40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文09-50:グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換

f:id:sky-and-heart:20200214182850j:plain

※2009年8月7日のYahoo!ブログを再掲。

 

↓↓↓

この世でいちばん大事な「カネ」の話(感想文09-46)で登場した「マイクロクレジット」に関係して辿り着いた本。

舞台はバングラディッシュ

そもそもバングラディッシュに行ったことのある人は少ないだろう。ぼくも行ったことがない。だいたい観光スポットがない。政治的混乱が続き、パキスタンとドンパチやらかしている危険な国というのが率直な印象だろう。

実際にバングラディッシュは貧しい。人口は1億5千万人(世界で7番目に多い)と日本よりも多く、大多数は農村部で生活し、貧困のループから抜け出せないでいる。

そういう状況を打開するために始まった試みが、マイクロクレジットだった(これについては改めてちゃんとした本を読みたい)。そして、その試みの中心となったグラミン銀行と協力して始まったもう一つの試みが、グラミンフォンだった。

簡単に言うと、バングラディッシュの貧しい村々に携帯電話を配置し、そこからビジネスを生みだし、貧困から抜け出す事業だ。大事なのはあくまで“事業”ということ。

この発想の根幹は、「つながることは生産だ」という理念だ。

そして、もう一つ大事なのが、マイクロクレジット創始者であるユヌスの「施し物は独立心を奪い去り、貧困を継続させる」という哲学だ。

つまり、「援助ではなく投資」がキーワードになっている。

単に、貧しい村に携帯電話を配れば、それで済む話ではない。使い方を伝授すれば良いのでもない。つながることは生産であり、そこからビジネスが生まれる。そうなると携帯は飛ぶように売れ、事業として成立するようになる。

素直に驚かされるのが、携帯電話の使われ方だ。バングラディッシュでは、財布であり、パソコンであり、銀行であり、もちろん電話でもある。これまで銀行口座を持ったことのない人が、携帯電話を見事に使いこなし、金銭取引の基盤となっている。

日本では携帯電話というと、「ケイタイ」とやや蔑んだ表現となり、多くの保有者は、電話、メール、写真・動画撮影、ネットくらいの機能しか利用していないだろう。そして、ケイタイ依存症といった負の面ばかりが強調される。

しかし、本書を読むと、携帯電話が悪いわけではない、という当たり前の事実に改めて気付かされる。

貧しい国にこそ携帯電話は必要だ。貧富にかかわらず、誰かとつながることは生産に等しいのだから。

村に固定電話がなく、銀行のATMもなく、安定的に電力も供給されず、1日の稼ぎが1ドル以下。そんな人たちに携帯電話が必要だということを誰が信じるだろう。グラミンフォンは、まさに奇跡と呼ぶに相応しい。その奇跡の軌跡を本書は詳細に記述し、そしてバングラディッシュ以外のアフリカ諸国や中東での試み、携帯以外の事業についても紹介している。

グローバル経済とはまさにこういうことかも知れない。アメリカナイズとかそんな安っぽい抽象概念では決してない。

最後に印象的だった言葉を記録しておく。

「社会で最も平等なのは死で、その次がITだ。」

バングラディッシュでは確実にIT革命が起きている。

↑↑↑

 

(感想文の感想など)

驚くのは2009年の時点ではスマホという言葉は存在してなかったということだ。またバングラデシュではいち早くキャッシュレス化がグラミンフォンによって達成されていたということだ。

改めてユヌスの哲学である「施し物は独立心を奪い去り、貧困を継続させる」にはっとさせられる。ついつい、先進国目線で途上国の貧困問題を捉えがちだからだ。

そういえば、バングラデシュには行けてない。東南アジアはあんまり行ったことないんだよな。近いしいつでも行けるかと思っているからかな。