40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文12-21:英仏百年戦争

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※2012年4月23日のYahoo!ブログを再掲
 
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小説フランス革命を読んで、すっかり作者の佐藤賢一さんのファンになった。もっと他の作品を読んでみたいと思い、本書に至った。
英仏百年戦争という響き、それ自体がカッコイイ。英仏、百年、戦争、どれを切り取ってもキャッチーな単語であり、それらが連なると何とも魅惑的で重厚な趣がある。
しかーし、英仏百年戦争って何?まったく分かってない。イギリスとフランスが、百年間もの間、戦争したという額面通りの把握でしかなく、しかもいつ頃の時代かもほとんど分かってない。しまった!高校の世界史ではここまでたどり着いてないままに、地理に転向したんだったっけ。
とはいえ、30代の半ばになりつつあるぼくにとって、歴史は暗記科目ではなく、面白い学問であることが分かってきた。知らないことへのコンプレックス的な反動かもしれないけれど、知らないことを知るのは純粋に楽しい。新しい地平が広がっていく、そんな気分になるのだ。
もうちょっと、前置きを書いておこう。英仏百年戦争に関連するゲームをやっていた。BLADESTORMというコーエーが販売してい るPS3ソフトだ。これにハマった。ゲームの面白さもさることながら、登場する人物もカッコイイ。このゲームで初めて、ジャンヌ・ダルクがこの時代の人だということを知り、ベルトラン・デュ・ゲクランや黒太子エドワードの存在を知った。
ということで、本書の一部をピックアップしてみよう。

英仏百年戦争はフランドルの羊毛貿易問題、ボルドーの葡萄酒貿易問題、なかんずくアキテーヌの領有問題、フランス王位継承問題等々を争点として、中世末にイギリスとフランスの間で行われた戦争である。長短の休戦を幾度か挟みながら、それは1337年から1453年まで、文字通りに116年間も続いている。

ほうほう。ゲームをやっててよかった。アキテーヌとかフランドルとかそういう地名に親和性がある。時代は1300年代の半ばから1400年代の半ばにかけてだったんだね。そして、本当に100年以上も戦争している。

シェークスピアの史劇ならずとも、要するに、なべて歴史はフィクションである。事実の断片を集めては、それぞれの意図と利害で、後世の人間が勝手に意味づけするからである。(中略)私たちは「英仏百年戦争」などという、まことしやかな他方の言葉も疑わなければならないだろう。それは本当に英仏戦争だったのかと。それは本当に百年戦争だったのかと。

え!?英仏戦争じゃないの?百年戦争じゃないの?どういうこと?

どこまでいっても、イングランドとフランスの戦争ではありえない。イングランド人は一人も登場しないからだ。

え!?仏仏戦争なの?

ここから本書は英仏百年戦争に至る前の出来事、英仏百年戦争、その後の出来事と大きく3つについて丁寧に解説してくれる。その部分はちょっと省略しておく。
本書のキモの部分を挙げておくと、

一連の戦争はフランスという国が立ち現れていながら、フランスが複数の支配層に分断されているという矛盾を、あるいは国を治めるべきフランス王と競合し、ときに凌駕してしまうような支配者が別にいるという矛盾を、最終的に解決する過程であったともいえる。

なるほど。そもそもイングランドやイギリスという国は存在していなかった。しかし、百年に及ぶ戦争で、まずはイングランドナショナリズムが生まれ(島国ってのもある)、それが戦争の趨勢を決めていった。そのため、分断していたフランスは一つのフランスへと変貌していったのだ。

フランスという既存の国が「英仏百年戦争」に勝利したのではなく、「英仏百年戦争」がフランスという新たな国を誕生させたのである。

これは衝撃的な事実だ。そもそも戦争の前にはフランスもイングランドも存在していなかった。百年間の長い戦争によってフランスとイングランドという国が生まれていった。

それはフランスがフランスとして、イングランドイングランドとして、さらにはイギリスがイギリスとして歩む道が定められた百年なのである。英仏が百年の戦争をしたのではなく、その百年が英仏の戦争に変えたのである。かかる意味で百年戦争は可能になる。

フランスがフランスになるために100年以上も必要だった。多くの血が流れ、領土の分裂・統合を繰り返し、そうしてようやく国ができていった。この感覚は、日本にいてはなかなか実感できないだろう。

歴史はフィクションであると、本書の冒頭で暴言している。そうした仮定の上でいえば、国民国家という大前提は、フィクションを創るための約束事なのだといえる。が、その約束事もフィクションなのだと、そのことを忘れるべきではないだろう。あるいは発明といってもよい。いや、一種の流行とさえいえなくもない。それが雑体の法則でも、永遠の真理でもないからである。端的な言い方をすれば、国民国家が成立する以前は、当然ながら国民国家を前提にする発想がなかったのだ。

ふむふむ。単なる歴史小説家でない佐藤さんならではの興味深い主張だ。私たちが当たり前と考えている国民国家という大前提ですら、人為的な装置であると。

英仏百年戦争が生み出した国民国家は、そのものが過去の歴史になろうとしている。であるならば、はじめに国民国家ありきの歴史叙述も、ほどなく流行遅れにならざるをえないだろう。歴史だけが国民国家の軛につながれ続けるならば、思考と実践の間に乖離が生じるからである。(中略)つまるところ、そろそろ次の分岐点が訪れてよいというのが、私の密かな持論である。

ほうほう。次の分岐点とは何だろうか。国民国家の次の世界。国家にしばられない、そういう世界が生まれつつあるのかも知れない。国家の成長が、国民の幸福と連関しない。そんな素朴な印象が、新しい世界への変貌の第一歩になるのだろうか。

歴史の面白さは、高校時代の何年にどこで何が起きたかをひたすら覚えさせられる苦行からは感じられなかった。ダイナミックな歴史のうねりが、現在の自分が生きている社会でも起きようとしているという密かな予感が、面白みを増大させる。
佐藤さんの本をもっと読もうと思う。
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(感想文の感想など)
プレイグ テイル -イノセンス-っていうPS4のゲームがあるらしい。舞台は『英仏百年戦争時代の1349年に「黒死病」として恐れられたペスト(Plague)が猛威を振るうフランス』とのこと。ちょっと気になるところ。