40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文10-32:物質のすべては光

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※2010年5月12日のYahoo!ブログを再掲。

 

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現代物理学の最前線をできる限り、分かりやすく記述したのが本書だ。

著者はノーベル物理学賞を受賞している。なんと22歳の頃の業績がその対象となった。非常に丁寧に描かれている。好感が持てる作品。

ところがだ。さっぱり分からない。分からない理由は、人間の常識(と思っているもの)とは、量子の世界はあまりに異なりすぎているからだ。見ることも感じることもできない世界がある。その世界に理論がまず先にたどり着き、実物(リアリティ)が後になって観察される。

そう、理論の後に、冥王星が発見されたように。まあ、冥王星の発見は、ニュートン力学によるものだけどね。

高校のときは物理の授業が好きだった。先生の教え方が上手だったこともあったけれど、理論の明快さと競争が楽しかった。

競争というのは、理系の2クラスが試験をして、上位と下位に分類されることだ。ところが、下位クラスの物理の講師は、進学校にしてはあるまじき不出来な人間で、物理を本当に知っているかどうかさえ怪しい人物だった。恐ろしいことに、一度下位に落ちてしまえば、上位に戻るのは困難であり、物理の学力格差が固定化してしまっていた。

ここに苛烈な競争が生じる。上位クラスは下位に落ちまいと猛烈に励み、下位クラスは上位に戻ろうと(ほぼ)独学で勉強する。なお、下位の下位は、あきらめて文転していたけれど。

結果的にぼくは物理で下位グループに落ちることはなかった。それどころか、上位グループで常に上位の成績を収めていた。へへん。まあ、というように高校物理でそれなりの成績を収めていた人間にとっても、この本はさっぱり難しい。ニュートン力学で終わってしまっている脳みそでは、太刀打ち出来そうにない。

高校の話をしたのは、その上位グループの物理の先生の授業を急に思い出したからだ。

先生は、黒板に原子の絵を書いた。そう、核があり、その周りを電子(-)がくるくる回っている感じのアレだ。核は陽子(+)と中性子からなっている。そこで先生から質問があった。

先生曰く「電子と陽子は引かれ合うはずだ。なぜひっつかないのか。」

生徒曰く「地球と月が重力で引かれ合いながらも、ひっつかないように、電子が核の周りを回っているからではないでしょうか。」

先生曰く「なるほど。ではなぜ、核には複数の陽子が存在するものもあるが、それらは反発しあわないのだ。」

ずがーんときた。思いもよらなかった。考えもしなかった。確かにそうだ。陽子と陽子は電気的には反発しあうのが道理だ。でもいっしょになって核を形成している。ちなみに電子は陽子の周りをくるくると回っているわけではない。もっと確率論的なのだ(この時点で、存在の常識とは大きく異なる)。

これが物理の授業でちょっぴりでてきた量子力学の小ネタだ。しまった。今思い出した。男子校出身だったので、大学でも男ばかりの生活は嫌だと、理学部と工学部を早々にリジェクトしたんだった。物理を選んでいれば、大学で生物の授業に苦しまなくてすんだのに…。

本書が難しかったので、どうしても思い出話ばかりになる。すみません。

印象に残った部分を抜粋してみる。

原子のスペクトルが光の波長を見るものであるのに対して、ハドロンのスペクトルは重さを量るものなのだ。

ハドロンというのは、強い相互作用をする粒子の総称。強い相互作用というのは、まさに複数の陽子が核を形成している力のことだ。なお、ハドロンは、クオークグルーオンから成る。うん、この辺で勘弁してください。

現代物理学の大きな謎のひとつは、空虚な空間がさまざまな機能を担っているにもかかわらず、わずかな質量しか持たないのはなぜか、ということだ。

わたしたちが空虚な空間と認識する実体は、じつは、多層構造で、多色の超伝導体なのだ。

最先端の物理の研究対象は、空虚にある。原子を細かく見ていくと、陽子や中性子や電子になり、さらに細かく見ていくと、クオークとかグルーオンになる。グルーオンには色荷(カラーチャージ)がある。じゃあ、それらがない世界はというと…。全然、分かりません。

また、水素とか酸素とかそういう普通の原子は、宇宙全体で見たら5%でしかない。で、残りの95%はというと、なんとダークエネルギーダークマターでできているそうな。まさにこれ。ダークな物質が一体何をしているのか。これが物理の興味の対象なのだ。

さいごに、本書でしばしば登場するイエズス会のモットーを載せておきたい。

やる前に許可を求めるよりも、やってしまったあとで許しを求める方が幸いである。

本当にこんな都合の良いモットーがあるのかは知らないけれど、なかなか勇気づけられる言葉だ。こういうことを現実の社会でやってしまったら、色々と問題を起こすだろうけれど、やってしまった方が良いという場合が多々あるというのも確かだろう。

これになぞらえた、著者の科学観が面白い。

反証可能な理論は許可を求め、擁護可能な理論は許しを求める-そして、非科学的な理論は、罪の意識をまったく持っていない。

うーん、至言だ。

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(感想文の感想など)

イエズス会のモットーは今でも私自身の行動原理として採用されている。

そのせいでコンフリクトをたくさん起こしているのだけれど。

大学で物理の分野に進んでいたら、全く違う人生を歩んでいたことだろう。結婚してないような気はする。