40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文13-17:〈反〉知的独占 特許と著作権の経済学

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※2013年3月13日のYahoo!ブログを再掲。

 

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本書は1年以上前に読んでいたけれど、感想文としてまとめてなかった。その理由は、ちゃんとまとめるには非常に労力が必要となるだろうし、本書を読んでからの自分の立ち位置を決めることがうまくできなかったからだ。

本書は、特許と著作権について否定的だ。

本書では証拠と理論の両方を見る。われわれの結論はこうだ。作り手の財産権は「知的財産」がなくても充分に保護されるし、知的財産はイノベーションも創造性も伸ばさない。これらは必要悪なのだ。

これが本書の結論であって、知的財産権制度は必要悪だと言ってのけている。この結論に対して、拒絶反応を起こす人もいるだろう。私も拒絶反応とまではいかないが、どうにも落ち着きの悪さを感じてしまい、結局うまく整理することができなかった。

改めて読み返して、整理してみたい。とはいえ、本書は非常に論理が明快なので、補足することはあんまりないかもしれない。むしろ、明快にすべきなのはぼくの立ち位置だ。端的に言うと、本書の結論に全面的に賛成する立場だ。

知的財産権制度の大きな二つの柱-特許や著作権-にはさまざまな欠点があるが、発明と創造性の成果を享受するには我慢しなければならない必要悪なのだろうか?それともこれは不必要悪で、政府がお気に入りのおべっか使いたちに日常的に独占を許していた前時代の遺物なのだろうか?本書ではこの問題への答えを探す。

これまで知的財産権制度の問題点については聞いたことがあったけれど、その根幹を疑うという書籍に出会ったことがなかった。国家の発展にイノベーションが必要というのは分かるのだが、そのイノベーション知的財産権制度は果たして寄与しているのか。そのことをきっちりと知りたいと思うようになった。

競争を抑制して特権を得ようとする浪費的な取り組みを、経済学ではレントシーキングという。歴史と常識が示すように、これは合法的独占の毒入り果実だ。

ウィキペディアの説明も引用しておこう。『経済学における公共選択論における概念の一つで、「特殊利益追求論」とも呼ばれる。企業がレント(参入が規制されることによって生じる独占利益や、寡占による超過利益)を獲得・維持するために行うロビー活動等を指す。これによる支出は生産とは結びつかないため、社会的には資源の浪費と見なされる。』

ふむふむ。生産者にとって独占は魅力的だ。その独占状態をできるだけ長引かせようと、独占で得た利益を独占維持のための活動に費やす。結果として、消費者余剰は低くなってしまう。

知的財産法はあなたが手にしているあなたのアイデアのコピーをあなたが管理する権利ではない。(中略)知的財産法とは、自分の手にある他人のアイデアのコピーを、その他人が管理する権利なのだ。

なるほど。知的財産権制度はいくら勉強しても分かりにくい。目に見えないアイデアの管理であり、しかも自分がコントロールするだけでなく、他人にコントロールされることも含まれている。

知的独占を支持する経済学的議論というのは、知的独占がないとアイデアを生み出すインセンティブがないというものだ。従来の理論は、固定費と限界費用一定に基づいている。(中略)完全競争は価格を限界費用に押し下げ、利潤はゼロに追い込まれる。つまりアイデア生産の固定費は回収できない。したがって知的独占がなければイノベーションはない、というわけだ。

知的財産権制度が正当化される理由として、よく言われている。それでもずっと納得できないでいた。なぜなら、知的独占とイノベーションの間にどうしても論理の飛躍があるからだ。

ひとたび発見されたアイデアはだれでもフリーに模倣できるという見解は蔓延しているが、事実とかけ離れている。アイデアが費用なしで獲得できる例もたまにあるが-概してアイデアは伝達が困難で、伝達するリソースには限界がある。(中略)つまり、ほとんどのスピルオーバーには価格がついているのだ。

簡単に模倣されないように知的財産権制度があるが、実態には簡単に模倣することは難しい、とのこと。

基本的なシュンペーター派の議論は、ひとたび独占が成立すると、独占者は他者が競争をもって席捲するのを許すどころか、概してレントシーキングに乗り出すという事実を忘れている-その規模と政治的影響力を利用して、市場での地域を政府に守らせるのだ。

シュンペーターについてあんまり勉強していない。ハイエクと同じオーストリア学派なんだよね。レントシーキングは表に出ない。ちゃんとそこが定量的に評価できれば、知的財産権制度も変わることだろう。

特許保護の導入や強化がさらなるイノベーションをもたらすかどうか、第二次世界大戦後の先進国のデータを用いて多数の科学的研究で検証が試みられてきた。この問題を実証的に調べた経済研究は、23件確認されている。要旨-これらの研究では、特許制度の強化がイノベーションを増加させるという根拠は乏しいか、存在しなかった。

特許制度について様々な意見があるが、弱くしようという意見は存外聞いたことがない。特許制度の強化、要はプロパテント政策は、本当にイノベーションに寄与しているのだろうか。その点を本当にしっかりと定量的に分析することが重要だ。

特許が医薬品のイノベーションに有益な役割を果たさないことは見た。多数の新しい健康や人命を救う製品を奨励するどころか、この制度はまちがった種類のイノベーションや費用を作り出しすぎる-他人の特許を迂回して儲かる独占の分け前にあずかろうとするまねっこ薬への投資、そして独占力に基づく大量の広告マーケティング費だ。

ぼくは医薬品だけは、そのビジネスモデルから、特許制度とフィットすると考えていた。この点だけは、やや同意できないかもしれない。とはいえ、新しい薬は生み出されていない。その背景に特許制度があるのかもしれない。

「われわれの現在の知識に基づくかぎり」、唯一の社会的に責任ある行動とは、知的財産保護を徐々に、だが効果的に廃止することだ。

うむ。知的財産権制度をいきなり全て無くしてしまうことは現実的ではない。徐々に廃止するということが現実的だけれど、既得権益のある者から強烈な反対があるだろう。弁理士業界と既に独占を享受している企業だ。そして、国際問題でもあり、日本一国が知財の保護を弱めてしまうと、日本だけが損をしてしまうことになりかねない。誰も先に自分から逃げられない、そんな状況を解決するのは、非常に難しいだろう。

あとがきでは、こうある。

すでにご承知の通り、知的財産権を保護したがるのは、既得権を持っている人、企業、国だ。そしてかれらはクリエーターや発明家を守るといいつつ、実はそんなことはまったく気にかけていない。新規のイノベーションに投資するよりも訴訟でライバルをつぶし、既存の発明や創作の上にあぐらをかいて、悪質なレントシーキングに精を出すことになる。

確かにそうだ。特許制度でもっとも浪費だと思うのが、パテント・トロールだ。自ら何かを生み出すことなく、購入した特許権を用いて、それを侵害しているとして企業を訴え、賠償金をせしめる。そのトロールへの投資もあり、その投資によって新たな特許を購入し、訴える。

トロールの問題があるのは、アメリカ国内の問題であるので、行き過ぎた知財権保護の政策も結局は、その国の発展を阻害し、多くの国民を苦しめることになるだろう。

知財の保護は良いことだという素朴な思い込みは、今すぐに捨てた方が良い。知財の保護はあくまで手段であり、その手段が正しくないのであれば、是正、時には撤廃することが望ましい。しかし、既に動いている大きなシステムを果たして止めることができるのか。

不必要悪なシステムとまで言われてしまっている知的財産権制度と今後どのように付き合っていけばいいのだろうか。できることなら付き合わないで済むようにしたいけれど、著作権の問題は人事でないし、常に関わらざるをえない問題だ。

本書は、知的財産権制度の本質を見極め、疑うという、当たり前のことを思い出させてくれた。

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(感想文の感想など)

出版された当時、結構、話題になった。ところがそれ以降、議論は活発化していない。

知的財産権制度は必要悪」という明快な結論であるが、不必要悪とも不要とも言っていない。知的財産権制度についての実証研究も乏しい。

ざっと調べてみたけれど、当時から動きはない。これはこれで不思議。