40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文15-07:会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

f:id:sky-and-heart:20200303172723j:plain

※2015年3月23日のYahoo!ブログを再掲。

 

↓↓↓

会社は生まれ、そしていつかは無くなる。潰れることもあれば、合併することもある。多様な生物が共存する生態系のように、あるいは細胞や臓器を形成する人体のように、巨大な産業システムはダイナミックに移ろいながら資本を生み出している。

2011年3月29日、三洋電機上場廃止になった。かつて10万人いた社員のうち、三洋電機を買収したパナソニックに残ったのは約9000人。あとの9万人余りは会社の外に放り出された。彼らにとって三洋電機という会社は「消えた」に等しい。

地震から一月も経たないうちに三洋電機は消えた。思い返せば、三洋電機は私の父が愛した会社だった(父は生きてます。過去形なのは三洋電機が消えたから)。

父は三洋電機の株を持っていた。上場廃止時点でどれだけ抱えていたかはよく知らない。父は株を持っている会社を贔屓にしていた。我が家の電化製品は三洋電機製で溢れていた。母は松下電器や日立の方が質が良いとこぼしていたが、父は三洋電機固執していた。

きっと今の30代半ばの方は共感してくれると思うが、私は大学生になって初めて一人暮らしを開始した時に、テレビ、電子レンジ、冷蔵庫の一人暮らし必須電化製品一式は三洋電機だった。そういうセットが割安で売られていたのだ。

そんな思い出の三洋電機は今はもうない。そして、三洋電機の電化製品に囲まれて育ったのに、その創業者や成り立ち、三洋という名称に込められた意味は本書を読んで初めて知った。

三洋電機の創業者、井植歳男松下電器の創業者、松下幸之助の妻むめのの実弟である。(中略)馬力と愛嬌を兼ね備えた歳男は営業をするために生まれてきたような男であり、松下電器の揺籃期には幸之助の分身として業容拡大を支えた。

井植歳男(いうえ としお:1902-1969)が三洋電機の創業者だ。同じ年生まれは、今西錦司白洲次郎小林秀雄横溝正史カール・ポパー。歳男視点からは、姉の夫が松下幸之助である。三洋電機松下電器と非常に近い関係にある。

淡路島は世界を股にかけた偉人を2人生んでいる。1人は江戸時代に国後から択捉への航路を開拓し、ロシアとの国交正常化に貢献した高田屋嘉兵衛。もう1人は「三洋すなわち太平洋、大西洋、インド洋の3つの海でつながる世界を相手にしよう」と三洋電機を創った井植歳男である。

井植歳男の自伝を読むときっと面白いことだろう。ちなみに高田屋嘉兵衛という名前は初耳。司馬遼太郎の小説がある。ちょっと読んでみようかな。

日本の金融機関は欧州のプライベートバンクのように創業者の資産を守るどころか、無謀な投資に駆り立てて破産に誘う。国は相続のために税金を召し上げる。メディアは羨望と嫉妬の入り混じった創業家批判を繰り返し、国民は滅びゆく創業家の姿にカタルシスを覚える。

ふうむ。相続税については様々な議論があるが、日本では創業者の資産を守るという仕組みではないのだろう。むしろ一族がずっと経営権を握るような大企業はあまりよくは思われない。どこかの独裁国家と印象が重なるからだろうか。

中村は松下電器と日本の電機産業が生き残るには「天下布武」が必要と考えた。だから同根会社の三洋電機にも、兄弟会社の松下電工にも、「パナソニック」への同化を求めた。その激しさには目を見張るものがある。

中村とは、中村邦夫のこと。ウィキペディアによると

松下電器産業(現・パナソニック)を根底から180度改革した人物として有名であり、2008年10月に社名を「パナソニック株式会社」へ変更する礎を築き「旧来の幸之助神話を壊した男」の異名を取る。

とのこと。

三洋電機も確かに消えたが、松下電器も同じく消えてしまっているのだ。今自分の勤めている会社が、10年後も残っている保証は全くないことは、多くの労働者が直感的に肌で感じていることだろう。

自分たちを嵐から守ってくれる船はもうない。岸まで泳ぎ着ける保障もない。あるのは、どの方角に泳いでも構わないという「自由」のみだ。

突如として消えてしまった10万人を乗せた船。わずか9千人は他の船が助けてくれたが、大多数はとにかく必死にサバイバルする道を探さなければならなくなった。

新天地で役回りを得たシニア技術者たちは大企業で窓際にいるよりずっと幸せそうだ。(中略)新しい産業構造を生み出すために「技術者たちの大移動」は今も続いている。

同業他社に転職する者、海外企業に移る者、自ら起業する者など様々だ。本書で印象的だったのが、え?そんな会社にというところに移るシニアの技術者たちだ。それが、洋服の「西松屋」だ。そこで技術者は、格安のベビーカーを作ったりしている。産業のダイナミズムに驚かされるばかりだ。

これからも消えていく会社はあるだろう。むしろそれが自然で、会社は永遠に続くわけではない。会社が傾いてくる、あるいは自分のキャリアと合わないという時に、会社に残るも、移るも大きな決断になる。若い頃とは異なり、家族がいたり、家を買っていたりすると、判断はより慎重になる。

会社が消えてしまうことは悲しいことかもしれない。しかし、それでも強くしぶとく生きる人間の姿は私に勇気を与えてくれた。そして、本書でインタビューに応じた井植敏(いうえ さとし:井植歳男の長男)の胆力とでも呼べばいいのかそのバイタリティにも驚かされた。

潰れた会社の社長はさぞ惨めな思いをしているかと想像するが、そうではない。ナニクソと新しいビジネスに挑戦したりと、全く諦めていない。そもそもそういう気概がないとあんなに巨大企業の経営者にはなれないだろう。例え二代目だとしても。

国内で「デジカメ」は三洋電機の商標登録であり、「キヤノンのデジカメ」「ソニーのデジカメ」という表現は許されない。

へぇ。知らなかった。じゃあ、もうデジカメって言えないなぁ。まあ、もはやデジタルでないカメラを探す方が大変だから、カメラって呼ぶことにしようっと。

先日、シャープが6,000人の人員削減を断行するというニュースがあった。長らく噂されているが、三洋電機の次にヤバいのはシャープだ。これからも電機業界は大きく変貌していくだろう。

↑↑↑

 

(感想文の感想など)

シャープがヤバいという予想は当たっており、2016年に台湾の鴻海精密工業フォックスコングループ)傘下となった。とはいえ、会社は消えていない。三洋電機とは別の運命を辿ることになった。

その後、東芝も倒産が噂された。今はちょっと落ち着いたのだろうか。事業を売却するなどで延命を図っているのだろうか。子会社が架空取引したことが明らかになり、また別の問題を生み出しているんだけれど。