40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文18-33:植物は〈未来〉を知っている

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※2018年8月27日のYahoo!ブログを再掲

 

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4月の異動に伴い、しばらくは私が勉強しなければいけないテーマは、「植物」、「化学」、「触媒」ということになるだろう。本書はそのうちの「植物」に関わる一冊となる。

大学生時代(ついぞ20年くらい前のことだけれど)は農学部に在籍していて、いわゆる畜産学科だったため、家畜・家禽(ウシ、ブタ、ニワトリ)について学んだことがあったが、あいにく植物に関する知識は薄い。

もちろん同じ生物なので、分子生物学的には共通しているのだけれど、やはり動物と植物って全く別物という認識で、そもそもこれまでは興味の対象でさえなかった。私はサクラとウメとモモの花を区別できない分解能しか持ち合わせておらず、身近な植物は野菜でしかない。

とはいえ、私がもっと若い頃は植物に強い興味を抱いた時期があった。中学3年生の夏休みの自由研究は、コケの採集だった。京都住まいだった私は、近隣の寺に行っては、コケをむしり取っては、乾燥させて紙製の袋に詰めていた。当時はおおらかな時代だった(たぶん)が、今だと炎上するかもしれない(ヤバい)。

コケそのものは既に捨てられてしまったが、一緒に作成したレポートは残されていて、実家に帰ったときに発掘された。作成した本人でさえすっかり忘れていたが、レポートの最後に自作の一句を掲載するなど、文理融合的なエッジの効いた自由気ままな著作物となっており、赤面ものだった。これは中二病の一種かもしれない。

もう少し思い出話を書いておこう。大学で農学部に進むことは決めていたが、学科については悩んでいた。当初、第一希望は植物にしようと思っていた。しかし、高校の担任から、進む大学は畜産関係が強いから、植物よりも動物の方が良いのではというサジェッションを受けて、あっさりとそんなものかと志望学科を変更してしまった。

私の人生において後悔と呼べるものはたいしてないが、今思えばこの変更は後悔している。結局、畜産学科に進んだものの、家畜含めて動物と直に接するのは獣医師であり、また研究が進んでいるのはヒトの分野だった。結局、今さら獣医になるのは無理だし、もっと最先端の研究をしたいと思い修士課程は他大学の医学研究科へと移るのだが、今に至る流浪の人生のきっかけは、この志望学科の変更だったのだ。

かといって、植物学科でハッピーな人生が拓けていたかというとどうだろうか。それは分からない。でもそういう人生もあったのかもしれないと、別の世界線の私が植物に囲まれた生活をしているような思いに駆られないでもない。

冗長な思い出話はこのくらいにしておこう。本書は大変面白かった。

何かをつくる材料としてだけではなく、何かを学ぶためにも植物を利用できるとしたら、植物の研究はさらにすばらしいものになるのではないだろうか。(p.012) 

人類は植物を日常的に利用している。食料はもちろん、建築資材、医薬品、エネルギー資源、家畜の餌などなど。本書によると実に3万1千種以上の植物を人類は利用している。しかし、本書は利用可能な植物をもっと増やそうという趣旨ではない。植物から学ぼうと言うのだ。

植物は、動物よりもはるかに強い耐久性をもつ現代的なモデルであり、堅固さと柔軟さが結びついた生けるシンボルだ。植物のもつモジュール構造は、現代という時代にもっとも必要なものといえるだろう。植物は、制御センターをもたず、互いが協力する分散構造をそなえ、繰り返される大災害にも完璧に耐え、環境の大変動にもすぐさま適応することができる。(p.016) 

細胞壁は植物細胞にしか見られない要素で、葉緑体とともに植物のトレードマークともいえる。動物の細胞には、このしっかりした構造物のようなものは存在しない。(p.104) 

改めて植物と動物の違いを明確にしておこう。

植物/動物…動かない/動く、モジュール構造/臓器で機能を役割分担、分散型システム(脳神経なし)/集中型システム(脳神経あり)、変動環境に耐える/変動環境から逃げる、細胞壁あり/細胞壁なし、葉緑体あり(光合成する)/葉緑体なし(光合成しない)
※厳密に言えば、そうでない植物や動物がいる。

気候変動などに限らず、マーケットやユーザのニーズなども含めて、現代は環境の変化が激しく、いかにその変化に対応するかが問われている。逃げられないからこそ耐久性と適応性を兼ね備えた植物から学ぶことは多い。っていうか、そういう視点で見たことがなかった。

先日も妻の実家に帰るために5日ほど家を不在にしていたため、次男が夏休みの観察対象として小学校から持ち帰ったアサガオはすっかり枯れてしまっていた。ところが水を与えると、あっという間に翌日には復活している。こういうのも植物の凄さだと思う。

地球上の植物の生物量(バイオマス)については、さまざまな評価があるが、それでも地球に暮らす全生物の総重量の少なくとも80%は植物が占めている。この数値こそ、植物がとてつもなく優れた能力をもっているはっきりとした証拠だ。(p.158)

改めて植物はスゴイと認識した。派手さはないのだけれど。著者は植物から学び、新たなテクノロジーを生み出していて、本書でいくつも紹介している。

・植物のロボット「プラントノイド」
・エネルギーを使わずに大気中から飲み水を集める「ワルカ・ウォーター」
・水に浮かぶクラゲ型ハイテク温室「ジェリーフィッシュ・バージ」

いずれも実証型で面白い研究テーマだ。詳しく知りたい方は、適宜、ググってください。

さて最後にトウガラシの話で感想文を締めたい。

この植物種(注:トウガラシ)が、人間を依存症に陥らせて完全な奴隷にするためにはじめた戦略は、勝利を収めたのだ。人間と関わることによって、トウガラシはわずか数世紀で地球全体に広まった。これほど短期間に広めることができる運び屋は、人間のほかにはいない。(p.148) 

トウガラシの世界史(感想文16-21)では、『動物のなかで鳥だけに選択的に食べてもらい、種子が広範囲に自然散布できるように助けてもらっている』からトウガラシは辛くなったという説明があった。ところがトウガラシはもっとしたたかだったのだ。

ヒトを辛さの虜にし、より多くのトウガラシを生み出すようになり、より辛いトウガラシを創り出すようになった。ヒトがトウガラシをコントロールしているのではなく、トウガラシがヒトをトウガラシなしでは生きていけないようにしてしまったのだ。

こう考えると、地球のバイオマスの8割を植物が占めているのは、ヒトが植物なしでは生きていけないように植物がそう仕向けたとも言える。地球は植物が支配し、そして植物が繁栄するためにヒトを利用しているのだ。

うーむ。ヒトは植物からもっと謙虚に学ばなけれないけないな。

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(感想文の感想など)

読み返すと面白いこと書いてるな。

植物についてはこれ以降も勉強してる。今でも植物の名前は覚えていないけれど、光合成代謝は面白いなと今更ながらに感銘している。