40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-12:科学する心

f:id:sky-and-heart:20200320172239j:plain


小説家である池澤夏樹さんによるエッセイ。しかも科学をテーマにしている。

なぜ科学なのかと言うと、ウィキペディアに『1964年に埼玉大学理工学部物理学科に入学。1968年中退。』とあるように、理系出身なのだ。しかも物理学科。

ちょいちょい理系っぽさを感じられるのが小気味よく、池澤さんの書いた小説はたいてい読んだ気がするけれど、こういったエッセイものは初めてで、新鮮。

何がきっかけというわけでもないのだが、科学についての自分の考えを少し整理してみようと思った。抽象と具体の中間を行く散漫な思索を試みる。(p.009

私自身が広く言えば科学に関連する仕事で糊口をしのいでいるので、わりと知っている話も多く、正直なところ新鮮味に乏しかった。とはいえ、知らないこともそれなりにあったし、今でも科学について興味を持ち続けている池澤さんの姿には脱帽するばかりだ。

初めて知ったことを挙げておこう。

文化と言えば、火以前、最初期のヒトは右手で石を握ることで他の動物が利用できない高栄養の食物を得たという説がある。動物の骨髄。噛み割るのは難しいが叩き割ることはできる。これが初期のヒトの知的進化を促したという。(p.131

へぇ。これまたウィキペディアにも『米国・ユタ大学のデニス・ブランブル(Dennis Bramble)とハーバード大学のダニエル・リーバーマンDaniel Lieberman)は2004年、初期人類は、動物遺体から屍肉を集め、石を使って骨を割り、栄養価の高い骨髄を得ることを生息手段とする、一種の腐肉食動物であったとの仮説を提唱した』とある。美味しんぼの骨髄カレーを思い出す。そう言えば骨髄を骨髄として味わった記憶がない。豚骨スープとかテールスープが一番近いのだろうか。

なぜ英語ではライオンの群れをprideと呼び、魚の群れはschoolと言うのだろうか?鳥の場合はflockだったっけ?(p.145

知らなんだ。flockくらいはピンとくるけれど。魚の群れはschoolとなると、メダカの学校をどうしても想起してしまう。ライオンはprideっていうのも何だか不思議。ちなみに英語では動物ごとに群れの表現がたくさんあるらしい。これまであんまり意識したことなかった。動物の群れについて英語で言及する機会なんてこれまでの人生で全くなかったのだ。

wikipedia(英語版)で動物と集合名詞の関係が載っている。こんなにも種類があるんだなと驚かされる。面白いのは、crows(カラス)の群れはmurder(殺人者)となるところかな。不吉さは英語圏でも同じかもしれない。

これはr戦略とK戦略という用語で知られている。たくさんの卵を産みっぱなしにしてどれかが生き延びるのを待つか、あるいは少数の卵を丁寧に育てるか。サケはr戦略であり、鳥類はK戦略と言えばわかりやすいだろう。(p.172

へぇ。r-K戦略説というらしい。

rは「内的増加率」を意味し、たくさん産卵し、繁殖スピードを速くすることで絶滅可能性を引き下げる戦略。Kは「環境収容力」を意味し、少なく産み育児によって性成熟までの生存率を高めることで絶滅可能性を引き下げる戦略。(p.178

いろいろ調べたけれど、なぜrKで示されるのかはよく分からない。内的増加率は英語ではintrinsic growth rateとなるので、率(rate)からrとなったのかと思ったら、環境収容力はcarrying capacityでじゃあCじゃないか思ったらKという表記になっている。まあ、いいや。

いっぱい産むからあとは運良く生き残ってねという作戦か、少数産むので大切に育てるねという作戦かということ。どちらも一長一短ある。

若い頃の科学トレーニングはけっこう深く身に染みついて、心の自由な動きを縛ろうとする。そこを抜け出てもう少し自在の境地に遊ぶことはできないか。(中略)そう、科学に背を向けたい時があるのだ。(p.214-215

小説家としての池澤さんの偽らざる素直な気持ちが吐露されている。理系をバックグラウンドにしておきながら、そこから自由になれないもどかしさを感じてしまう時があるのやもしれない。

私自身も科学に関係する仕事しているので、科学的思考や数学的思考の力強さを感じる反面、論理の厳格さや適用範囲にはどうしても気を遣わざるを得ない。同じ科学って言ったって、物理系と化学系と生物系と医学系では、これまた気を遣う境界線や程度がかなり違う。

エセ科学はさすがにという思いはあるものの、科学は一義的ではない。これは科学だけどこれは科学じゃないという分類はできるが、その厳密さは分類する者のバックグラウンドに依存する。だからこそ「科学する」というのは、一般の人が思っている以上には自由度が高いと思う。

ゆるりとしたエッセイだけれど、科学への愛を感じる一冊。