40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文14-17:血盟団事件

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※2014年4月17日のYahoo!ブログを再掲。

 

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天才と異才の日本科学史(感想文14-01)で初めて知った血盟団事件のこと。知りたいと思い、本書に辿り着いた。

高橋是清-日本のケインズ その生涯と思想(感想文13-29)で記されていたように193236年は暗殺政治の時代だった。

19322-3月:血盟団事件井上準之助団琢磨を殺害)

19325月:515事件(犬養毅を殺害)

19362月:226事件(斎藤實、高橋是清渡辺錠太郎を殺害)

515事件と226事件は教科書に載っているし、事件の名前に数字がついていてインパクトがあるということで知ってはいたが、その前に血盟団事件があったことは全く知らなかった。

血盟団事件とは、日蓮主義者・井上日召に感化された若者たちが引き起こした連続テロ事件で、井上準之助(元大蔵大臣)を暗殺した小沼正、団琢磨三井財閥総帥)を暗殺した菱沼五郎の両者は、共に茨城県大洗周辺出身の青年だった。彼らは幼馴染の青年集団で、地元小学校の教員を務めていた古内英司を中心に日蓮宗の信仰を共にする仲間だった。

とのこと。クレイジーな宗教団体が引き起こしたテロということだけで片付けられない。また、特異な暗殺政治時代における特異な事件として片付けることもできない。本書では、

いま、血盟団事件に遡行することは、閉塞状況の中にある現代日本を捉え直す重要な手掛かりになると、私は考えている。血盟団事件を起こした若者たちを内在的に捉え直すことを通じて、現代の問題の糸口をつかむことができるのではないかと思っている。

著者は、中島岳志さん。ウィキペディアによると

大阪府出身の日本の政治学者、歴史学者北海道大学法学部、および大学院法学研究科・公共政策大学院准教授。専門は南アジア地域研究、近代政治思想史。

とのこと。この血盟団事件について非常に精緻に調査し、整理している。なかなかの力作で、後にも先にもこれ以上に血盟団事件に詳しい本は出てこないかもしれない。

事件の首謀者である井上日召1986年生まれ。同じ年生まれは、八木秀次、ラダ・ビノード・パール、平塚らいてう石川啄木山田耕筰谷崎潤一郎藤田嗣治といった顔ぶれ。

井上日召の生い立ちや青年期は本書で詳しいので割愛するが、貧しい家庭環境であり、そして精神状態はいつも不安定だった。日蓮宗に出会い、宗教体験経て、カリスマへと変貌していく。そして、一人一殺という暴力思想へと発展していく。昭和の時代に維新を起こそうとしていた。

昭和維新の「烽火」となる意思を固めていた彼らにとって、濱口雄幸襲撃事件は焦燥感を助長した。そして、革命の時期が既に到来しているという実感を高ぶらせた。

193011月に濱口雄幸首相が襲撃される。一命は取り留めたが、血盟団事件はその時代において特異的なものではなく、こういった暴力による変革が起きる素地は十分にあった。

ここには血盟団事件515事件、226事件に関わる人物が、数多く含まれていた。のちに、この「郷詩会」会合は、昭和維新テロ・クーデター事件の首謀者が一堂に会した重要会合として歴史にその名を刻むことになる。

19318月に郷詩会が開かれた。血盟団、陸軍、海軍と閉塞した時代に血気盛んなメンバーが揃う。

血盟団事件から515事件への一連のテロ事件は、結果的に軍上層部の支配を強化し、治安維持権力の肥大化を生みだした。政党政治は復活せず、国民の不満は、対外的膨張主義へと回収されていった。

要人の暗殺は、軍の支配を強化した。殺されるかもしれないという恐怖心が政治を支配する。まさに暗殺政治の時代へと移っていく。

戦中、四元は近衛文麿と親しい関係になり、戦後は吉田茂の懐刀となった。そして、中曽根をはじめとする歴代首相の指南役となり、政界に存在感を示し続けた。

四元というのは四元義隆のこと。東大法学部のエリートだ。血盟団事件では一人一殺のターゲットは牧野伸顕内大臣だった。結局、暗殺は実行することなく捕まり、刑務所に入ったが、戦後も政界に影響力を持っていた。四元義隆・田原総一朗対談というサイトがあるので、興味のある方はご覧になれば良いかと。

ということで、血盟団事件は暗殺政治の幕開けとなった象徴的な事件だ。しかし、すっかり過去のものというわけではない。中曽根元首相の指南役にそのメンバーがいるなど、私の記憶がある時代の日本にも深いところで受け継がれていた。

著者は事件をこうまとめている。

血盟団事件は、煩悩からの解放と理想社会の誕生を夢見て決行された宗教的供犠だったのである。

宗教的供犠(くぎ)という言葉は分かりにくいかもしれない。あとがきにこうある。

(宮沢)賢治はよく知られるように、国柱会に入会した日蓮主義者だった。「グスコーブドリの伝記」の構造は、宗教的犠牲によるユートピアの現前を願った血盟団事件と重なる。

宗教的犠牲を通じて、理想を達成するということが、宗教的供犠ということかな。そもそも血盟団事件に興味をもったのは、宮沢賢治日蓮主義者であるということを知ったからだ。グスコーブドリの伝記2012年に映画化もされている。時代が呼応しているのかもしれない。

とまあ、こういうことを書いておきながら、現代の日本において血盟団事件のようなことが起きるとは到底思えないでもいる。確かに閉塞感はある。車が人混みに突っ込んだり、無差別に人を刺したりするような事件も起きる。しかし、宗教的供犠ではない。凶刃が政治や政治家には向かっていくことはない。

もはや政治や政治家に期待している人はいないのではないだろうか。そして、あまりに大きく巨大な資本蓄積装置と化した現代システムに対して、個人はあまりに小さく、暗殺という手法はもはや時代遅れであり、期待されるパフォーマンスはほとんどないのかもしれない。

あるいは自爆する若者たち(感想文13-43)にあるユース・バルジ論のように単純に人口に占める若者の割合が低いことも影響しているかもしれない。

閉塞感はある。しかし、維新のようなことは起きそうにない。将来に希望はなく、狭い世界の承認に一喜一憂し、他人の不幸を喜ぶ。これを平和と呼ぶのかもしれない。

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(感想文の感想など)

2014年当時の感想文の暗さに驚く。とはいえ、読み返しても現状認識と大きなギャップはない。

そういえばサイレントテロなんて言葉があるな。出生率は、サイレントテロの指標と言えるだろうか。