40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-19:計算機屋かく戦えり

本書は『月刊アスキー』1993年5月号~1995年6月号に掲載された、日本のコンピュータ産業に深く関わった当事者25名へのインタビュー集である。本当にお聞きしたかった方はすでに亡くなっている場合もあるが、その側近の方に話を聞いている貴重な一冊だ。

出版は1996年。1993年に出版された電脳進化論(感想文22-03)は、当時のコンピュータの最前線を描いたものだが、本書はむしろ日本でのコンピュータが生まれようとしている時代を探ろうとする近過去研究的な意味合いが強い。

これまで計算科学や計算機科学の歴史についての本を紐解いても、ほとんど日本人が登場しない。日本人著者によるコンピュータ開発のはてしない物語(感想文21-25)においてさえ、日本で最初の電子計算機であるFUJIC(フジック)がちらっと登場する程度だ。

世界で最初に自動計算機を作ったシッカルト、「コンピュータの父」チャールズ・バベッジ、「スーパーコンピュータの父」セイモア・ロジャー・クレイ、そして抽象機械を考えたアラン・チューリング感想文22-10:チューリング 情報時代のパイオニア)、天才フォン・ノイマン感想文21-14:フォン・ノイマンの哲学)、

情報理論の父」クロード・シャノン感想文22-14:クロード・シャノン)、近代ではビル・ゲイツスティーブ・ジョブズといった面々だ。

確かにコンピュータ産業では日本は後発だったし、戦争のためにコンピュータの開発史が闇に埋もれているというのもあろう。しかし、今でも世界トップクラスのスーパーコンピュータを生み出し、一時はエレクトロニクス産業で日本が栄華を誇っていた(今は凋落して久しいが)。

そんな日本がコンピュータ開発の歴史でそこまで存在感がないのは不思議であった。しかし、本書を通じて、初めて黎明期に多くの日本人の計算機屋が奮闘してきたことを知ることができた。

自分の仕事にも関わるのでかなり多くの付箋を貼ったが、この感想文ではそこからさらに絞り込んで、特に気になる箇所を挙げておこう。

一般に、コンピュータの歴史は四つの世代に分けられる。この四つの世代は、4回の大きな技術革新によって区切られている。第一世代は真空管、第二世代はトランジスタ、第三世代はIC、第四世代はLSIの時代である。(p.36)

不安定で高価な真空管がコンピュータの性能のネックとなっており、当時大学院生だった後藤英一が発明したパラメトロンを活用したコンピュータが存在した。日本だけ独特の第一世代であったが、トランジスタの性能向上などによりパラメトロン電子計算機は姿を消すことになる。しかし、調べてみるとパラメトロン量子コンピュータ開発の観点から再注目され研究が行われている。面白いものだ。

日本電気の中嶋章、榛澤正男の両氏が、電気回路に0と1の論理動作を当てはめた論理回路の理論を発表したのが36年。シャノンの加算回路の発表が37年。塩川氏は34年には二進法リレー回路を開発、シャノンと同時期の38年には、すでにそれを用いた計算機について公式に発表していたというのだから、驚くほかない。(p.241)

先ほど登場した「情報理論の父」クロード・シャノン。シャノンは1937年のMITでの修士論文で電気回路が論理演算に対応することを示した。これは画期的な論文で、この理論がコンピュータ実現の大きなステップになったのだが、それはどこまでシャノンにオリジナリティがあったのかは、本書を読むと疑問が沸き上がる。

すでに1936年に中嶋章と榛澤正男が、電気回路に0と1の論理動作を当てはめた論理回路の理論を発表している。さらに塩川新助はその応用面で先を行っていたのだ。シャノンの業績を今さら否定してもしょうがないが、シャノンだけが到達し得たかのような言説は誇張され過ぎな感がある。

本書では、中嶋章はベル研で論理回路の講演を行い、その場にシャノンもいて、質問もしてきたし、36年論文の英訳も持っていたが、その後のシャノンの論文では言及してないとのことだ。とはいえ今となっては、真実はよくわからない。

1950~60年代に日本で開発されたコンピュータは、リレー式、真空管式、パラメトロン式、トランジスタ式の4つになる。リレー式では、富士通の塩川新助、池田敏雄両氏がいた。パラメトロン式では東大の高橋研究室の面々、通研の喜安善市氏がいて、両者は密接に連絡をとりながら研究活動を行っていた。トランジスタ式にこだわって研究をしていたのは電気試験所の和田弘を中心とするメンバーである。真空管式で開発されたコンピュータには、「FUJIC」「TAC」「阪大真空管計算機」があり、岡崎文次氏、東大の山下英男教授、阪大の城健三氏が中心となって開発をすすめ、それぞれ独自に開発をしていた。(p.218

本書を読むまで、これほど多くの計算機屋が、多様なコンピュータ開発に従事していたことを知らなかった。しかもアカデミアも産業界も入り乱れて開発していた。そして日本は意外なところから頭角を現していく。そう、電卓だ。

その応用性重視の開発姿勢が、日本の電卓にヒットをもたらした。そして電卓は、巨額の投資を行って大型コンピュータを作ろうとしていた研究所や大手メーカー以上に、日本の半導体を育てることにもなったのだ。大型コンピュータから電卓への視点の移行は、究極のダウンサイジングといえるかもしれない。また、電卓の開発から半導体をふくむマイクロエレクトロニクスが活気づいていったという歴史的事実は、その後のコンピュータがパーソナルに向かうことを暗示していたようにも思える。(p.422)

電卓四兄弟(感想文17-43)の樫尾幸雄さんもインタビューを受けている。電卓は半導体を育て、ダウンサイジングを促し、マイクロエレクトロニクスへとつながり、日本の産業を大いに振興し、近未来のノートPCやスマホへの移行の道筋をも示した。

巨大な計算機がどんどん小さくなり、サイズ的にも価格的にも個人で所有できるようになる。コンピュータ開発の歴史では性能開発ばかりに目が行きがちだが、激烈な電卓の開発競争や半導体開発の重要性も見えてきた。

偉大な先人たちの苦労や努力が現在に繋がっているのを知ることができ、本書の存在をありがたく感じている。新装版が出ているらしく、そこにはロケット・ササキ(感想文22-01)佐々木正のインタビューも載っているとのこと。新装版も読んでみたい。

存外、本書のような特定分野の最前線の紹介ではなく、黎明期・揺籃期に奮闘した方々へのインタビュー調査を通じた近過去研究の本は少ない。

最先端を描いた本は、確かに新鮮で未来への期待や時には不安を感じさせて、需要があるのだろう。しかし、鮮度は短く、時には定説が覆り、社会情勢は変化し、あっという間に陳腐化してしまう。「〇〇の衝撃」といったタイトルの本も多く読んだが、だいたい1年も経つと、それって衝撃だったのかという内容になってしまう。

とはいえ、近過去研究の本は作成に時間と労力がかなり必要なので、作り手にとってはコスパが悪く、需要ではなく供給側の問題なのかもしれない。

感想文22-18:ライト兄弟

 

会社の方にお勧めされて読んでみた本。タイトルそのまま、誰もが知っているライト兄弟についての本。まず、訳者あとがきから引用しておこう。

ライト兄弟は日本人も敬愛を寄せてやまない偉人である。アメリカ人としては、発明王エジソンと並び、偉人中の偉人として変わらぬ支持を得てきた。(p.374)

ライト兄弟とはウィルバー・ライト(1867-1912) とオーヴィル・ライト(1871-1948)のことだ。兄ウィルバーと同じ年生まれは、夏目漱石豊田佐吉南方熊楠フランク・ロイド・ライト幸田露伴正岡子規、マリ・キュリーなど。弟オーヴィルと同じ年生まれは、志賀潔アーネスト・ラザフォード国木田独歩幸徳秋水など。

もう一か所、あとがきから引用する。

それまで常識とされた科学原理が一蹴され、革新的な技術によって新しい時代の扉が解き放たれた瞬間でもあった。重力に逆らい、空中を自由に飛翔する技法と技術が、その後、長足の進歩を遂げていったことについては改めて触れるまでもないだろう。1903年の初飛行から66年、同じくオハイオ州出身の飛行士が月面に降り立った。(p.375)

ライト兄弟は、言わずも知れた世界初の有人飛行に成功した人物だ。彼らは日本だと大政奉還のあった江戸末期に生まれ、1903年明治36年)に有人飛行を成し遂げている。本書を読めばいかにライト兄弟が偉大なのかよくわかるだろう。ちなみに66年後、つまり1969年に月面に降り立ったオハイオ州出身の飛行士とは、ニール・アームストロング船長である。

このころから半世紀前のあいだ、ライト兄弟が登場するはるか以前の時代、自称“大空の覇者”と、彼らが搭乗する奇妙で子供じみた飛行機械は、新聞の息抜きページの格好の話題として根強い人気を誇っていた。(p.50)

かつて人は空を飛べないのが常識だった。明らかに飛べやしない構造の飛行機で琵琶湖に墜落する姿を楽しく眺めるのが昔(30年以上前)の鳥人間コンテストだった。今では、2.5時間で60キロを人力プロペラ機で飛行する人が出てきて、これはこれで人間の能力の凄まじさを思い知らされる。

ライト兄弟に話を戻すと、

兄弟にはこれという学歴はない。技術訓練を正規に学んだこともない。兄弟以外の人間といっしょに働いたという経験もなかった。有力者の知人、資金の協力が仰げる先、政府の資金援助の伝手もない。(p.52)

ということで、独学でありながらも、緻密で執念深く、そしてあくまで科学的に飛行を追求した。兄弟の本業は自転車屋で、その稼ぎを使って研究を続けた。何かを成し遂げるのに必要なのは、お金でも経験でも人脈でもない。成し遂げたいという強い思いが必要なのだ。

1901年秋、リリエンタールやシャヌートの計算にそれまで寄せてきた信頼が破綻したことで、兄弟自身が航空学をめぐる暗号解読を始め出した。それは二人の勇断であるとともに重要な転換点となるものだった。(p.99)

ライト兄弟は、この時代に、翼の表面にかかる「揚力」と「抗力」を正確に計測するために、小規模な風洞装置を自作する。定説や既存のデータを疑い、自らの手で切り開いていく。風洞実験を繰り返した上で、飛行機械を設計し、有人飛行を繰り返し行う。どこでも飛行実験ができるわけなく、絶えず安定した強風の吹く遠い場所まで飛行機械を運び、組み立て、実験するために生活できる住環境を整え、飛んでは落ち、落ちては直し、飛行機械を調整し、操縦技術を磨いていった。

1903年のこの日、寒々たるアウターバンクスの強風のなかで起きていたのは、わずか2時間にも満たないつかの間の出来事だったが、それは歴史の転換点となる事件のひとつだった。世界にとっては変革の幕開けであり、しかもその変革は、かりに現場に立ち会えたとしても当人の想像をはるかにうわまわる巨大なものだった。ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトは、独自に製作した機械で人間は空を飛べる事実を明らかにした。その事実に世界はまだ気づいていないとしても、二人は確かにやり遂げていたのだ。(p.153)

1903年12月17日に有人飛行に世界で初めて成功する。しかしその歴史的な転換点である有人飛行成功の瞬間を見れたのはわずか5人であった。そして、この偉大な出来事が後に引き起こす事態を予見できた人は兄弟含めて誰もいなかった。

ライト兄弟の成功は母国アメリカでなかなか受け入れられなかった。なぜなら、国家プロジェクトとして行われた有人動力飛行は失敗に終わっており、結果的に栄光をかっさらったと妬まれ、アカデミアでのエスタブリッシュメントの一部からあらぬ非難を受け、また特許紛争に巻き込まれる。

しかし、ライト兄弟はヨーロッパで飛行トライアルを披露し成功を収め、兄弟の技術はヨーロッパで認められる。その後、飛行技術は格段の進歩を遂げていくのだが、飛行機械は旅客機でなく、兵器として発展していく。

これはこののち明らかになっていくことだが、兄弟が見たヨーロッパはほぼ完璧をきわめた時代を迎えていた。繁栄と平和が支配し、大勢のアメリカ人がヨーロッパというものを発見した時代である。<中略>それは近代化によって機甲化された兵器の恐怖に見舞われる前のヨーロッパである。(p.317)

ライト兄弟と妹のキャサリンが過ごした美しいヨーロッパを破壊したのは、爆撃機のような近代兵器だった。自らの発明が、これほどまでに多くの命を奪い、文化遺産である街を破壊することになるとは思っていなかっただろう。

私自身、何度も飛行機に乗っているのに、空港で飛行機が離陸する瞬間を見ると驚きと安堵が入り混じる。人が空を飛ぶこと。いつの間にか当たり前になっているが、今でも鳥人間コンテストが開催されているように、人が空を飛ぶこと、それ自体に感動や驚きが詰まっている。

本書の副題は、「イノベーション・マインドの力」である。有人飛行の成功はまさしくイノベーションと呼べる瞬間だった。しかし、それに見合う富や名声を兄弟は十分に手にしたわけではなかった。意図せず多くの人の命を奪う兵器への発展の起点ともなった。

それでも現代においてもライト兄弟のマインドから学び取る点は多い。敬虔なクリスチャンである勤勉さ。果てしない試行錯誤とトライアンドエラー。兄弟、妹、父といった応援してくれる家族の存在と強い信頼関係。お金がないからこその創意工夫。権威を妄信せず、あくまで科学的な手法の徹底。

本書はライト兄弟による飛行機械の開発史を丹念にたどり、開発の面白さと苦しさを余すところなく描いている。

本書を読みながら、「紅の豚」の映像が何度も浮かび上がった。青い空の下で美しい街を飛ぶ飛行機械。改めて「紅の豚」を見直してみたい。

感想文22-17:実力も運のうち 能力主義は正義か?

 

これからの「正義」の話をしよう(感想文10-67)それをお金で買いますか(感想文12-78)に続く、マイケル・サンデルさんによる本の感想文。

原題は、「The Tyranny of Merit」で、「メリットの横暴」である。で、メリットって何?ってことだけれど、

自分の運命は自分の能力や功績(メリット)の反映だという考え方は、西洋文化の道徳的直観に深く根付いている。(p.53)

とあるように、メリットとは能力や功績を意味している。でも能力と功績って全然違う概念じゃね?って思うわけで、そこでまずは巻末の本田由紀さんの解説を引用しておこう。

重要なのは、英語の世界では実際には「功績主義」という意味で用いられているmeritocracyが、日本語では「能力主義」と読み替えられて通用してしまっていることである。<中略>人びとに内在する「能力」という幻想・仮構に支配されている点で、日本の問題のほうがより根深いと筆者は考えている。(p.332)

~cracyは~による支配という意味があり、メリトクラシーは能力や功績を有した者による支配となる。解説にあるように日本では、能力主義と訳せられ、通用してしまっている。つまり日本社会では、功績よりも能力による支配が概念的にフィットするのであって、まだ何も成し遂げていない能力を有する者を特別扱いしていて、本田さんはもっと踏み込んで、能力は幻想であり仮構とまで看破している。

改めて日本語版タイトルに戻りたい。運も実力のうちとはよく耳にするが、「実力も運のうち」としたのは、なかなか秀逸だなと本を読み進めていくうちに理解していく。あいにくタイトルだけだとピンとこないのだけれど。

さて、本書の舞台はあくまでアメリカだ。アメリカ 暴力の世紀(感想文18-14)にあるようにエネルギッシュで、極端で、暴力的なアメリカ。2016年12月にトランプが大統領に当選し、その結果に大変驚いたと当時に、アメリカ社会が分断している現実を知った。

現在のアメリカ政治で最も深刻な政治的分断の一つは、大学の学位を持っている人びとと持っていない人びととのあいだに存在する。2016年の選挙では、トランプは大学の学位を持たない白人有権者の3分の2の票を獲得したが、ヒラリー・クリントンは上級学位(修士号あるいは博士号)を持つ有権者のあいだで圧勝した。イギリスのブレグジット国民投票でも同様の分断が現れた。大学教育を受けていない有権者は圧倒的にブレグジットへ賛成票を投じたが、大学院の学位を持つ有権者の大多数は残留に投票したのだ。(p.42-43)

学位の有無が深刻な政治的分断となっている。フランスの黄色いベスト運動(感想文20-23)も状況は似ているのだろう。

学位の有無がなぜ分断になるのか。

成功は幸運や恩寵の問題ではなく、自分自身の努力と頑張りによって獲得される何かである。これが能力主義的倫理の核心だ。この倫理が称えるのは、自由(自らの運命を努力によって支配する能力)と、自力で獲得したものに対する自らのふさわしさだ。(p.89)

学位の獲得という成功が、自らの努力の証左であり、能力主義的なうぬぼれや思い上がりをもたらすだけでなく、学位を獲得できなかった人に屈辱感や敗北感を与える。人種差別や性差別にあれほどラディカルに反応するアメリカにおいてさえ、今なお学歴偏重主義は容認されている。

とはいえ、アメリカは自由の国であり、恵まれてない人でも努力によって大逆転できるアメリカン・ドリームがあるよね、って反論はあるだろう。ところが、実態はそうではなくなってしまっているのだ。

実のところ、アメリカの経済的流動性はほかの多くの国よりも低い。<中略>デンマークとカナダの子供は、アメリカの子供とくらべ、貧困を脱して裕福になれる可能性がはるかに高いことがわかる。これらの基準からすると、アメリカン・ドリームが無事に生き残っているのはコペンハーゲンなのだ。(p.113)

経済的流動性アメリカよりも日本の方が高い。バーバラ・エーレンライクさんのニッケル・アンド・ダイムド(感想文10-88)の時点でアメリカン・ドリームは遠い過去になっている。転落すると復活する望みはなく、格差は固定され、低賃金労働者の生活は富裕層には認知されない。そしてアメリカの状況は能力主義と癒合している。そこに正義はあるんか、そうサンデルさんは問いかける。

下剋上も革命も起きず、ないがしろにされたように感じる人生を歩む。無差別な銃乱射事件、オピオイド系鎮静剤の過剰処方とオーバードーズ、そして絶望死。悲惨なワードが並ぶ。アメリカ社会の裏側だが、人口比率ではマジョリティかもしれない。

ではどうすれば良いのかについて、本書でサンデルさんが具体的なアイデアを示している。しかし、アメリカ社会にリアリティを感じない私にはピンとこない。能力主義以前に、銃と薬物過剰処方を規制した方が良いんじゃないかと思うが、まあ無理なんだろう。日本とはまた違ったところで狂っている。

この感想文では日本社会について書き残しておきたい。ブログのタイトルにあるように日本ではロスジェネ世代が、世代ごっそりと損な役回りになっている。そこそこの高学歴者でも就職活動に苦戦し、正規職を得られず、苦労している人は少なくない。いわんや家庭環境などの理由で大学に行けなかった方の苦労はさらに厳しいものがある。

私はそこまで裕福ではないものの家庭環境に恵まれ、それなりに勉強が得意で、世間では高学歴と言われる部類の大学院に進んだものの、就活の茶番さが嫌になり、大学院の途中から小さな会社で働きだし、3年目くらいでその会社が立ち行かなくなる雰囲気になり、大きな会社に転職し、学生時代から付き合っていた人と結婚し、子供が生まれ、同僚から恨まれないくらいの速度で昇格し、今に至っている。

つくづく思うが、今の自分の人生があるのは、「運」でしかない。人並みの努力はしたが、限界まで自分を追い込んだような経験はない。運が良かった根本的な要因が何かはさっぱりわからない。もちろん、ここから悲惨な運命が待ち受けているかもしれない。

非正規社員の方が挨拶しても無視する正規社員や、店員に横柄な態度の客や、常にマウントを取ろうとする人がいるが、心底理解できない。嫌悪感しかない。何でそんなに偉そうな態度を取れるんやと。

こういった目を覆いたくなる言動は、行き過ぎた能力主義が日本にもはびこっているからなのだろうか。「勝って兜の緒を締めよ」、「実るほど頭が下がる稲穂かな」、「奢れる者は久しからず」。常に心に留めておきたい。

機会の平等は、不正義を正すために道徳的に必要な手段である。とはいえ、それはあくまでも救済のための原則であり、善き社会にふさわしい理想ではない。(p.318)

機会の平等を超える仕組みは何だろうか。理想への道のりは険しい。しかし、能力がなくても、功績がなくても、幸福にはなれるはずだ。能力があって、功績があっても、幸福を感じられない人もまたいるだろう。

平均寿命から換算すると、私の人生の半分は過ぎ去った。自分の能力のでこぼこさと不甲斐なさも、もはや手に入ることのない功績の空白も、併せ吞んで、残りの人生何が幸福なのか考える時間が増えた。痛みなく動ける身体、心許せる友人、そして何より大事な家族。他に何があるだろうか。楽しいことをして、面白いことをして、気持ち良いことをして、美味しいものを食べる。

メリットから解放され、「運」と「縁」を大事に生きていく。残りの人生を日々考え、歩んでいきたい。

やれやれ。枯れたじいさんの感想文だな。

感想文22-16:李歐

高村薫さんの小説。こちらも会社の方にお借りした本。「マークスの山」と「照柿」を読んだのはたぶん、私が大学生の頃で、久しぶりに高村さんの小説を読んだ。

高村薫さんらしい、暗く重い文体で、特に序盤読み進めるのはしんどい。関西が舞台はいつものことで、関西弁と中国語が入り混じる展開に、とっつきにくさを感じる方もいるだろう。

とはいえ、後半から怒涛の展開で進んでいく。

本書の李歐は登場人物の名前。主人公である吉田一彰との関係でストーリーは進む。

李歐という歓喜。暴力や欲望の歓喜。友だちという歓喜。常軌を逸していく歓喜。(p.180)

一彰にとって「李歐=歓喜」の図式が生まれる。李歐で検索すると、出てくる出てくるBLのワード。そうだったのか、そんな風に読み解くことはできてない。女性が読むとBL小説的になるのか。

本書の時代背景は1970年代から90年前半。実際に起きた歴史的な事件を絡ませながら、二人は激動の時代を生きていく。

一彰は今は、年の初めに周恩来が死んだことを思い出しながら、李歐の口から語られる十年前の文革初期の話に耳を澄ませていた。もう十年にならんとする革命も、実態は共産党指導部の奪権闘争に過ぎなかったことが分かり始めている今日だった。(p.243)

本書で最も印象的だったのは、希望のカラ売りという言葉だ。

戦争が終わっても、植民地が独立しても、民主主義だの共産主義だのというて、どれだけの人間が希望の前売り券を自分の命で買うてきたか、いうことや。それでもその日は来ない。いつまで待っても、希望のカラ売りや。そういう時代やった。それでも、どこかの一点で時代は動いていくんやろう。文化大革命も、何百万人も死んで、あるとき終わった。ベトナム戦争も終わった。ベルリンの壁も崩壊した。誰かが動かしていくんや。誰が動かすか、や。そんな人間が、どこかの一点に出てくる。(p.509)

いつか平和な時代が来ると信じて多くの人が死んでいく。今のウクライナとロシアもそんな状況かもしれない。でもいつかある時、戦争が終わる。「誰か」が存在するのか、その存在を認知できるのかは分からないが、いつかは終わる。そう信じてやまない。

感想文22-15:沈黙

 

会社の方にお借りした小説。1966年の作品ということで、半世紀以上も前の小説だ。40代の私も生まれてない。だが読みにくさは全くなく、いや、最後の「切支丹屋敷役人日記」はさっぱり読めず、ググったら内容を教えてくれるサイトがあったので、私のように古文苦手な方はそれをお読みになるとさらに楽しめると思います。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

小説のテーマは「神と信仰の意義」。私は神を信じるかと問われると「信じる」と答えるが、神は存在するかと問われると「物理的には存在しない」と答える。無神論者ではなく、神頼みもすれば、神に祈ることもあるけれど、存在を否定する。面倒な奴だな。

さて、安倍元首相が暗殺され、にわかに宗教問題が脚光を浴びている。日本の10大新宗教(感想文16-35)では件の教団は登場しないが、ここまで特定の宗教団体が話題になったのは、オウム真理教以来ではなかろうか。

本書は新興宗教ではなく、世界三大宗教の一つである、キリスト教だ。あいにく、私はキリスト教のことを深くは知らない。

舞台は17世紀の日本。苛烈なキリスト教弾圧の最中に、まさに命と命よりも大事な信仰心をかけて、日本へ乗り込んでいった若きポルトガル人でイエズス会司祭のロドリゴの物語だ。

しかし日本での布教の旅は、苦難の連続で、ロドリゴのためにキリシタンの日本人が、苦しめられて、殺されていく

何を言いたいのでしょう。自分でもよくわかりませぬ。ただ私にはモキチやイチゾウが主の栄光のために呻き、苦しみ、死んだ今日も、海が暗く、単調な音をたてて浜辺を嚙んでいることが耐えられぬのです。この海の不気味な静かさのうしろには私は神の沈黙を―神が人々の歎きの声に腕をこまねいたまま、黙っていられるような気がして…。(p.93)

だが、神は答えてはくれない。奇蹟も起こしてくれない。本書のタイトル通り、「沈黙」が続く。

「すべてのものを腐らせていく沼」と言わせしめる日本の精神的土壌は、現代の日本においてもキリスト教が根付いているとは言い難い。

そんな沼地に種を撒かんとするロドリゴは、自分の信仰を守るか、棄教して日本人信徒を救うか、究極のジレンマを突きつけられる。これが本書のクライマックスだ。

彼は人々のために死のうとしてこの国に来たのだが、事実は日本人の信徒たちが自分のために次々と死んでいった。どうすれば良いのか、わからない。行為とは、今日まで教義で学んできたように、これが正、これが邪、これが善、これが悪というように、はっきりと区別できるものではなかった。(p.208)

現実社会では正邪善悪が混沌となり、トレードオフが発生する。ゲーム理論的には、棄教が支配戦略となるよう設定されたゲームにロドリゴは強制的に参加させられ、棄教を選択せざるを得ない。

私はロドリゴのようなピュアな信仰心を持ち合わせていない。同時に、特定の宗教への激烈な敵愾心や恨みも持ち合わせていない。ある程度の距離感を開けておきたいくらいの気持ちしかない。

究極のジレンマを突き付けられたロドリゴの気持ちを慮ることはできるが、感情移入は難しい。なぜそこまでしてキリスト教を布教しなければならないのか。逆になぜそこまでしてキリスト教の布教を阻止せねばならないのか。

本書のキリスト教文学としての価値や重要性を疑う余地はない名作であるが、他方で信仰心そのものが希薄な私は、やや取り残された感を覚える。

むしろ、世界史の中の石見銀山(感想文10-61)にあるように、かつては覇権国家であったポルトガルが短い栄華を終え、1580年にスペインに併合され、「ポルトガル本国が滅亡したため、多くのポルトガル人が日本へ亡命した」という説明はすんなり受け入れられる。

また、苛烈なキリスト教弾圧は、大久保長安ポルトガルと組んでクーデターを画策したので、一気に日葡関係が冷え込んだ説(あくまでも仮説)も理解しやすい。

ピュアな信仰心のポルトガル人が布教に来た日本で究極の選択に迫られるストーリーも、それはそれで理解できるが、その背景には、もっと信仰心に比べるとドロドロした、というかもっと人間の欲あるいは人間性そのものの、ビジネスや覇権争いが存在している。

安倍首相暗殺事件の犯人の同機は、金銭トラブルによる逆恨みと短絡的にまとめることはできるが、その背景には、ビジネスや覇権争いがある。「政教分離」と聞こえは良いが、相当なエネルギーをつぎ込んでも分離するのは現実的には難しいだろう。

政治も宗教も煎じ詰めれば権力闘争であり、行動原理は近く、親和性がある。宗教団体を取り込んだ自民党も宗教であるとするなら、自らの教義で宗教団体を排除した共産党も同じく宗教にしか見えない。多神教的な自民党一神教的な共産党と言い換えても良いだろう。

事実、ロドリゴのようなピュアな司祭がキリスト教を日本に布教しようとしたが、結果、頓挫している。結婚式は教会で、葬式は寺で執り行う。クリスマスにチキンとケーキを食べ、初詣は神社に行く。お経を聞き、賛美歌も歌う。また、宗教弾圧もないし、特定の宗教団体が帰属する信者以外の行動の自由を奪うこともない。

寛容なのか無頓着なのか柔軟なのかどう形容すれば良いか分からないが、多くの日本人はそうやって過ごしている。

考えてみれば、これが平和と呼べる状況だろう。あいにく幸福な状況であるとは申し上げにくいのだが。平和さは総じて聡明な国民が非寛容で多様性の乏しいイズムを選択してこなかった帰結であり、同時にもたらされている停滞感は愚鈍でもある国民が背景にある矛盾を見て見ぬふりを続け、ささいな変革ですら先送りしてきた帰結でもある。

カルトな宗教団体を排除できるかどうか、今(2022年8月7日時点)、大きなテーマになっているが、この熱はいつまで続くだろうか。そりゃ騙された人はたくさんいるし、利用し、利用されてきた政治家もたくさんいる。宗教二世はお気の毒としか言いようがない。

たぶん熱は長くは続かないと思う。新たな規制ができるわけでもないだろう。結局はほとんどの人は被害者でなく、身の危険を感じてないからだ。事件を起こしたのはカルト教団ではなく、信者二世であり、被害者は一般国民ではなく元総理大臣なのだ。血盟団事件(感想文14-17)のような信者による要人への暗殺事件ではないのだ。殺されるかもしれないという恐怖心が政治を支配した1930年代とは全く異なっている。

今回の事件で学ぶべきは、カルト教団に近づかない、関わらないってことだ。そして、自分が信じているものや知っていることを疑う姿勢だ。実行は難しいし、精神的に辛いときにカルトは忍び寄ってくる。

でも国家はカルトを排除しないし、国民を守ってもくれない。常に考え、疑い、慎重に行動するほかない。なかなかできることではないんだけどね。

感想文10-61:世界史の中の石見銀山

※2010年8月15日のYahoo!ブログを再掲

 

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石見銀山は、2007年に世界遺産に登録され、日本でもその知名度が高まった。かくいうぼくも石見銀山のことはまったく知らなかった。そしてこの本を読むまで、日本で銀を産出した山くらいにしか思っていなかった。

本書は石見銀山に関する新書だと思ったら、そうではない。大航海時代における日本の立場を再認識させられるスケールの大きな本だ。そして、そこに石見銀山が深く関わっている。

SFと歴史小説とミステリーが混在したような一冊で、純粋に面白く読めた。もっとぼく自身が世界史と日本史に精通していればもっと堪能できたんだろうけれど。

本書では、日本とポルトガルの知られざる深い関係について仮説を示している。

なぜ、ポルトガル語が、たくさん流入したかといえば、ポルトガル人が、大勢いたからである。なぜ、ポルトガル人が、大勢いたかといえば、ポルトガル本国が滅亡したため、多くのポルトガル人が日本へ亡命したからである。

確かに今でもポルトガル語はたくさん残っている。合羽、ボタン、タバコ、パン、バッテラ、金平糖、カルタ、トタン、ビードロなどがそう。アメリカ大陸を挟んだ遠い国の言葉がこれだけ残っているのは、それだけポルトガル人が日本に来たからだ。

てっきり、大航海時代に黄金の国を探し、キリスト教を広めるために、日本に来て文化や言葉を伝えていったと無邪気に思っていたら、1580年にポルトガルが滅亡して、スペインに併合され、それで日本に亡命に来たというではないか。うーむ。

なぜ、ポルトガルの宣教師たちは、大友宗麟の名を騙ってまでして、遣欧使節を送ったのだろうか。(中略)ローマ法王に直訴して、日本におけるポルトガル人の努力と功績を訴え、(中略)せめてスペインの支配を和らげるよう、法王の影響力を行使してもらう狙いがあったのではあるまいか。同時に、日本に亡命したような状態のポルトガル人すべての窮状を訴える目的もあったにちがいない。

天正遣欧少年使節がローマへ出航したのが、1582年。使節の一人である伊東マンショは、大友宗麟の縁者ではあったが、宗麟が任命したわけではないようだ。なぜ嘘をついてまで法王に会いに行ったのか。そこには祖国が無くなってしまったポルトガル人の藁にもすがる思いがあったのかもしれない。

そして、この辺から一気にストーリーのスケールが大きくなるし、石見銀山が関係してくる。

大久保長安の親ポルトガル政権樹立を目指したクーデター計画に関して、日本側、オランダ側それぞれに記録があり、細部では異同があるものの、おおよそ一致していることは、動かし難い事実である。

大久保長安(1545~1613)は、戦国時代の武将であり、徳川家康の家臣となった。石見銀山が徳川家に接収されると、長安は銀山の奉行となった。そう、御奉行様。

しかし大久保長安が亡くなると、長男の7名は、家康に皆殺しにされ、一族は身分を剥奪された。長安に至っては、墓を掘り返されて、首を切られて、晒し首にされた。何がそこまで家康の怒りをかったか。これまでは長安が銀山を利用して、不正に蓄財したことが原因とされてきた。

本書では、何とポルトガルと組んでクーデターを画策していたという、一見、突拍子も無い仮説が示されている。これが本当だったとしたら、そりゃあ、家康もぶち切れるわ。

こうして石見銀山が急にギラギラしたものに思えてくる。ずっと平和だと思っていた日本でクーデターだなんて。その舞台になったのが、石見銀山。うーん、一度行ってみたい。

こんなこと(あくまで仮説です。)があったし、日本は鎖国に突入するしで、日葡関係は一気に疎となった。かろうじて、ポルトガル語や天ぷらや南蛮漬けといった料理が残っているくらい。

現在、日本で最も知られているポルトガル人は、きっとクリスチアーノ・ロナウドだろう。文化的にはすっかり疎遠だ。

それでも、日本とポルトガルが極めて近蜜だった時期があったのは確かだ。クーデターが本当に成功していたら、まったく異なる歴史になっていただろう。うーむ。ポルトガルにも行ってみたい。

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(感想文の感想など)

今現在、石見銀山には行けていない。行ってみたいけれど、ちょっと遠いんだよなぁ。ポルトガルにも行ってみたいが、仕事で行く機会はさすがになさそうだな。

大久保長安のクーデター説はどこまで信ぴょう性があるのだろうか。

感想文22-14:クロード・シャノン 情報時代を発明した男

本書の主人公は、クロード・エルウッド・シャノン(1916-2001)。ウィキペディアよると『アメリカ合衆国の電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。』とある。

シャノンと同じ1916年生まれは、フランシス・クリック、五島昇、フランソワ・ミッテラン。1912年生まれのチューリング感想文22-10参考)よりちょっと年下にあたる。

本書を手にするまでクロード・シャノンを全く存じ上げなかった。

シャノンのその後の人生とアメリカ科学界の針路を決定づけた人物に、人を見る目があったおかげだ。その人物とは、ヴァネヴァー・ブッシュである。(p.35)

ヴァネヴァー・ブッシュ!ここでその名前が出てくるとは!アカデミック・キャピタリズムを超えて(感想文10-68)にも登場するが、ヴァネヴァー・ブッシュはアメリカのサイエンスの歴史を語る上で欠かすことのできない大物だ。

ブッシュがシャノンを見出し、そしてブッシュの政治力によってシャノンはその才能を十分に発揮していく。

脱線するけれど、ブッシュについてちょっとだけ補足しておこう。

ヴァネヴァー・ブッシュの輝かしい業績のリストのなかには、アメリカにおけるこの優生学の抹殺への寄与を加えるべきだろう。優生記録所に資金を供出しているワシントン・カーネギー協会の会長としての立場を利用して、断種に熱心な所長を解任したうえで、1939年12月31日には記録書の閉鎖を命じたのだった。(p.78)

どこの話かというと、かの有名なコールド・スプリング・ハーバー研究所(CSHL)だ。20世紀前半は優生学研究でも知られていたらしい。そんな暗い生い立ちがあったとは。そんな優生学をシャットダウンしたのはブッシュで、1940年にブッシュはシャノンをCSHLに送り込む。シャノンはそこで分野としては畑違いだけれど、遺伝学の分野で仕事を行い、博士論文を仕上げた。

シャノンと同い年のクリック(2004年没)とワトソン(今現在、存命!)が1953年にDNAの二重螺旋構造を示すずっと前に、遺伝学と情報科学を結び付けていたブッシュの慧眼には驚かされる。シャノンも凄いが、ブッシュの目利き能力も凄まじい。

1930年代、「記号を使った計算」すなわち厳密な数理論理学と、電気回路の設計のどちらの分野にも精通している人間は、世界に一握りしか存在しなかった。<中略>シャノンの頭のなかで融合する以前には、このふたつの分野が共通点を持っているとはまず考えられなかった。論理を機械にたとえることはできても、機械が論理を実践できるわけではないと信じられていた。(p.57)

博士論文から遡って、シャノンの業績で燦然と輝いているのは修士論文だ。スイッチのオン・オフが複雑な計算をこなせる、今のコンピュータの基本原理だが、これをシャノンが修士論文で示したのだ。

スイッチが記号に置き換えられると、どんなスイッチかはもはや重要ではなくなったのである。重くて扱いにくいスイッチから分子スイッチまで、いかなる媒体であってもこのシステムは通用した。<中略>あらゆるステップは0と1の二値(バイナリ)論理に基づいて進行していく。(p.66)

こうしてコンピュータはスイッチの開発へとつながっていく。より小さく、安価で、安定的で、高速で、省エネな仕組みが望まれる。電磁石、真空管トランジスタ集積回路(IC:Integrated Circuit)、大規模集積回路LSI:Large-Scale Integration)へと発展していく。

その後、シャノンは、情報理論という新しい数学的理論を生み出した。

1948年、シャノンの理論的研究は解答と同時に多くの疑問も投げかけた。<中略>彼の論文の大きな特徴は後世への影響である。彼の論文をきっかけに新しい研究分野がまるごと誕生し、対話や話し合いが促され、それは本人がこの世を去ったあとも続けられてきた。<中略>これだけ影響が長続きした論文はまずない(9万1000回以上も引用され言及されている!)。(p.377)

シャノンは情報理論で先駆的かつ歴史的な仕事を行うと同時に、チェスのためのプログラミングやジャグリング定理、株式市場の研究など、ユニークな研究を、自由気ままに進めていく。

マレー・ヒルのオフィスに出勤するとしても到着する時間は遅く、集会所でチェスやヘックスなどのゲームに興じて1日を過ごした。ボードゲームで同僚を打ち負かしていないときには、ベル研究所の狭い通路で一輪車に乗っている姿が目撃され、乗ったままジャグリングをしているときもあった。あるいは、ベル研究所のキャンパスをポゴスティック(ホッピング用の玩具)で跳ね回っているときもあり、給与を支払っている関係者の当惑ぶりが目に浮かぶようだ。(p.274)

俊英たちの集うベル研究所においてさえ、天才シャノンは自由を享受することが認められていた。自由というのは、奇行が許される環境にあるということだ。

シャノンは根本的に内向的な人物で、科学界での地位のわりには仲の良い友人が少なかった。<中略>このような人物像を考えると、チューリングと熱心にコンタクトを取り続けたという事実そのものに、ふたりで話し合ったいかなる内容よりも驚かされる。ふたりがベル研究所で共に過ごしたのは数か月にすぎないが、そのあいだにチューリングから信頼され友情を育んだという事実は、ふたりがお互いに相手を高く評価していた何よりの証拠だ。(p.152)

戦争によって自由に好きなことを話せる立場にはなかったため、チューリングとシャノンの関係ははっきりしないが、互いに信頼しあっていたようだ。チューリングが若くして亡くなったのは本当に惜しまれる。

さて、チューリングは人生が短く、日本との関係はほとんどなかった。しかし、シャノンは日本と関りが少しだけある。なんと、京都賞の第1回受賞者なのだ。

1984年に創設され、今ではノーベル賞に匹敵する偉大かつ著名な賞である京都賞。シャノンは存命中にノーベル賞を受賞できなかったが、京都賞を受賞している。きちんとシャノンの業績を評価した審査選考委員やプロセスには脱帽しかない。

先日、2022年の京都賞が発表され、先端技術部門を受賞したのは、カーヴァー・ミード氏で、対象となった業績は奇しくも「大規模集積回路(VLSI)システム設計の指導原理の構築と確立への先導的貢献」だ。

www.kyotoprize.org

第1回のシャノンの業績「情報技術の数学的基礎となる情報理論の創成」が基礎となり、VLSIのシステム設計が進み、エレクトロニクス産業が花開いていく。

今私たちはさも当然のように情報科学の恩恵を受けているが、天才シャノンが切り開いた数学分野がコアとなり、人類の叡智がつまった結晶へと昇華している。

情報理論からコンピュータ、そしてスイッチ開発の流れがようやく私にも理解できるようになってきた。