融機関を含め多くの企業が投融資を続け、バブル崩壊後は不良債権の重みに押しつぶされた。ゼネコンは数千億円単位で債務減免を受けた。住宅金融専門会社、いわゆる「住専」の母体である住友銀行などの大手銀行は、公的資金の注入、つまり税金によって救われた。(p.440-441)

リクルートは13年余の歳月をかけて、国を頼らず自力で1兆8000億円を返し切った。そして、リクルート事件があったにも関わらず、企業価値を高め、日本有数の企業へと発展している。

第二電電での排除がなければ、リクルート事件でメディアが過剰反応を示さなければ、その当時の日本人が情報産業の価値を正しく理解していれば、今とは異なる世界線があったかもしれない。

日本の失われなかった30年を夢想するのは甘美ではあるが、ファンタジーの世界に浸っていても仕方ない。

リクルート事件から約20年経過した2006年にも類似した事件が起きている。そう、ライブドア事件村上ファンド事件だ。情報産業やカネでカネを増やすような事業に世間の目は冷たい。

日本は貧しくなったと言われるが、貧しくしたのは国民ではないか。アントレプレナーシップが根付いていないと言われるが、出る杭を打つメンタリティが阻害要因ではないか。

世界に伍していける新しいビジネスを生み出す、素地は日本にあるはずだ。第2、第3のリクルートが生まれてくるために、私たちはどうすればいいだろうか。

感想文13-22:集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ

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※2013年4月17日のYahoo!ブログを再掲

 

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久しぶりにしっかりとした新書を読んだ気がする。テーマは集合知。ウェブとかSNSとかでやたらとつながりが増えた現代において、何かこれまでにない新しい知が生まれる、あるいは生み出されやすい素地ができつつあるように感じるのが、果たして本当にそうなのか。

具体的問題を考えていくと、われわれは厭でも「人間にとって、知とは何か」という、いっそう根源的な問題につきあたる。この難問をとくための第一歩として、本書を位置づけられて頂ければ幸いである。

技術が進展し、人と人との関わり方が変わった今、知も変わったかのように思われている。本書は、「知」について改めて考えるきっかけとなった。

本書では科学哲学の議論を整理している。印象的だったのは、

自己言及のパラドックスのような例外はあるにせよ、基本的には、記号の形式的(機械的)操作によって人間の思考活動をシミュレートでき、正しい知が自動的にまとまるという考え方が、コンピュータとともに普及していったのである。

数学ガール/ゲーデルの不完全性定理(感想文10-07)を思い出す。ヒルベルト計画がダメになってしまったということが強調されるけれど、実際には自己言及パラドックスが例外で、原則として論理の完全性は担保されているのだ。限界があるという点はもちろん重要だけれど。

ラディカル構成主義において、人間の認知活動とは、外部の客観世界をありのあま直接見出すことではない。大事なのは、試行錯誤をつうじて周囲状況に「適応(fit)」することなのである。

知は、人間の認知活動がポイントになってきて、クオリアの話に至ってくるんだけれど、環境を客観的に正確に記述するということではなく、そこに適応することが認知であるとしている。サイバネティクスからラディカル構成主義へという流れは、何となくは、まあ、分かるような気がしないでもない。

世間の常識では、知識とは、天下りに与えられ、勉強して丸暗記すべき所与の客観的存在と見なされている。だが、知識の出発点とは、本来、主観的な世界イメージの部分的な様相の実現だったはずである。

本書のポイントはこういうことだ。そういえば、知人が確か大学院だかの面接で、教授から「知恵と知識はどう違うか」と問われたという話があった。知恵は主観で、知識は客観だと、ぼくの中では整理したけれど、もうちょっと踏み込むと知識も知恵も出発点は主観なのだ。

あえて言えば、客観知識とは実は、「権威づけられた主観知識」に他ならないのである。このことを念頭において、ネット社会の集合知の妥当性を考えていかなくてはならない。

これはかなり思い切ったことを言っている。知識を客観、主観で分けることは意味が無い。知識は主観なのだ。権威が伴って、客観のように錯覚しているだけに過ぎない。

要するに、コミュニケーションとプロパゲーション(意味伝播)をつうじて、クオリアのような主観的な一人称の世界から、(擬似)客観的な三人称の知識が創出されていく。

これが集合知ってことなんだろう。でも、これってウェブとかSNSによって、創出のあり方が変わったかというと、そうではない。

大切なのは、ローカルな社会集団内でのコミュニケーションの密度をあげ、活性化していくためのITだろう。

ふむふむ。こういうことなんだね。コミュニケーションの密度を上げていくためのツールとしてITが位置づけられる。SNSでたくさん議論すれば、自ずとこれまでにない素晴らしい知が生み出されるというわけではないし、そういう活動が知的というわけでもないだろう。

あくまで主観であり、お互いの考えは共有できない。でもコミュニケーションを通じて、主観的な世界を内部的に構築して、知が形成されていく

自分の外側に普遍的な客観世界があって、しかもそれを正確に認知できるというのではない。

つまり、知とは本来、主観的で一人称的なもののはずである。<中略>幼児の発達とは、外部の客観世界を精確に認知していくのではなく、環境世界に適応するように主観的な世界を内部構成してく過程に他ならない。

ということで、何度も同じことを引用して、それを整理している気がするけれど、知は主観だということを改めてしっかりと理解することが大事だ。

21世紀は知識基盤社会だなんてことが言われている。でも知識の本質を見誤ってはいけない。たくさん勉強して、「権威づけられた主観知識」をいくらインプットするだけでは意味が無い。個人の知識がモノを言うのではなく、コミュニケーションを通じた集合知が鍵になる。

一方で、コミュニケーションによって自動的に知が外側の世界で形成されていくというわけでもない。たくさんの世界に触れ、適応し、主観的な世界を構成していくことが大事だ。

技術の進展が早く、経済もめまぐるしく変貌する。来年どうなっているか全く予想できない。ITが環境変化のスピードを上げているかもしれないけれど、そのITが環境適応を容易にしているという面もあるだろう。

主観的な世界を柔軟に構成していくためにも、積極的に多くの環境に身をおくように心がける必要があるのかもしれない。

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(感想文の感想など)

ネット社会が当たり前になり、ITが進展し、簡単に誰もが誰とでも繋がれるようになった。しかし、多様性が尊ばれると同時に、分断が起きている。

私は主観的な世界を柔軟に構成できているだろうか。見たいものだけを見ているのではないだろうか。

自らの知への疑いをやめない。疑念的に知を再構築し続ける。その姿勢を在り方を再確認していきたい。

感想文10-13:ウイスキーの科学 

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※2010年2月22日のYahoo!ブログを再掲

 

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小雪が登場するあのCMによりウイスキーの人気が上がってきている。

確かに、仕事に疲れた夜に、軽くレモンを搾ったハイボールを美女が提供してくれるというのは、世の男性にとってたまらないシチュエーションの一つだ。

大学生時代にバイトしていたバーでは、よくお客さんからウイスキーを飲ませてもらっていた。IWハーパー、アーリータイムス、ジムビーム、フォアローゼス、メーカーズマーク、ブラントンなどなど、そこでいろんなウイスキーの味を知った。たいていは酔っぱらってしまうので、ウイスキーの差を分かる前に記憶がぼやけてしまうんだけれど。

振り返れば、大学生時代に一番多く飲んだ酒はウイスキーだと思う。ウイスキーを飲むと、若い頃を思い出してしまう。ちょっぴり青春の味だったりするんだ。

さて、本書は、ブルーバックスだ。言わずと知れた科学専門の新書。特にウイスキーの熟成について科学的な解説が充実している珍しい本である。ウイスキーは樽の中で長い間、熟成されるお酒だ。熟成によりアルコールはウイスキーへと育っていく。

また、本書では、お酒一般の基本知識やウイスキーの歴史についても丁寧に書かれている。

せっかくなので本書を読んで知ったことをメモしておこう。

  • ウイスキーの語源が「生命の水」ということは知っていた。確かマスターキートンにそんな話があった。知らなかったのは、ラテン語で、アクア・ヴィテ(aqua vitae)といい、スカンジナビア諸国で愛飲されている「アクアヴィット」は、それが語源とのこと。そうだったのか。その昔、スウェーデン土産でアクアヴィットを飲んだ。早い話が、ジャガイモが原料の焼酎だと説明された。透明ですっきりとしていて、なかなか飲み慣れないのでキツかったのを覚えている。
  • ウイスキー蒸留酒であり、8世紀頃の錬金術による技術革新によって、蒸留酒を多く造ることができるようになった。錬金術は、当時の最先端科学だったのだ。
  • 18世紀初頭に、イングランド政府はスコットランドに酒税の大幅増税を適用した。結果、収税官吏の目の届かないハイランド地方の山奥で密造を始めた。密造酒はすぐには売りさばけないので、たまたまあったシェリー酒の空樽にウイスキーを入れて保存しておいた。よし、そろそろ売れるかなという頃になって、蓋を開けて飲んでみると、熟成し、琥珀色になって、芳醇な香りを放つ液体に変化していた。これが現代のウイスキーへとつながっていく。
  • 『大麦麦芽を原料にアランビック型の単式蒸溜器で造ったウイスキーを「モルトウイスキー」という。一方、トウモロコシなどの穀類を原料にして連続式蒸溜機で造ったウイスキーを「グレーンウイスキー」という。モルトウイスキーは「ラウドスピリッツ(主張する酒)」、グレーンウイスキーは「サイレントスピリッツ(沈黙の酒)」といわれている。』ふーむ。ラウドとサイレントを混ぜて、ブレンデッドにして、おいしいウイスキーが造られる。混ぜ物だからダメということではなく、むしろそれをどう混ぜるかが、ブレンダーの腕(舌)の見せ所なのだ。
  • 酸素の有無によって酵母の糖代謝が変わる。早い話が、糖と酸素があると酵母はエネルギーを造り出し、増殖する。糖があって酸素がないと、糖をエタノールに変換して、増殖しない。この現象を発見したのが、あの有名な化学者パスツール(1822~95)なのだ。『パスツールは、酸素が多い状態で増殖を盛んに行うことを「呼吸」、酸素のない状態でエタノールをつくるのに励むことを「発酵」と呼んだ。』とのこと。さすがパスツール
  • 『液体を注いでも氷が浮かず、グラスの底にずっしりと落ち着いたままでいる、つまり液体が「氷の上にある(オン・ザ・ロック)」状態というのは、ウイスキーを飲むとき以外はあまりお目にかかれない光景である。』確かに。北極でもオレンジジュースでも、氷は浮いている。著者のいうように、ウイスキーのアンダー・ザ・ロックは美しくない。でも本書で指摘されるまで気付かなかった。

ウイスキーは、多くの知恵が結集し、そして時間が育てた酒だ。樽で眠る長い年月は、ウイスキーに品格を与えてくれる。これからはゆっくりとウイスキーを味わってみたくなった。飲む側にもそれ相応の品格を求められているような気がするからだ。

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(感想文の感想など)

先日、久しぶりにバーでウイスキーを飲んだ。スコッチウイスキーの中でもアイラ島で造られる「アイラウイスキー」であるラフロイグ(LAPHROAIG) だった。

アイラウイスキーらしくスモーキーなフレイヴァーがテロワールを感じさせる。(こんな調子こいた文章を戯れに書いてみるのはこの歳になるとさすがに面映ゆい)

ウイスキーオン・ザ・ロックの物理現象はこの感想文を読み返すまですっかり忘れていた。次回はじっくりとオン・ザ・ロックアイラ島に思いを馳せて、味わってみよう。

感想文21-26:「スパコン富岳」後の日本-科学技術立国は復活できるか

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コンピュータ開発の果てしない物語(感想文21-25)に続く、スパコン関係の本2冊目。

著者は小林雅一さん。これまでに小林さんの著作でクラウドからAIへ(感想文14-10)ゲノム編集とは何か(感想文16-39)を読んだことがある。

本書では、最近、4期連続で4冠を達成したことで話題になった「富岳」を取り上げている。そしてそのスパコン富岳を通じて、日本の科学技術立国復活を期待させる、最近の科学技術界隈では珍しい希望の光を示している。

巨額の開発資金、そして大規模な設計チームの並外れた頭脳と集中力が求められるスパコン・プロジェクトは、その国の経済規模や科学技術力など国力を反映すると言われる。(p.3)

富岳の開発費は1300億円(国費1100億円、民間200億円)だ。これを安いと見るか、高いと見るかは比較対象によるだろう。

例えばアメリカのスパコン開発費はもっと安いという説がある。分野は違うがロケットや人工衛星などの研究開発をしている国の研究機関であるJAXAの予算は約1571億円(2021年度本予算)。科研費(正式には科学研究費助成事業)の総額は2347億円(2020年度予算額)だ。さらに巨大な国家プロジェクトである国際リニアコライダー(ILC)は総額約7000億~8000億円とのこと。ちなみにオリンピックの大会経費は1兆6440億円。イーロン・マスクの総資産は17兆2000億円。だんだん、金銭感覚がおかしくなってくる。

本書を読めばわかるが、スパコンの開発は金をかければなんとかなるものではない。計算性能だけでなく、使いやすさや省エネも重要な指標となる。

では、実際にスパコンは何に使うのだろうか。

天気予報に見られるように、ある種の自然法則(数式)にもとづくモデルを設定し、そこに各種データを入れて計算することで未来の動きを予測する行為は、一般に「シミュレーション(模擬実験)」と呼ばれる。そしてスパコンの最大の用途が、このシミュレーションである。(p.24)

もちろん、計算するためだ。天気の予測や自動車の空力計算など、日常生活を送るために大量の計算が行われている。その計算がどういうもので、どれくらい大量なのか、私も含めてほとんどの人は把握していないが、生活のために大量の計算は欠かせず、その計算をするための機械としてスパコンが日々働いている。

産業界がスパコンをビジネスに導入することの価値に気付いたからでしょう。たとえば「航空機の空力設計」「量子化学」「材料研究」「データマイニング」「ノイズ削減」など数えきれないほどの用途があります。最近は特にディープラーニングなどAI分野でスパコンの利用が活発になっていますね。(p.107)

スパコンそれ自体のビジネスは活況だ。何かを開発する際に、理論と実験だけでは不十分で、そこにシミュレーションが加わった。開発速度を高め、コストを下げるためにシミュレーションは欠かせない。スパコンは産業の基盤でもあるのだ。

私たちは物理世界に生きている。物理世界は数式で表すことができる。しかし、精緻に物理現象を数式で記述しようとすると、大量の計算が必要となる。そこで計算性能の高いスパコンの出番となり、そのためにスパコンの開発が必要である。

スパコンは科学技術全体の押し上げにつながり、産業の発展につながる。アメリカ、中国、日本の3か国が熾烈なスパコン開発競争を繰り広げている。サイエンス、産業、国際政治が絡み合ったスパコン開発プロジェクトに終わりはない。

富岳の次はどういうスパコン開発が行われるのか、大変興味深い。

感想文21-25:コンピュータ開発のはてしない物語

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昭和生まれの私はアナログネイティブだ。

物心ついた頃に家にあったブラウン管のテレビにリモコンはなく、ダイヤルを回してチャンネル切り替え、黒いツマミで音量を調整した。電話は当然のダイヤル式の黒電話だった。

私にとってのコンピュータの出会いはファミコンで、友達の家で夢中になって遊んだものだ(親の教育方針のため買ってもらえなかった)。コンピュータやデジタルの原体験はテレビゲームで、ゆえにコンピュータ開発とはゲーム史に等しい。

本書は、もちろんファミコンやプレステの開発の歴史ではない。しかし、タイトルの通り、コンピュータの開発は「果てしない物語」つまりは「ネヴァーエンディングストーリー」であり、常に現在進行形なのだ。

ゲームのグラフィックが美麗になり、滑らかになり、現実世界に肉薄していく。そのダイナミックな変化を同時代的に実感した。

それと同時、ノートPCは薄く、軽くなり、PHS・携帯電話からスマホへと遷移し、フィルムカメラはデジカメに淘汰され、IoTというコンセプトが生まれ、全てのモノがネットにつながる世界になろうとしている。

そして、やれビッグデータ解析だ、人工知能だ、DXだ、デジタルツインだ、メタヴァースだと、次から次へと新たなデジタルのコンセプトが勃発し、融合し、変容していく。

私はそんな世界に生きているが、まったくついていけず、途方に暮れている。それもこれもその背景にはコンピュータがあり、そしてそのコンピュータの熾烈な開発によって実現している。

私はコンピュータのことはさっぱり分かっていない。とはいえ、9月からコンピュータに関連する部署へと異動することになった。昇格と単身赴任の合わせ技で、毎週の帰京&諸経費でトータルすると経済的にはマイナスになりそうだが、せめて知的な刺激を得るという観点ではプラスにしたい。

まずは歴史から勉強してみようということで、本書を手に取ってみた。気になった個所を挙げつつ、整理してみたい。

パスカルの歯車を利用した計算機の原理は、その後まもなくドイツのライプニッツに引き継がれ、その基本的原理は、第二次世界大戦中から大戦直後にかけていくつかのデジタル電子計算機が登場するまでの間、実に3世紀にもわたってそのまま生かされてきた。(p.47)

「人間は考える葦である」の名文句で有名なパスカル(1623-1662)は歯車式計算機「パスカリーヌ」を発明した。その後、微積分法でニュートンと先取権争いしたことでも知られるライプニッツ(1646-1716)が引き継いだとのこと。数学で大きな業績のある有名なお二人が計算機を開発していたのは初めて知った。

計算機の発明の動機について簡単に言えば、前述のヴィルヘルム・シッカルトの場合は、煩わしい天文計算に利用できる計算機を発明して天文学者ヨハネス・ケプラーに贈りたいと考え、ブレーズ・パスカルは、骨の折れる父親の仕事を助けたという気持ちがそもそものきっかけとなった。これに対してライプニッツは、パリの科学アカデミーに華々しくデビューしたいために自己PRをすることが目的だった。(p.53)

パスカルライプニッツよりも前に生まれたシッカルト(1592-1635)が世界で最初に自動計算機を作ったと言われている。とはいえ、二人よりも知名度は圧倒的に低い。この計算機をケプラー(1571-1630)に使ってもらおうとしていたのは面白い話。計算機を作ろうとしたモチベーションも興味深い。

天動説から解放されて、科学は17世紀頃から始まる。同時期にコンピュータ開発の歴史も始まっていたことを初めて知った。

今からおよそ200年前のヨーロッパに、当時は蒸気機関車や蒸気船などの大型輸送機械の動力源として活用されていた蒸気機関を計算機に応用しようと、一生をかけてその発明に挑んだ男がいた。今では「コンピュータの父」と呼ばれる、イギリスのチャールズ・バベッジだ。(p.57)

バベッジ(1791-1871)は、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した。それにしても蒸気機関で計算機を動かすという発想には驚かされる。

19世紀後半になりコンピュータが産業として発展していく。ちょっとわかる範囲でコンピュータ産業の歴史をまとめてみよう。

  • ユニシスへの系譜アメリカン・アリスモメータ社(1886)→バロース・アディングマシン社に社名変更(1904)→バロース・コーポレーション→スペリー社*を買収・合併(1986)→ユニシス
    *スペリー社…パワーズ・アカウンティング・マシン社を設立(1911)→レミントンランドに吸収(1927)→スペリー社と合併(1955)
  • IBMへの系譜…ホレリスがタビュレーティングマシン社を創業(1896)→4社が合併して コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング社(CTR)が結成(1911)→IBMに社名変更(1924)

チューリング賞は、コンピュータ関係者にとって、ノーベル賞に匹敵する権威ある賞として認められているが、残念ながら日本人の受賞者はいない。(p.93)

へぇ。現在も受賞者はいない。いつか日本人受賞者は現れるだろうか。

ENIACの後継機としてプログラム内蔵式計算機「EDVAC(エドバック)」の開発に関する検討が始まったのは、1944年半ば頃からである。検討グループの主要なメンバーが、フォン・ノイマン、ゴールドスタイン、モークリー、エッカートらであったことは言うまでもない。(p.102)

機械式計算機からプログラム内蔵式計算機へとコンピュータは発展していく。EDVACは、フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔(感想文21-14)に登場するノイマンらが開発した。

ノイマン型コンピュータというのはプログラム内蔵方式を採用したコンピュータのことで、現在のほとんどすべてのコンピュータはこのタイプに属する。しかしこれには、記憶装置から命令を順次取り出すことによって処理速度が低下するという弱点がある。(p.104)

それでは、非ノイマン型コンピュータにどういうのがあるかというと、ニューロコンピュータ、量子コンピュータ、DNAコンピュータなどだ。量子コンピュータについては改めて別の本を読んで勉強してみたい。

(日本で)最初に電子計算機の開発に成功したのは、実は富士写真フィルムの岡崎文次という技術者で、それもほぼ独力で作り上げた、まったく手作りのものだった。時は1956年。いわゆる試作機ではなく、レンズの設計に使うことを目的とした立派な実用機であったということから、まさに驚きだ。(p.192)

さっぱり日本のことは出てこなかったが、ようやく登場した。日本で最初の電子計算機であるFUJIC(フジック)は、上野の科博で展示されているそうだ。何度も行ったけれど、その存在を認識してなかった。

スーパーコンピュータの歴史は、パーソナルコンピュータの歴史より若干早く、1960年代に始まる。そしてそれは、IBM社を除けばコントロール・データ(CDC社)とクレイ・リサーチ社の歴史であり、そのCDC社とクレイ・リサーチ社の歴史もまた、セイモア(もしくはシーモア)・ロジャー・クレイというひとりの傑物の歴史そのものと言っても過言ではないだろう。(p.254)

セイモア・ロジャー・クレイ(1925-1996)は「スーパーコンピュータの父」と呼ばれている。クレイのことは改めて別の本で勉強してみたい。

新しい部署に関連する本の感想文はこれが初めてだ。異動するととにかく勉強しないといけないことがたくさんある。全然知らない分野だし、どこをどう勉強すれば良いかもわからない。

でも効率的に勉強することは望んでいない。不案内な分野の歴史や現状を自ら紐解きつつ、技術動向や国際情勢への理解を次第に深めていき、この先にあるほんの少しの未来が見えるようになればと思う。

しんどい時期ではあるけれど、最も成長を感じられる幸せな時間を大事にしたい。

感想文21-24:警視庁科学捜査官

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著者は服藤恵三さん。服藤さんは、警視庁科学捜査官第1号となり、日本の科学捜査の基礎を築いた人物である。

本書では有名な事件がたくさん載っている。私が高校生から大学生の頃で、連日テレビで大騒ぎしていたのを思い出す。地下鉄サリン事件(1995)、和歌山毒物混入カレー事件(1998)、アジ化ナトリウム混入事件(1998)、ルーシー・ブラックマン失踪事件(2000)、新宿歌舞伎町雑居ビル火災事件(2001)などなど。

もし服藤さんがいなければ、解決までに時間がかかったり、今でも未解決のままだったりしたのではないかと思うほど、服藤さんご自身の活躍ぶりがこれでもかと描かれている。大変面白い一冊なのだが、和暦で統一されているのが唯一の欠点かな。

「警視庁科学捜査研究所 第一化学科 化学第一係 主事」。新人研修を終え、これが振り出しの肩書きだった。(p.57)

とあるように服藤さんは当初、科学捜査研究所、略して科捜研(かそうけん)に就職した。ウィキペディアによると『警視庁及び都道府県警察本部の刑事部に設置される附属機関』だそうで、各都道府県に必ずある。ちなみに似た名前の警察庁科学警察研究所科警研:かけいけん)は、『国家公安委員会の特別の機関たる警察庁の附属機関』らしい。

なるほど、警察には、警察庁、警視庁、警察本部の3つの異なる組織があるのだ。中央(とキャリア)、東京都、地方行政という構造。ヒエラルキーが透けて見える。

その後、服藤さんは警視庁科捜研から警視庁へと所属を変える。そして、

地下鉄サリン事件から1年が過ぎた平成8年4月1日、私は警視庁史上初の科学捜査官に任命された。役職は、捜査第一課科学捜査係の係長(警部)。従来の科捜研も、兼務になっていた。同時に、全国の府県警察にも科学捜査係が新設され、私は警視庁刑事局捜査第一課の専門捜査員にも指定された。(p.52)

そうして、1996年に科学捜査官第1号に任命された。科捜研の職員には捜査権がないが、警視庁所属なので捜査権がある。

犯罪の高度化が進み、従来の操作方法や能力だけでは対処できない場面が、そこここに現れ始めていたのである。科学的理論を捜査に活用する方法を具体的に示し、結果として見せ、判例を作っていく作業が必要だった。私はこれを「真の科学捜査」と名付けた。(p.91)

当時の科学捜査研究所は「真の科学捜査」をしていないと言っているに等しい。事実、当時の科捜研には博士号を取得しているものはひとりしかいなかったし、最新の科学や技術の動向をキャッチアップできていなかったそうだ。

平成15年10月1日、「警視庁犯罪捜査支援室」が6係30名体制で発足。私は室長を拝命した。刑事部刑事総務課の附置機関だが、名称に「刑事部」はついていない。組織犯罪対策部、生活安全部、交通部、公安部など、警視庁のすべての捜査部門を支援していくという決意から、あえてお願いした名称が採用されたのである。(p.200-201)

こうして2003年に犯罪捜査支援室発足し、服藤さんは出世するが、人生は上手くいかないもので、結局は思うようには組織の中で立ち回れなかった。ままならないものだ。

科学捜査の意味が大きく変わったのは、やはりオウム事件以降だった。化学兵器の使用や、インターネットを活用した各種情報の収集が可能となり、何でもありの時代がやってきた。(p.271)

本気かつ入念な悪意に取り込まれると、抜け出しようもないだろう。危険な場所やヤバい人たちに近づかないくらいしか、身を守る術が思いつかない。化学兵器やインターネット、さらにはAIも使われると、個人で太刀打ちするのは不可能だ。

雪ぐ人 えん罪弁護士今村核(感想文21-17)は、冤罪を雪ぐ苦悩と苦労が描かれていたが、警察側も犯罪に用いられる科学の高度化に対応していかなければならない。犯罪捜査も冤罪証明もともに科学性が求められるが、予算には歴然の差があり、不均衡だ。両者が真実に到達するためには、科学を合理的に活用する方法を模索していく必要があるだろう。互いに協力できればいいが、難しいだろうな。

さて、本書を読んでいて、Legal Dungeonというゲーム(私はswitchでプレイ)を思い出した。警察を題材とするインディーズ・ゲームで、韓国のゲームクリエイターが製作した。成果主義に大きく依存する警察組織の暗部を描いた作品で、韓国の実際の法律や事件に基づいている。

ほとんどテクストだけのシンプルなゲームだが、人間への冷めた視線と、システムが人をどこまでも残酷に変えてしまうという確信が通底している。程度の差はあれ、14種類あるエンディングはどれも後味と胸糞がとても悪い。しかし、苦々しさと禍々しさが入り混じった展開に純粋に驚かされる。この感覚はこのゲームでしか味わえないのではと思う。非常に優れた作品だ。

警察行政は絶妙なバランスの上で成り立っている。どこまで警察を信用し、科学を信用できるか。被害者にも加害者にもなりたくない。人生はままならない。一寸先は闇。警察に関する本を読むと、改めてこれまでの自分の人生は、たまたま幸運なだけだったのだなと思い知らされた。

感想文21-23:文部科学省

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直球のタイトル。初版が2021年3月であり、「今の」文部科学省を知る上での最良の一冊と言える。

私は諸般の事情で2.5年間文部科学省で働いたことがある。今から15年前近くで、丸の内時代と今の所在地である虎ノ門時代の両方を経験した。

私はたったひとつ部署を経験しただけなので、文科省の全貌を知る由もなかった。本書を読んで、なるほどそういうことだったのか!と初めて知ったこともたくさんあった。宮仕えしたのはまだ20代後半で中央省庁や国家公務員がどういうものなのかさっぱり知らず飛び込み、上司とソリが合わず帯状疱疹になるなど精神的に苦労もしたが、トータルで大変良い経験になったし、今でもその時の人的ネットワークは貴重な財産になっている。

感想文を見直すと、当時、公務員、辞めたらどうする?(感想文08-03)公務員クビ!論(感想文08-08)さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白(感想文09-19)を読んでいたようだ。懐かしいな。

文部科学省(とそれに関連する政策等含む)の歴史をざっとまとめておこう。

私がいたのは内閣人事局設置前で、省益と国益のコンフリクトが問題視され、公務員改革が非常に話題になっていた時期と重なる。

内閣人事局の設置など一定の公務員改革が果たされ、教育と科学技術を所管する文科省はどうなったのか。今、どうなっているのか。

本書で示されているキーワードは、「間接統治」「政策の包摂」である。まずは前者の間接統治とはどういうことか。

文科省は「内弁慶の外地蔵」という二面性を備えている。筆者たちの調査でも官邸や他省庁に対してたいへん脆弱であるのに対して、教育委員会や国立大学にはたいへん強い姿勢をとっていることが明らかになった。(中略)さらに、この文科省の二面性を利用することで、官邸や他省庁が巧妙に文科省の担当分野に介入していく新たな状況を「間接統治」として描いていく。(p.6)

文科省で働いた経験から実感できる。国立大学の先生たちは文科省の職員に対して大変気を遣っていたし、現在でもその関係性は大きく変わっていないだろう。当時も今も、国立大学に対して横柄な態度をとる文科省職員がいるかもしれないが、科学や技術への畏敬の念をもって接していた方が大多数だった。

一方で、官邸や他省庁、特に経産省に対しては弱腰だ。国立大学の先生たちは文科省の言うことをよく聞く。そんな文科省をコントロールして、国立大学の先生たちを間接的にコントロールしているのが現代の姿だ。

学術政策は科学技術政策に、科学技術政策はイノベーション政策に包摂され、イノベーション政策の背後には産業政策が控えている。ここまでくると、学術や科学技術が産業政策の一部として扱われ、「社会の役に立つ研究」からさらに進んで、「利潤を生み出す研究」が重視されていく。文科省が担ってきた学術・科学技術は、省内部の担当分野間の力関係が変化しただけではなく、政府全体の成長戦略とつながった。(p.9)

そして、2014年に総合科学技術会議から総合科学技術・イノベーション会議となり、2021年4月の第6期から科学技術基本計画が科学技術・イノベーション基本計画となった。イノベーションが持て囃されて久しいが、政府はイノベーション要するに産業(≒金儲け)の方向に大学を行動変容させようとしている

学術と科学技術からイノベーションや産業へ「包摂」され、経産省(とその裏にいる財界)や官邸が文科省とそして間接的に大学を併呑していくのが今の姿だ。

なるほど!と目からウロコで、文科省は間接統治に利用されているが故に主体性に乏しく、さらに教育現場と研究現場は文科省の意向に振り回され、混乱し悲惨な状況になっている。コントロールしたい主体と現場が遠いためにフィードバックが機能せず、しかし失敗すると間に挟まれる文科省が責められる構図だ。

さて、本書で初めて知ったことを列挙しておこう。

幅広い業務を担う文科省の定員が霞が関最小というのは不思議である。(p.28)

幅広い仕事があるのに、職員数が少なく、余裕がない。私がいた頃はもう少しほんわかした組織だったのだけれど。

研究三局は、スモールサイエンス(振興局)とビッグサイエンス(開発局)の振興を図るのが、あくまでおおよその整理である。(p.47)

なるほど。振興局はライフサイエンス、ナノサイエンス、スパコン、量子など、開発局は宇宙、原子力、環境エネルギー、海洋など。

科学技術政策全体のとりまとめに関してCSTIが科学技術・学術審議会に優越する。(p.53)

これも文科省の弱さの要因の一つ。CSTI(総合科学技術・イノベーション会議)が重要政策を決めてしまう。

政府予算のなかで文科省予算のシェアは少子高齢化に伴って減少が続いている。2019年度予算では101兆円のなかで5.5兆円(5.4%)となっている。(p.120)

内訳をみると、社会保障費が34兆で最も多く、国債費が23.5兆円、地方交付税交付金が16兆円、公共事業が7兆円、防衛費が5兆円である。文科省予算は決して小さい額ではないが、減少傾向にある。

国立大学の運営費交付金が削減され、他方で競争力を失った企業が大学の基礎研究に資金提供をしたがらない情勢では、権限が集中した学長が行えるのは「身を切る改革」で支出を節減し、産業界の要望に無理矢理応えようとすることしかない。これは疲弊した自治体で公務員の人件費削減を訴えて当選する「改革派首長」と同じである。(p.156)

大学の学長の行動原理が改革派首長と同じという観点は興味深い。確かに(時として現場を顧みず)改革を全面に押し出す方をお見受けする。

全国に約3万校(小学校2万校、中学校1万校)の公立小中学校があり、そこに約67万人の教員が働いている。教員の雇用主は法令上、市町村教育委員会であるから、勤務時間の管理責任も市町村教育委員会にある。(p.182)

教員の雇用主は市町村教育委員会ということを初めて知った。なるほど、モンスターペアレンツ(通称モンペ)による「教育委員会に言いつけるぞ」という脅しは有効なのだ。教員は教育委員会に対して弱い立場にあるのだ。

教育委員会の知り合いがいるが、教員に対してとても横柄な方だった。ごく一部のレアケースと信じたいのだが、日本の教育行政について暗澹たる気持ちになったのを覚えている。

教育委員会は審議会のような有識者会議とは異なり、首長と同格の「合議制の執行機関=行政委員会」である。教育委員会はすべての都道府県と市町村に設置される(「必置規制」)。(p.193)

すべての都道府県と市町村に設置される教育委員会の存在の大きさと強さは興味深い。必置規制という言葉も初めて知った。東京などの都市部では私立学校の存在感が大きく、相対的に教育委員会の支配も弱いだろう。他方で私立の少ない農村部では実質的に公立学校と教育委員会が教育事業を独占できてしまう。教育に選択肢と自由度が少ない農村部はそれだけで私にはネガティブに映る。

修士号取得者数についてみると日本は100万人あたり500人ほどしかなく(p.249)

そんなに少ないのか。他国と比べると、日本では人文・社会科学の修士号が圧倒的に少ない。確かに知り合いで人文・社会科学の修士号を持っている人はほとんどいない。私も妻も自然科学の修士号を持っている。加えて私は人文・社会科学の修士号も持っている(博士号は持っていない)。きっと日本ではダブルマスターもあまりいないだろう。いわんや博士はさらに少ない。

政府は大学に対する予算を削減し、企業は博士号取得者の雇用を重視しないから、文科省は大学へ矛先を向けるしかない。先細る学術・科学技術人材育成の姿は、そのまま日本の学術・科学技術の凋落した姿でもある。(p.261)

散々叩かれたポスドク1万人計画。本書で詳しく書かれているが、ポスドク1万人という数値目標達成だけが推し進められ、なぜポスドクをどう活かすかについてはおざなりにされた。類似事例として、法科大学院により弁護士の数は増えたが、仕事もポジションもなく、新たな高学歴ワーキングプアを生み出した。

不幸なのは巻き込まれた人たちだ。結果的に博士課程を目指す人も、法科大学院を目指す人も減っていく。業界全体がシュリンクする。

繰り返すが、本書は文科省の「今」を知る上で最良の一冊である。文科省という一つの行政組織を通して、今の日本の科学技術の衰退、大学受験改革のゴタゴタの失態は文科省だけにあるのではないこともわかるだろう。