※2018年10月2日のYahoo!ブログを再掲。
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気骨 経営者 土光敏夫の闘い(感想文18-36)に続く、経営者に関連する本。とはいえ、本書の主人公である三島海雲(1878-1974)は経営者としてはかなり異質かもしれない。
私がカルピスのルーツに興味を覚えたのは10年ほど前のことだ。仕事で会う予定の人物のプロフィールに並ぶ<三島海雲学術研究奨励賞>という経歴に目が止まった。(p.3)
著者と同じく、私も三島海雲という名前を知ったのは、<三島海雲学術研究奨励賞>なのだ。その賞の名称を見て、「三島海雲ってなんだろう?」と疑問に思った(人名でなく地名かと思っていた)のだが、ちゃんと調べることはしなかった。後日、読売新聞の書評を見て、合点がいったのだ。三島海雲がカルピスをつくった人物だったのだということを。
こうして、ちょうど経営者に関連する本を読んでみたかったので、俄然興味が湧いてきて、本書を手にしてみた。
三島海雲は1878年生まれ。同い年は、吉野作造、有島武郎、吉田茂、寺田寅彦、大河内正敏、与謝野晶子、ヨシフ・スターリン。そうか、私のちょうど100歳上。96歳で死去ということで、私と同じ時代を生きることはなかった方だ。とはいえ、相当、長生きされた。
会社としてのカルピス社を簡単にまとめておこう。
<カルピス社 沿革>
1916年:前身となる醍醐味合資会社を設立
1919年:カルピス発売
1923年:カルピス製造株式会社に商号変更
1948年:カルピス食品工業株式会社に商号変更
1990年:味の素株式会社が増資を引き受け筆頭株主に
1991年:味の素株式会社から飲料事業を譲受
1997年:カルピス株式会社に商号変更
2007年:上場廃止、株式交換により味の素株式会社の完全子会社化
2012年:株式譲渡によりアサヒグループホールディングス株式会社の完全子会社化
約100年前に創業し、約30年前に味の素に経営権を奪われるも、何とか取り戻す。しかし、約10年前に再び味の素の子会社となり、そして6年前にアサヒグループホールディングスの子会社となる。会社としてのカルピスはもはやなく、飲み物としてのカルピスだけが今も残っている。
さて、私が小学生の頃に、カルピス発明物語のマンガを読んだことがあった。私の記憶では、日本人がモンゴルに行って、醍醐味と呼ばれる飲み物を飲んで、これは美味いと感動し、日本に戻ってそれを再現して、製品化したのがカルピスという話だった。残念ながら、三島海雲という名は全く記憶に残っていなかったのだけれど。
ところがだ。この私の記憶は正しくなかった。三島海雲が旅をした場所は、モンゴルではない。内モンゴルなのだ。
三島を、そして三島の旅を知る起点が内モンゴルである。モンゴル高原に立ち、草原の風に触れなければ、三島の旅のスケールを想像することすらできない。(p.104)
とある。要するに今の中国の一部なのだ。この自治区とは別に、モンゴルという国が存在している。
内モンゴル自治区の面積は、約120万平方km。日本の約3倍。とんでもなく広い。人口は約2625万人。思った以上に人が住んでいる。主要民族は、漢民族79%に対しモンゴル族17%となっている。
他方で、モンゴル国は、面積約156万平方kmで日本の約4倍。内モンゴル自治区よりもさらにデカい。でも人口はわずか318万人弱。民族は95%がモンゴル族。横綱になった朝青龍や白鳳らは、モンゴル国出身の力士だ。
本書を読むまで全く理解してなかったが、内モンゴル自治区とモンゴル国の2つのモンゴルが存在している。そして、内モンゴル自治区は、多くの日本人にとって全く意識されていないだろう。
中国政府は、井戸や発電機を設置する目的をすべての人民に文化的な生活を与えるためだと説明する。(中略)井戸と電気が何をもたらすか。定住化である。定住と遊牧は相反する生き方だ。(p.154-155)
著者は三島が旅した内モンゴル自治区へと渡航する。そして、近代化していく中で、遊牧が失われつつある今の姿を伝えている。中国政府によって井戸が作られ、電気が供給される。結果、遊牧というライフスタイルを捨て、定住の道を選ぶ。
カルピス社という会社組織がなくなり、今やカルピスという飲料を生んだ故郷である内モンゴル自治区では遊牧がなくなろうとしている。大きな世界の変化の波に飲まれ、より便利により安全に生きることができるようになる一方で、私たちの意識に上ることなく失われていく文化があるのだ。
住職の子息として生まれた海雲は、経営者らしくない経営者だった。他界して40年以上経つけれど、だからこそ今でも多くの人の記憶に残り、語り継がれている。
国民的飲料として今なお愛されているカルピス。とはいえ、最近あんまり飲んでないな。寒くなってきたら、久しぶりにホットカルピスでも作ろうかな。
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(感想文の感想など)
モンゴルにも内モンゴル自治区にも行ってみたい。
そういえば、岡崎体育がモンゴルに行ってたな。羨ましいな。