40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文16-19:巨大ウイルスと第4のドメイン

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※2016年6月21日のYahoo!ブログを再掲。

 

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ウイルスは生きているを読んで初めて知ったパンドラウイルスのこと。もうちょっと詳しく書かれた本がないかと探して、辿り着いたのが本書。

タイトルにあるように巨大ウイルスを含む最新のウイルス研究を通じて、生物への捉え方が変わりつつある。第4のドメインにあるドメインとは何か。本書で気になった箇所を挙げつつ、整理してみたい。

自分でタンパク質が合成できないものは、現在の定義では生物に含まれない。

生物と無生物の違いについては多くの議論がある。ここから生物ですよ、ここからは生物じゃないですよという明確な線を引くことができるかもしれないが、その線が何を意味しているのかについて、生物学者には様々な意見があり、だからこそ未だにホットな話題にもなっている。

タンパク質を自ら作れないとするなら、「他者」に頼るしかなく、ウイルスたちはそれを私たち細胞性生物に頼るのである。タンパク質を合成するために必要な遺伝子をもっていないからこそ、彼らは「細胞のしくみを利用する」のである。

ウイルスは確かに自分でタンパク質を合成できないので、無生物扱いを受けている。とはいえ、タンパク質を合成しない遺伝子を持たない戦略は、すなわちその機能を細胞性生物に外部化する戦略を選択したということに等しい。

細菌と同じように巨大であるだけでなく、細菌と同じように「ウイルス」に感染のターゲットとされる存在。それが巨大ウイルスの仲間たちだったということである。

ウイルスがウイルスに感染する。そんなことってあるんだと驚く。ウィキペディアによると『ヴィロファージ(Virophage)とは、他のウイルスに"寄生"し害を与えるウイルスのこと。』とある。本書では、ヴァイロファージという記載だった。ウイルスが巨大になると、小さいウイルスに狙われることもあるのだ。

さて、生物の分類についてちょっと、整理しておきたい。生物をどう分けるかは長く論争になっている。有名なのは五界説だ。要するに5つに分けられるよっていう言説だ。

まず単純に、原核生物(核膜がない)と真核生物(核膜がある)に分けられる。その原核生物モネラ界としてひとくくりにされた。これが一つ目の界。

真核生物から原生生物界、菌界、植物界、動物界に分かれる。ぱっと見でよく分からないのが原生生物界だけれど、要するに菌界にも植物界にも動物界にも属していない生物の居場所ということだ。

とはいえ、この五界説は科学技術の発展、特に分子生物学の発展に伴い、徐々に説得力を失っていく。

「界」(Kingdom)よりも上のレベルのくくりという位置づけで、「ドメイン(超界)」(domain

ということで新たに作られたのがドメインという上位の分類だ。

ドメインには「バクテリア」、「アーキア」、「真核生物」の3つがある。

五界説に話を戻すと、原核生物モネラ界は、バクテリア真正細菌)アーキア(古細菌)からなる。要するに、原核生物モネラ界=バクテリアアーキアだ。

3つのドメインのうち2つは、五界説では一つの界として扱われてきたので、これはもう根本を覆すような生物の捉え方なのである。

バクテリアアーキアは、日本語では同じ「細菌」という言葉が入っているため非常によく似たグループで、私たち真核生物とは大きく異なると思われがちだ。

そうそう、そもそも原核生物と真核生物という分け方があったんだものね。バクテリアアーキアは近い、真核生物は遠いという考えは至って常識的と思える。ところがだ。

バクテリアアーキアは、進化の過程で両者が分岐したのは私たち真核生物が誕生したよりもずっと前だった、ということが徐々に明らかになってきたのである。

何と、真核生物はアーキアから分岐した!のだ。古細菌という日本語名称は、いかにも誤った認識を植え付けそうなネーミングだ。真核生物たるヒトは、バクテリアアーキアだったら、アーキアの方が近い存在なのだ。

ウイルスなり生物なりを定義する基準は、その生物を作り出す方法(何がそうさせる能力をもつか)、すなわち「生物をコードする能力」であるべきだと主張するのである。

ようやっと本書のキモへと至る。要するに『ウイルスを生物の一つとする提案-4ドメイン説』だ。バクテリアアーキア、真核生物に加えて、ウイルスを生物の一つとしようではないかという、大胆な説だ。その背景は、

巨大DNAウイルスが細胞よりも先に誕生し、レプリコンであるDNAとそれを包み込む脂質二重膜、そしてそれを保護するカプシドという形のものがまずできて、この脂質二重膜がやがて「細胞膜」へと進化し、カプシドが「細胞壁」へと進化して、地球最初の細胞、すなわち原核生物が誕生した、という考え方

巨大DNAウイルスから原核生物へと進化したという。面白い。

巨大DNAウイルスの原型である「DNAレプリコン」を、生物の基本単位とみなせるかもしれないということである。言い換えれば、DNAレプリコンのもつ「ウイルス的な特徴」そのものを「生きている」といえるだけでなく、より一歩進んで「生物の基本単位」であるといえるのではないか、ということでもある。

ウイルスっぽいものも拡張して生きていると言えるし、さらに一歩進んで生物の基本単位という生物学の根幹まで言及できる。

ウイルスの本体はウイルス粒子なのではなく、ウイルス粒子を作るものこそがウイルスである、というのである。ではウイルス粒子を作るものは何かというと、「ウイルスに感染した細胞」である。

ウイルスはウイルスを増やすために細胞を利用するのだが、じゃあウイルス粒子を増やしているのは、そう、ウイルスに感染した細胞だというのだ。うーむ、確かにウイルスはそれ自体は極小メカっぽいのだが、ウイルスに感染した細胞は間違いなく生物なのだ。

生物がさまざまな非生物的環境から影響を受けていることが事実であって、その「非生物」が生物の進化に影響を与えてきたことが明らかになったとき、ただ「細胞膜でできていないから」とか、「自立していないから」とか、そういった機能上、構造上の制約のみをもち込んで、「生きている」「生きていない」という概念上の事柄を議論する必然性は、もはやなくなってきているのではないか、と筆者は考えるのである。

生物と生きているの分離。これが本書で書かれていることで、極めてエキサイティングでスリリングな議論であると思う。核膜がないという見た目だけで、原核生物と真核生物を分けたのだけれど、実際には真核生物の中で2つのドメインがあり、大きな隔たりがあった。

巨大ウイルスを通じて、私たち生物はどのように生まれ、どのように進化してきたのかが明らかになってくる。生物が単独で生まれ、死ぬわけではない。今では非生物と言われているものも含めて、複雑に絡み合いながら、広く、深く、豊かな生命の大河を生み出し、うねり、揺れ、たゆたっている。

改めて生物学の面白みに触れることができた。たまには生物学についてびしっと書かれた本を読むのも良いものだ。