40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文18-39:炎上とクチコミの経済学

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※2018年9月27日のYahoo!ブログを再掲。

 

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人質の経済学(感想文17-24)以来の○○の経済学シリーズ。著者の山口 真一さんは1986年生まれということで、かなりお若い。まだ30代前半。

本書の最大の特徴は、豊富な統計データと上記のような手法を用いた様々な実証分析によって、クチコミと炎上という「ネット上の発信」の実態を明らかにしたうえで、炎上への具体的な予防・対処方法を提示し、ソーシャルメディアを効果的に活用する方法を述べている点である。いわば、実証的なデータを元とした初めてのマニュアル本と考えている。(p.004)

ネット上の発信(ポジティブとしてのクチコミ、ネガティブとしての炎上)を実証分析し、さらには炎上への具体的な対策まで提示している。テーマは時流に乗ったものであるが、きちんと経済学の基本を踏まえている。何よりも小難しくはない。

私自身はツイッターをやってない。炎上を経験したことがない。実際の炎上したケースを知るのは、オールド・メディアでも話題になった時点がほとんどのため、ずいぶん燃え盛った後だ。

また、私が属する組織においても広報担当というわけでもなく、広く発信している職務はなく、その立場でもない。この小さなブログで誰が読むとも分からない感想文らしき何かを残している程度で、なおかつ大したことを書いていないので、クチコミが広がることもなければ、炎上するような燃料も投下していない。たぶん。

クチコミの消費押し上げ効果について、筆者は2016年に執り行った約3万件のアンケート調査データから、計量経済学的手法で経済効果を測った。その結果、(中略)その効果が日本全国で年間1兆円以上にのぼることが明らかになった。(p.029)

クチコミを参考にして、買おうとしていなかったものを新たに買ったり、これまで買っていたものよりもスペックの良いものを買ったりしたケースがある。こういう効果が年間1兆円もあるというのだから驚きだし、企業側もこの効果を無視できないだろう。ところが、良い面ばかりではない。

大規模な炎上に限ると、最大で5%程度の(株価の)下落が見られたという。平均的な効果を比較すると、実は航空機事故や化学爆発による株価の下落幅と同程度の数字である。(p.070)

今や大規模なネット炎上は、航空機事故に匹敵する負の効果がある。単に株の下落幅(割合)のことなので、単純比較はできないが、ネット上の発信でミスったり、きっかけは難癖に近いクレームだとしてもその対処に誤ると、思わぬ損失を被ってしまう。

2014年の約2万人を対象とした調査分析の結果は、驚くべき炎上の実態を示した。炎上について、過去全期間を通して1度でも書き込んだことのある人はネットユーザの1.1%にとどまり、これをさらに過去1年間-つまり「現役の炎上参加者」に絞ると、わずか0.5%しかいないことが分かった。(p.095)

炎上を起こしているのはわずか200人に1人というごくごく少数の人間でしかない。本書で書かれているが、炎上を起こす人は四六時中ネットを見ている引きこもりではない。また悪意を持って炎上を起こしているというわけでもない。知的水準のそれなりに高く、普通に働いていて、30代の係長クラスで、そして自らの行動は自らの正義に基づいている、という傾向にあることが統計的に示されている。

もちろんすべての炎上を起こした人がその属性に当てはまるわけではないが、悪意のある社会不適合者が火付け役というのは間違ったステレオタイプだ。

一昔前、ネットの世界では「祭り」という現象が存在した。電子掲示板が盛況だった頃で、ここからアスキー・アートや電車男が生まれた。もしかしたら、私がおじいちゃんになった頃には、インターネット黎明期の頃の出来事として教科書に載っているかもしれない。

電子掲示板もミクシイも廃れ、ファイスブック、ツイッター、インスタグラムといったSNSが盛んになっている。誰しもが発信可能で、文字情報だけでなく、写真も動画も簡単に共有できるようになった。

でも大量にある情報に埋もれないようにするために、差異化するために、発信者は知恵を絞るようになった。それがエスプリなのか、ジョークなのか、エッジの効いたとかウィットと呼ぶのかは分からないが、目立ったことをすると時に賛同を得られ、時に激しく非難される。それを事前に予測するのは難しくなっている。

「自分がやられて嫌なことは相手にもしない」「他人の価値観を認める」という、「他者を尊重する」という想いをみなが持つこと-それが最も重要なのではないだろうか。すべてが表出する社会だからこそ、このような当たり前の道徳がより必要なのである。(p.230-231)

それでも私は楽観的に世の中が良くなりつつあると信じている。いずれウソはバレるし、謂れのない炎上は鎮火するし、フェイク・ニュースもフェイク・ポリティクスもフェイク・アカデミズムも淘汰されるだろう。たぶん。

短期的な利益(金銭的な儲け、不満の解消、販売部数、支持率、業界でのプレゼンスなど)は、これからはさほど重視されなくなるだろう。その人自身が何を誰に発信したか、そういった情報が残るので、長期的に信用されるような行動を取ることが重視される。ウソ、約束破り、デマの拡散といったことは、その人自身の信用を毀損することになるだろう。

とはいえ、恐怖を感じるのも事実だ。何を発信しても、悪意(本人は正義だと信じようとも)のターゲットにされると、火のないところに煙を立たせ、あるいは放火され、社会的に悲惨な目に合うかもしれない。ネット世界での炎上が現実世界の飛行機墜落と同じ負の効果をもたらすように、ネット世界の炎上が現実世界の放火や交通事故や通り魔やテロと大差ないような被害を個人が被るかもしれない。

私は、情報社会が成立していく過程をちょうど横目で見ている世代だ。イマイチ、情報社会にのめり込めていないし、その本質を理解してもいない。ましてや未来も予測できそうにない。世の中が変わりつつあると、ずーっと耳にしている。本当に世の中の変化が早く、ついていけない年齢になってきたように思う。

大きな潮流も分からず、最先端のテクノロジーも分からず、若い人たちの流行りも生活習慣も思考パターンも分からない。でも、だからこそ、著者の言う情報社会では「他者を尊重する」ということが大事ということであれば、これからも何とか生き抜いていけると信じたい。

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(感想文の感想など)

炎上したってことでニュースになる。鎮火しつつあるのにまた油を注ぐ。

こういうのはいつまで続くんだろうか。

このブログでは自然発火しそうな案件を取り扱いません。それでも炎上するときはするんだろうな。