40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-08:トランスヒューマニズム

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トランスヒューマニズムはかなり前から気になっていたテーマの1つである。あいにく私は不死に希望を抱いてもいないし、脳と機械をつなげるブレイン・マシン・インタフェースのような技術を自身の体に取り入れようとは微塵も考えていない。

一方で、自分の体を改造するような人が出てきたり、2045年が技術的特異点(シンギュラリティ)でAIが人間を超えるみたいなことがまことしやかにささやかれたりして、いよいよもって、人間が人間たる境界があいまいになり、さらには人間が人間を超える知性(と言える何か)を生み出すんじゃないかってことが、ある種の昂揚感と絶望感とないまぜになって、私自身を混乱させる。

人間を超越した存在としての「神」への畏れと恐れが希薄になり、人間自らが人間を超える存在へと変わっていくあるいは生み出していく様は、幾度となくサブカルチャーで取り上げられたテーマでもある。人間の脳自体が超越的な何かを欲しているかのように、本能的な重力方向のような思考と嗜好が、所与としてヒトにインストールされているようにすら思ってしまう。

こういうテーマについて書き出すとたいてい冗長になる。頭で整理されていないし、整理したくないからだろうか。気にしないで、気ままに今の気持ちを書いておこう。

与えられているがままの人間の存在の仕方に対する反抗。これは、これから書くことを何よりもうまくまとめ、私が本書を書く中で知るようになった人々の動機をうまく規定している。(p.010-011

本書ではトランスヒューマニズムに関係する人々が多く登場し、著者は彼ら彼女らとコミュニケーションし、そして未消化のまま、私の感想文と同様の生煮えな冗長さに躊躇せず、几帳面に描いている。

われわれの最も高度な技術によって、われわれ最後の発明がもたらすかもしれないことに感じるこの恐怖は、われわれがすでに世界に対して、われわれ自身に対して行ったことに対する無意識の恐怖のようなものではないか。(中略)つまりもしかすると、このわれわれ自身の進化の後継者によってわれわれに対して加えられる復讐の亡霊は、生存することの恥ずかしさ(エグジステンシル・シェイム)の表れなのかもしれない。(p.134-135

生存することの恥ずかしさ(エグジステンシル・シェイム)かぁ。こういう風に考えたことはなかったけれど、言語化するとそういう考え方もあるなと思えてくるから不思議。存在自体が原罪というか、恥さらしというか。自らを滅ぼしてくれる超越的な存在を作り出すことによって、恥が昇華される。

現代医学の奇妙なところは、膨大な数の製薬会社ががんとか糖尿病とかアルツハイマーとか-圧倒的に老化の結果として生じる病気-の治療薬を追求しているのに、生物としての人間の細胞が時間とともに劣化するという根底にある事情そのものを追求する企業は事実上ゼロということだとデミングは言った。(p.238

デミングとは、ローラ・デミングのこと。1994年生まれなので、現在、25歳くらいの若い女性だ。14歳でMITで物理の研究を始め、17歳で中退し、ベンチャーキャピタリストへ転身するという華々しいご経歴。老化や寿命延伸に関する研究で神童と呼ばれていたそうな。

年老いて死んでいくということを当たり前の自然現象として疑問に感じなかったが、若き天才は違うようだ。学問ではなく、金儲けに突き進むあたりがアメリカらしい。デミングさんはニュージーランド出身のようだけれど。

医療等の技術の開発により老化の問題を「治療」し、余命が伸びる速さの方が、毎年1歳の実年齢での年の取り方より速くなるという「寿命脱出速度」を超えることを目指す人々。(p.297

地球の重力の軛を離れ広大な宇宙へと解き放たれるように、寿命というこれまで逃れようもないと信じ込まれていた枷をいよいよ外せるようになるのだろうか。科学の進歩が死なない人間を生み出すのだろうか。

最初からきちんと整理された思想などあるはずもなく、アイデアも実体もまだまだ混沌としていて、それぞれが目指す未来の姿にも幅もある中、そうした未来像を受け取る人々の受け止め方や、実現するための技術の現実など、社会的状況との相互作用で具体的な形が生まれては、ダーウィンの言う「変化を伴う継承」を経て、何かの形が定まっていく。(p.299

あとがきにあるように、トランスヒューマニズムという言葉自体とかれこれ15年以上も前に出会ったのだけれど、未だにそのコンセプトは混沌としている。この15年間で技術は進歩し、地球環境が変わり、世紀末のノストラダムスよろしく2045年のシンギュラリティが未来に待ち受けている。きっと2045年になっても何も起きないのだろうけれど。

しかし、ナゾの預言書ではなく、科学的根拠(っていうほどのしっかりしたものはない)に基づいているっぽく語られる未来予測は、これもまた人間が人間たる知性の表れに思えて微笑ましくもあるが、変わらぬ愚かさにげんなりもする。

とはいえ、現実世界にトランスヒューマニズムが入り込みつつある。アメリカではトランスヒューマニスト党という政党が発足し、その代表であるゾルタン・イシュトヴァン氏は2016年のアメリカ大統領選に立候補した。一方の日本は安楽死制度を考える会(安楽党)という政党が発足し、そのシングルイシューで2019年の参議院選挙に候補者を擁立した(が、大きなムーブメントにはならなかった)。

不死を目指すアメリカと死に急ぐ日本という対比で捉えることもできるが、安楽死と不死は似たような欲望であろう。次回の選挙では、いよいよ日本でもトランスヒューマニズムを標榜する政党が出てくるかもしれない。あるいはれいわ新選組がサイボーグを擁立するかもしれない。メディアの露出度は高そうだ。

はてさて、今後、超人類的な存在が生まれるだろうか。きっと生まれるだろう。でも、それが今の人類を殲滅させるみたいなことにはならないだろう。きっと。そして誕生の地はアメリカではない。人体実験への抵抗感が薄く規制が緩く何よりカネのある中国からだろう。未来の超人類は赤いのだ。

日本は引き続き人工生命体(ゼノブレイド2)や機械生命体(ニーア・オートマタ)が登場するアニメやゲームを作って、それで多方面に様々なインスピレーションを与えることが役割であって欲しいかな。