40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

ディズニーで被災(再掲) ~9年前の3.11~

※2011年3月16日のYahoo!ブログを再掲。

 

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はじめに、今回の震災で亡くなった大勢の方たちのご冥福を心からお祈りします。

2011311日(金)1446分に地震があった。板橋区にある家に帰り着いたのが、翌日の13時頃。長い一日を端的にまとめてみる。

前日の木曜日に京都から母が上京。孫とディズニーシーに行くことを楽しみにしている。前の日から朝食のおにぎりを作り、準備万端。

11日朝6時過ぎに起床し、着替えて、朝御飯を食べて、7時過ぎには母、妻、子、ぼくの4人で出発。軽くラッシュが始まっている電車を乗り継いで、830分には舞浜入り。入場の列に並ぶ。気温は暖かめで、爽やかに澄んだ青空で良い気持ち。

9時開場。ファストパス(FP)ランニングがスタート。春休み期間中のためか、中高校生が多い。お年寄りはあんまり見かけない。ぼくも走る。子どもはまだ3歳で100センチ以上の身長制限がある人気アトラクションには乗れないので、ストームライダーのFPを目当てに走る。残る3人は、別行動でキャラメル味のポップコーンを買いにのんびり歩く。

初めてのディズニーシーだったこともあり、道を間違えつつも、FPを入手。その後、マーメイドラグーンで合流し、手頃なアトラクションで遊ぶ。ところが、テンションが上がって走りだした、子どもが派手にすっ転ぶ。買ったばかりのポップコーンの入ったプーさんの入れ物が下敷きになり、大破。キャストさんがポップコーンをもう一度買えるように手配してくれる。さすがディズニーと感動。

その後もアトラクションを遊びつつ、次のFPを入手したりとディズニーシーを満喫。スモークターキーと餃子とビールでランチにして、まだ行っていないゾーンに遊びにいく。その後、1430分から始まるレジェンド・オブ・ミシカが見たいので、メディテレーニアンハーバー付近に戻ってくる。

既に大勢の人がいたけれど、橋の上からが見やすいという呼びかけがあり、そっちに移動。確かによく見える。天気は若干曇り気味に。海の上のパレードを見て、感動。迫力があり、いよいよクライマックス。花火が上がり、音楽が鳴り響き、大地が揺れだす。ディズニーの演出の凄さに驚く。

…?

大地が揺れだす…?

揺れ幅が安心の閾値を超える。ざわつきが、突如として悲鳴に変わる。観客が走りだす。とにかく橋は危ない。安全な場所まで退避したいけれど、どこが安全なのか分からない。橋の下の運河の波が激しくうねる。音響機材が倒れそうになる。ミッキーは船の手すりに捕まっている。パニック!

長い長い揺れがようやくおさまり、レジェンド・オブ・ミシカはシステム故障のため中止というアナウンス。しばらくディズニーシーは機能しそうにないと判断し、どこかのレストランかカフェで休憩しようと移動。

建物の外にあるテラス席を確保。嫁さんが機転を利かせ、もしもの際にと判断し、パンを多めに入手。このパンは後に精神的な支えになる。暖かいコーヒーで一休み。

しばらくすると建物からキャストがぞくぞく出てくる。建物の安全確認のため検査をするので、立ち入り禁止とのこと。キャストもゲストも入ることができない。この時点でパンの購入は不可。キャストは薄着で寒そうだけれど、笑顔を絶やさず、ずっと立ちっぱなし。さすがディズニー。

雲が濃くなり、小雨が降りだす。テラスのテーブルには大きな傘がついていたので、何とか雨はしのげたけれど、その他多くのお客さんは雨に濡れる状態に。この状況でも建物には入る許可が出ない。それでも見える範囲でお客さんは文句を言わない。

日が傾いてきて、気温がぐっと下がる。とにかく寒い。持参したホッカイロで寒さ対策。子どもは遊べないと判断し、眠りだす(スリープモード)。子どもにズボンと上着と靴下を二重に着せて、帽子をかぶせて、マフラーを巻いて、とにかく防寒。キャストがビニール袋やプチプチを配布してくれる。ビニール袋が防寒に役立つことを初めて知る。

宮城県沖で大きな地震があり、東京は震度6弱、その影響で京葉線東西線が停止、津波の発生はないというアナウンス。

この時点でも、ディズニーシーがそろそろ復旧して遊べるんじゃないかと希望的観測を抱いていたお客さんは結構いたと思う。確かに長く揺れたけれど、見た目はどこも壊れていないし、まだまだ遊び足りない。

嫁さんがトイレに行くが、1時間くらい並ぶ。気温はどんどん下がり寒い。しばしば余震が起きる。建物が開放される気配がない。帰りだしているっぽいお客さんの姿もちらほら見える。

ここで判断に迫られる。帰るか、残るか。いや、正確に言うと、遊ぶのを諦めるか、諦めないか。復旧する可能性があれば、遊びたいという、今にして思えば楽観的すぎる心境だった。津波来ないって言ってるし、しばらくしたらディズニーシーが復旧して、遊べて、そうして帰る頃には電車が動き出すという理想的な状況を勝手にイメージしていた。

しかし、今日はもう諦めようと決断。とにかく寒い。せめて暖かい場所に移動したい。出口では再入場のスタンプを手の甲に押してもらう。残念ながらこれをブラックライトで浮かび上がらせることはなかった。

モノレールも止まっているので、舞浜駅まで歩くことに。頭上にあるモノレールの路線を見ながら、歩く。結構遠い。子どもをおんぶしたり、だっこしたりして、ひらすら歩く。

徐々にことの重大さを理解し始める。アスファルトがひび割れ、液状化現象が起きていて、道路に水が溢れている。舞浜駅ではタイルが剥がれ、柱の土台が破損し、バスの案内板は45度に傾いている。

2階にある改札に行って呆然とする。シャッターが降りていて、張り紙が貼ってある。復旧の見込みとかを聞くにも対応してくれる人がいない。まさにシャットダウン。とにかく電車はダメということを理解する。

シャッターのそばにはテレビが設置してあり、初めて地震後の映像を見る。市原コンビナートが燃えている。渋谷で大勢の人が右往左往している。ただごとではないことをようやくこの時点で把握し始める。ディズニーのアナウンスとは異なり、東京にも津波警報が発生している。これはまずい。

駅に設置されている地図を見に行く。ディズニーリゾートが島ということをこの時点で初めて知る。京葉線東西線と並走する道を渡れば避難できることが判明。とにかく新木場まで歩くことを決断。ところが、津波の可能性があり、徒歩で橋を渡るは禁止されていると言われ引き返す。新木場ルートは断念。この時点で頭真っ白。

ここでまた判断に迫られる。歩くか留まるか。どちらにしてもどこに行くか。野宿?それは子どももいるから無理。浦安まで歩くか。でも土地勘がないし、泊まれる場所もあるか分からない。携帯は充電が切れつつある。頼れる親戚や知人は近くにはいない。

ここでも嫁さんが機転を利かす。アンバサダーホテルなら何とかなるんじゃないか。ということで、アンバサダーホテルまで移動。イクスピアリは通れないので、ぐるっと回って、ホテルに辿り着く。

ホテルのロビーでは人が溢れかえっている。安全確認のため宿泊予定客も部屋に入れない状態。ロビーにあるソファーの一角のスペースをとにかく確保。ホテルの中は暖かい。ようやく一息つけることができた。空き部屋はもちろんない。今夜はここで過ごすことになるのかとぼんやり思う。ディズニーキャラクターのグッズを持ったり、帽子をかぶった人が多く、緊迫感の感じにくい奇妙な避難所になってた。

ホテル側は、ぼくらのような避難民に対して冷たくあしらうことなく、追い出すこともなく、普通に接してくれた。バスタオルと水を提供して下さった。手元にパンがあるので、少なくとも今夜は乗りきれると安堵。ディズニーシーで購入したパンがここで精神的な支えになった。

その後、炊き出しを用意してくれて、野菜の入った炊き込みご飯、具沢山のお味噌汁、パンが振舞われた。暖かいお味噌汁は本当にありがたかった。この場を借りて本当に感謝します。ありがとう。今度はちゃんと泊まりに行きます。

ホテルの2階にテレビが設置されていて、地震の被害の凄さを知る(とはいえ、この時点でも過小だった)。火災と津波の映像にひどく動揺した。

夜になり、子どもはすっと寝てくれた。なかなか寝付けない子どもが多く、ロビーでは頻繁に鳴き声が聞こえた。当初はディズニーアニメが流されていた1階のテレビもNHKに切り替わった。緊急地震速報の音がなるとほぼ同時に、あちこちの携帯からも緊急地震速報のまさに緊急性を訴えかけるような逼迫した音が鳴り出す。実際に揺れを感じないこともあったけれど、とにかくあの音が地震を象徴しているようで、不安感を増幅させる。

しばらくして、ホテルの売店が開いたけれど、あまりの行列ぶりに諦める。まだパンもあるし、飲み物もある。そばにいた3人家族は宮城から来たと聞いて絶句。奥さんは妊娠している。実家はきっと流されたと言っていたが、かける言葉が見つからない。

睡眠とも言えないような状態で一晩過ごす。いつここに津波が来るか、液状化現象でホテルが倒壊しやしないか気が気でない。気が張り詰めていて眠れない。眠れそうになったら、緊急地震速報で叩き起こされる。そんな状態が続いた。

朝になる。舞浜駅まで様子を見に行く。シャッターは相変わらず閉じたまま。午後には復旧の見通しという張り紙。半壊しているバスロータリーでは、浦安駅行きのバスが動いている。東西線は復旧していて、このバスに乗れば帰れるようだ。

ここでも判断に迫られる。ホテルに留まるか浦安に行くか。ホテルに留まり午後に復旧予定の京葉線に乗ってここを脱出するか、それともバスに乗って、あるいは徒歩で浦安に行って東西線に乗るか。とにかく希望が欲しかった。ホテルにいても心が休まらない。少しでも家に近づきたい。そう考え、浦安まで進むことに。

舞浜駅はバスを待つ長い行列が出来ていた。歩くことも考えたが、並ぶことに。結局、この列がディズニーシーのアトラクションのどれよりも並ぶことになった。嫁さんは防寒のためにトイ・ストーリーの宇宙人の帽子をかぶっている。「命の恩人感謝永遠に。」まだ余裕があるらしい。そのセリフはアンバサダーホテルに言って欲しかった。

1時間ほど並び、南行徳行きのバスに乗り込む。土地勘はなかったが、母の持ってきていたメトロマップが役に立った。南行徳駅東西線で、しかも浦安駅よりも都心から遠い。つまり、帰還する人間でごった返すことが予想される浦安駅で電車に乗るよりは、混雑を回避できそう。

ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られて移動。浦安駅までの距離が思った以上に遠いことを知り、歩かない選択は正しかったと思った。駅に到着し、東西線に乗車。3歳の子どもと母を見て、若い女性が席を譲ってくれた。これも本当にありがたかった。予想通り、浦安駅で満員に。さらに次の駅、その次の駅でも乗客がいて、満員状態に。とはいえ、つり革を確保できたので、あまり苦にならず都心へとたどり着いた。

飯田橋で乗り換える予定だったけれど、混雑のために東西線が停止し、しかたなく大手町で下車。丸ノ内線に乗り換え、池袋を目指す。知っている土地に戻ってきて、ようやく安堵してきた。

10時過ぎに池袋駅に到着。朝食抜きだったので、とにかく何かまともなご飯を食べたいと思い、西武デパートのレストランフロアへ。野菜が食べたいので銀座アスターで並ぶが、地震の影響で開店が12時前になってしまうと説明を受ける。とはいえ、もう他の店へ動く元気は残っていないので、とにかく待つことに。

悲惨な避難民の姿に同情したのか、11時ちょっと過ぎに開店。ぼろぼろのぼくたちに良い席を用意してくれた。桜えびのチャーハン、アスター麺、春巻き、シューマイ、油淋鶏、海鮮野菜炒め、ビールを注文。帰還を祝い、乾杯し、がつがつ頬張る。生き返る思いだった。

その後、被災に耐えた子どものために、ヤマダ電機でおもちゃを購入し、帰路に。

13時過ぎにようやく家に到着。長いディズニーシーへの旅はこうして終わった。

振り返ると判断はすべて正しかったと今にして思う。しかし、あの状況で正しい判断を下すことはできない。判断を下した時点では、正しいかどうか分からない。ただ、一つはっきりしたのは、被災したら帰巣本能が働くが、長い距離を歩いて帰るのが必ずしも正しいとは言えないということだ。

これまで地震の発生を想定していたケースはざっくりと2通りだった。1つは、夫婦が仕事に行っていて、職場で被災するパターン。職場から家までのルートを地図で確認したことがあった。とにかく連絡が取れない可能性があるので、家で合流しようと考えていた。もう1つは、夜中に寝ているときに地震が起きるというケース。近くの小学校が避難場所なので、そこに速やかに避難グッズを持って移動することを想定していた。

今回は、そういう意味では想定外だった。家族みんなが外出先で被災する。目指す地点が家なのは変わらないけれど、急ぐ必要はなかった。しかし、津波や火災の映像を見て、気持ちがはやった。無理してでも歩いて、ディズニーを脱出して、安全な場所に行きたいと切実に感じた。

しかし、3歳の息子や還暦を過ぎた母と長距離歩くことは不可能ではなかったかも知れないが、相当厳しかったろうと思う。既に一緒にいるのだから、慌てることなくゆっくりと体力を温存しながら目的地に向かうという方針があの状態では適切だろう。ただし、東京に津波が来ていた場合、本当に危なかったと思われる。ディズニー側の津波は発生しないというアナウンスは結果的には正しかったが、あの時点では津波が発生しないと言い切れる根拠は薄かったのではないかと思う。

他方で、ディズニーにはものすごく感謝している。不安だったろうに笑顔を絶やさずゲストに応対したキャスト。炊き出しなど人道的な支援をしてくれたホテルのスタッフ。あの状況下で適切な対応は困難極まるにも関わらず、素晴らしかった。本当にありがとう。

さいごに、原発について。これを書いている時点でも刻々と状況が変わりつつある。どの情報が正しいのか分からない。東京から逃げ出す人が発生するかもしれない。原発に関わる仕事をしている友人が複数人いる。原発の近くで暮らしている人たちのためにも頑張りに期待していると同時に、身の安全を心から祈っている。

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(読み返しての感想)

あれから9年が経つ。当時3歳だった長男はほとんど覚えていないようだ。

読み返して自分の記憶が風化していることを自覚する。でもこうして文章を残しておいて良かったと思う。

改めて今回の震災で亡くなった大勢の方たちのご冥福を心からお祈りします。