40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-01:なぜ科学を学ぶのか

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本屋で購入した新書。池内さんの本はこれで3冊目となる。

私自身は科学者ではないが、科学者と接する仕事をしている。世間の科学者に対するイメージは、常に白衣を着ているとか、偏屈な白髪の老人だったりするだろうか。そんな人は現実にはいないとは言い切れないものの、私が知る科学者は実に多種多様だ。

そもそも科学が包摂する学問分野は広く深い。そこで科学を生業としている人たちは、年齢も性別も人種も国籍も違うし、温和な人もいれば短気な人もいるし、ぐわーっと集中してしまう人もいれば、ほわわーと常に発散し続けるような人もいる。まともにコミュニケーションを取るのが難しそうな人もいるし、逆に異常なコミュニケーション能力を発揮する人もいる。頭の回転が速すぎて口の物理的な動きと同期しない人もいるし、寡黙で何を考えているのか分からない人もいる。人格者もいれば、怒りをコントロールできない人もいる。

科学は包容力があり、社会生活を送るのが難しそうな人も受け入れる。むしろ世に出さないほうが良さげな方を閉じ込める檻的な役割もあるような気もする。私が偉そうに言える立場ではないのだけれど。

仕事をしていて楽しいなと思える時(あんまりないけれど)は、研究そのものの面白さに触れる瞬間だ。しかも異なる分野について学べる機会があり、私が不案内な研究領域についてその最先端を感じられるのは、貴重な経験だと思う。

さて、仕事で科学を学ぶ機会があるのだけれど、改めて考えて見るに本書のシンプルな問いについて、私ならどう答えるだろうか。小6の長男からこの質問をされたらどう答えるだろうか。

小6の長男が知っている科学者といえば、iPS細胞の山中先生であり、お会いしたことあるよ(ノーベル賞受賞前)と言ったら、珍しく尊敬の眼差しで見られた。

科学的とはどういう意味か(感想文11-48)を思い出す。科学で「再現性」は極めて重要な要素だ。

勉強は、単に知識を増やすためだけではなく、その知識を生み出す過程で、どのような考え方がとられ、どのように研究が進められ、どのようにして人類共通の財産として活かされるようになったか、を学ぶためでもあります。(p.207-208)

科学の面白さはその歴史にあるとも言える。「宇宙はどうやってできたのか」とか「生命はどうやって誕生したのか」といった根源的な問いがあり、多くの人は夢中になって研究した。もちろん解が出ているわけではない。

遺伝の仕組みが再発見され、DNAの二重螺旋構造が解明され、すべてのヒトDNAが解読され、いまやDNAを書き換える技術まで登場している。危うさと背中合わせかもしれないが、科学的な探求が認識の在り方を変容し、人間の活動領域を拡張していく。

科学を学ぶことは、未来を創ることにつながると私は思う。

提起されている問題には、科学に問うことはできても科学で答えることができない問題もたくさんあります。これを「トランスサイエンス問題」と言い、何らかの答えを得ようとすれば、科学以外の論理を持ち込まねばならないのです。(中略)何事であれ、科学によって明快な答えが得られると思うことは傲慢であるかもしれないからです。(p.119)

時に知は傲慢に映る。しかし、真なる知性は謙虚さと同居すると信じたい。何より、サイエンスですべて解決するなんてことはありえないのだ。

これは私の愚痴ですが、国の政治がもっと「科学的」であることを望みたいと思っています。(p.112)

完全に同意します。科学的思考ができる方が立候補しないことには難しいのだろうか。偉い科学者は政治的に振る舞うのもまた上手いのだけれど。

読書感想文の再開第1号は「科学」にまつわる本となった。論理の厳密さは無視して、ただただ思いついたことを書いていきたい。科学者に憧れていたが、科学者になれなかった(選ばれなかった)人間による感想文をこれからも書いていきたい。