※2009年10月5日のYahoo!ブログを再掲。
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クラウドコンピューティング(cloud computing)と言葉がある。
ウィキペディアによると、インターネットを基本にした新しいコンピュータの利用形態である。ユーザーはコンピュータ処理を、ネットワーク(通常はインターネット)経由で、サービスとして利用できる。とのこと。
ほえぇ。
ITのことは詳しくないけれど、早い話が、メールとか文書とか画像とかそういったもの全てをインターネットのクラウドからサービスとして受け取るようになることだ。
ふーん。
タイトルほどの衝撃はない。何だか当たり前になりつつあるように思うからだ。むしろ、クラウドっていうか、情報を外在化させて処理する方が、アクセスの面で融通が利くし、セキュリティの面(クラウドが何かすれば別だけど)でも安全に思えるからだ。
既存のビジネスモデルが変わるというのも分かる。職場で職員全員に1台ずつ高価なパソコンが支給され、会社はサーバで情報を管理するという仕組みは終わってしまうというのは想像できる。
業界人にとっては衝撃的なのかもしれない。でも、ITに詳しくないぼくのようないちユーザからすれば、インターネットが登場した時点で、こうなることは分かっていたんじゃなかろうか、って思う。
サービスが最初から内在しているか、あるいは、外在しているかの違いだけではないのだろうか。より速く、より効率的で、より低コストなやり方が求められると、外在しているサービスを適宜必要に応じて利用する方が、確かに有利だろう。
商売のパラダイムは変わるかもしれない。でも、生活のパラダイムまでを変えるほどの衝撃ではないと思う。
本書は、専門用語も多く、ぼくのような素人には難しい。でも、クラウドコンピューティングが今後のITの中核となり、IBMやグーグルといった巨大企業は、次の時代に向けて着々と準備を進めているということが分かる。
IT業界は移り変わりが早い。だいたいインターネットという言葉が市民権を得て、まだ10年ほどしか経っていないだろう。
さいごに、飛躍した話をしたい。
クラウドに知性はあるのだろうか。
あらゆる知識が外在化し、クラウドに放り込まれたとしたら、それは一つの知性なのだろうか。知性って何となくもやもやしたイメージがある(ぼくが知的でない証拠かもしれない)ので、クラウドという名称はぴったりくる。
そして、いつしか主従が逆転しているかもしれない。ぼくたちがクラウドに情報を放り込むのではなく、クラウドが情報を集めるためにぼくたちを利用する。
クラウドの本当の衝撃はもう少し先のことなのかもしれない。
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(感想文の感想など)
クラウドが衝撃的に世の中を変えたみたいなことは全くなかったね。
その後、ビッグデータとか人工知能とか機械学習とかディープ・ラーニングとかIT関連でバズることになるのだけれど、まだ本質はよく分からない。