40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-20:クリーンミート 培養肉が世界を変える

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在宅勤務となり、毎日頭を悩ませているのが、ご飯どうするか問題だ。ようやった学校給食が再開されたので、悩みのタネの量的問題は緩和されたが、おいそれと外食しにくい状況で(たまに行くけれど)、息子たちの栄養バランスを考えながら、飽きないようなご飯を支度するのはかなり苦痛である。

炭水化物とタンパク質と野菜の栄養バランスを意識しながら、2品から3品をつくる。面倒なときは鍋やパエリアの1点もので何とかしてしまうこともある。

メニューは炭水化物かタンパク質のどちらかを軸にして構築していく。土日のランチなら、たいていパスタか焼きそばで、これは炭水化物から具材を足し算していく。晩御飯や長男のお弁当は、タンパク質からもう一品野菜のおかずと汁物(弁当の場合はプチトマト)を考えていく。

タンパク質は鶏肉、豚肉、牛肉の3択となる。鶏肉であれば照り焼き、豚肉であれば生姜焼きやお好みソース味、牛肉であればゴボウやレンコンと一緒に炒める。ひき肉を使うこともある。味付けの多くは昆布つゆで、食材が違えば味の雰囲気も変わるので飽きがこない。

世の中にはベジタリアンヴィーガンの方もいらっしゃるが、あいにく我が家はお肉大好きなので、野菜だけというわけにはいかない。魚も好んで食べるが、牛肉以外のお肉よりは割高感がある。鯛のお頭だけは割安で手に入るので、パエリアで多用している。
振り返れば畜産学科(私が入った頃にはすでに名称が変わっていたけれど)を卒業しており、畜産業界についてはそれなりに詳しいと思っていたが、本書のような環境との関わりについては、90年代後半~ゼロ年代前半ではほとんど講義で習った記憶がない。
本書では、現在の畜産業が抱える多くの問題が記されている。

畜産業そのものが岐路に立たされている。要するに持続不可能な産業とみなされつつある。そういう状況において、この業界で破壊的イノベーションが生まれようとしているというのが本書の主題だ。

現在、畜産業を破壊するかもしれない新たな食肉産業は3つある。

1. 植物由来の代替肉
2. 昆虫食
3. 本書の培養肉(クリーンミート)

そのうち1.代替肉はすでに実用化されている。日本にはまだ入ってきていないがインポッシブルバーガーだったり、最近ではスーパーでも見かけるソイミートだ。植物由来ということで、環境負荷は畜産業よりも低いかもしれないが、それが健康的かと言われるとはっきりしない。肉に近づけようといろいろと混ぜものが入っているからだ。そういった懸念もいずれ払拭されるかもしれないが、現時点では判然としない。

2.昆虫食は、部分的には取り入れられている。とはいえ、これが新たなタンパク源のメインストリームになると強くは言えない。昆虫食と文明(感想文20-14)にあるように、もともと大して食べていないものへと消費行動を変容させるのは、今の環境問題への関心度合いの程度では弱いのだ。昆虫を魚の餌にするのなら受け入れられるだろうが。

さて、本題の3.培養肉のビジネス性はどうだろうか。

本書の主題でもあるのだが、本当に問題なのは、肉を好んで食べる人たちがどう感じるかなのだ。現代では食習慣のかなりの部分を占めている牛肉、鶏肉、豚肉、そのほかの多くの畜産物。それをこの新たな方法で生産することを、肉好き人々には受け入れられるのだろうか。(p.16)

培養した筋肉細胞を食べることは消費者に受け入れられるだろうか。角膜や心臓や軟骨や赤血球が医療目的で培養されるようになり、一部、臨床試験も始まっているので、自家細胞か他家細胞かよく知らないけれど体に組み込まれている。そのバイオメディカルの手法や技術が食肉に適用され、培養肉という新たなビジネスへと発展していっている。

いま私たちが立ち会っているのは、次なる食の革命の幕開けなのかもしれない。そんな期待をかき立てるのが、細胞農業だ。細胞農業とは、動物には手を触れず、広大な農地をより自然な生息地として動物たちに返しつつ、本物の肉をはじめとしたさまざまな畜産品を研究室で生産する手法だ。(p.12)

細胞農業という名称はキャッチーではあると同時に、既存の発酵学や微生物工学とは一線を画しているワーディングだ。微生物による物質生産は生み出された物質を産業利用するのに対して、細胞農業はその細胞そのものを産業利用する。培養方法など共通する技術的基盤はあるだろうが、別物であり、細胞農業という名称は新たな概念と言える。
だが、この細胞農業が既存の畜産業を破壊してしまうかはまだわからない。イノベーションのジレンマ(感想文10-29)にあるように、例えば遺伝子組換え技術によって作られた純度100%のインシュリンは市場を奪うことはできなかった。

こう考えていくと、現実の肉に近づけるような方策ではダメなのかもしれない。これまでにない鶏肉と豚肉と牛肉のいいとこ取りをしたような肉を作り出すであるとか、保存や調理といった利用しやすさで生活スタイルを変革するような何かはないだろうか。要するに培養技術や技術革新による生産コストの低減だけでは足りないかもな、と勝手に想像している。

本書で興味深かったのは、多くの動物を利用した産業の栄枯盛衰の物語だ。例えば、明かり。世界をつくった6つの革命の物語(感想文17-10)にも通じるが、鯨油から石油由来のケロシンそして白熱電球へと産業は移り変わっていった。年間8000頭以上のクジラを殺してきた遠洋捕鯨はあっという間に衰退した。

移動方法も同様だ。内燃機関の登場によって馬は不要となり、糞便と尿による汚染から都市は開放された(代わりに排気ガスで汚染されることになるが)。それからマニアックではあるが、25万頭分以上の子牛の腸を使ってツェッペリンという飛行船1隻をつくっていたが、希少な動物素材はゲル状ゴムに取って代わった。

その他にも動物は関係ないが、ほぼ消失した天然氷とフィルムカメラのビジネスについての記載もあった。それから現在も続いているが、畜産業と同様に持続不可能と言えそうなビジネスもあった。それが天然ダイヤモンドとなめし革だ。ダイヤモンドは天然と見分けのつかないものを人工で製造可能であるにも関わらず、天然モノの市場は堅調だ。採掘に環境被害どころか内戦による多くの犠牲を生み出しながらも、永遠の輝きというキャッチコピーで世の女性を今でも魅了している。真珠の世界史(感想文14-25)のように天然真珠がシャネルによって葬り去られたのとは大きな違いだ。天然ダイヤモンドへの謎の信仰はいつまで続くだろうか。

なめし革の市場はシュリンクしているだろう。革の財布や鞄は売られているが、革でなければならない理由は乏しい。ただし、フェイクレザーはあるが、ダイヤモンドのような人工レザー(培養皮革)はまだ実用化していない。ここにビジネスチャンスがあるだろう。また実際に口にする培養肉とは違い、人工培養皮革は細胞農業のエントリー商品になることが期待されている。

最後に、本書では細胞農業が破壊的イノベーションであることを産業構造の面から示唆していることに言及しておく。

遺伝子組み換えと合成生物学には大きなちがいがある。GMOは(すべてではないが)おおむね、ダウ・アグロサイエンスやモンサントなどの巨大企業によって、畜産動物用飼料の生産量を最大化することを目的の一部として生産されている。それに対して農産品における合成生物学の担い手は、主として極小規模のスタートアップだ。彼らの目的は、従来の畜産業(商業用GM作物のほぼすべてを占める飼料用のGMOを含む)を全面的に乗っ取ることによって、深刻な環境問題を解決することだ。(p.314)

GMOビジネス(種苗と農薬のコラボ)は巨大企業の寡占状態にある。化学業界は巨大再編が行われ、ダウとデュポンが統合しコルテヴァとなり、モンサントはバイエルに買収され、中国のケムチャイナはシンジェンタを取り込み、BASFがバイエルの事業の一部を買収した。本書が書かれたときから業界は大きく変貌している。

合成生物学という新しい技術が破壊的技術となり巨大企業を没落に導くかもしれない。とはいえ、最近はそういう流れにはならず、巨大企業は活きの良いスタートアップに投資したり、さらには買収したりして、自らの立場を盤石なものへと維持していくかもしれない。

久しぶりの感想文なので、調子に乗ってかなり冗長になってしまったが、培養肉をテクノロジー、環境問題、動物愛護、社会の受容、持続可能性、ビジネス、イノベーションという異なる切り口から見ていくのは大変面白いものだ。

いつの日か培養肉がスーパーで売られたり、外食で提供されたりするだろうか。日本でも培養ステーキ肉の研究が行われている。日清食品が参入しているのは日本の特徴だろう。祖父から家でニワトリを絞めていたという話を聞くように、私が孫に動物を殺してできた肉を食べてたという話をいつか披露する日が来るだろうか。

環境問題は気になるけれど、かといって多くの人は肉食を止めようとまではしない。培養肉が真に環境問題の解決の一助になるのであれば、陰ながら応援していきたい。