※2012年9月6日のYahoo!ブログを再掲
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ジョン・ハンター(1728-1793)は、ウィキペディアによると『イギリスの外科医である。「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれ、近代医学の発展に貢献した。エドワード・ジェンナーとは師弟関係にあった。解剖教室のための死体調達という裏の顔を持ち、レスター・スクウェアの家は『ジキル博士とハイド氏』のモデルになった。』とのこと。
実験医学の父としてのジョン・ハンターの生涯を描いた一冊。なかなかに面白い。気になる箇所を挙げていこう。
ハンターは当時確立されていたやり方すべてをまずは疑ってかかり、よりよい方法の仮設を立て、その仮説が正しいかどうかを詳細な観察と調査、実験をとおして確認した。
今でこそ、当たり前のことに思えるけれど、当時はこういった科学的な手法は確立していなかった。だからこそ、ハンターは偉大だ。
そのため、ハンターは論文を論文をあまり書いていない。っていうか、論文も読めない。先行研究を読めないからこそ、文章の表面的な美しさなどに惑わされないからこそ、科学的な仮説検証ができたのかもしれない。
死体泥棒は、少なくとも17世紀ごろからイギリス諸島全域で出没していたが、ジョン・ハンターはそれをひとつの産業に変えてしまったともいえる。
プロの墓泥棒は、1700年代のはじめごろから解剖学者を顧客にもつようになった。
解剖するために何が必要か。よく切れるナイフ、解剖に慣れたスタッフ。そうではない。死体だ。そしてその死体を手に入れるのは、現代と同じく難しい。
ハンターの幸福は翌1776年の1月、極致に達した。ロンドンの外科医の最高の栄誉、ジョージ三世の匿名外科医に任じられたのだ。
ハンターは確かに同時代の人間から見ると極めつけの変人だったろうし、敵意や悪意のある医者たちと、科学的な仮説や発見の先取権争いで何度も戦うことになったけれど、ロンドン外科医のトップへと上り詰めていた。
全部でおよそ1万4千点、しかもいまなお増えつづけている。この種のコレクションとしては当時のイギリスで最大の規模だった。(中略)1400のアルコール漬けの動物と人間の器官、1200の骨や頭蓋骨、骸骨の乾燥標本、6000の傷病による病理標本、800の乾燥植物と無脊椎動物、そして各動物の剥製、サンゴ、鉱物、貝殻などがあった。
ロンドンのハンテリアン博物館が、ハンターが生涯をかけて集め、解剖した成果の集合体だ。しまった。去年、ロンドンに行ってたのに…。もっと早く知っていれば…。
最初の人類は黒人であるという考え方と、最初に黒人を創造したくらいだから神は黒人であったはずだという示唆は、驚きを通り越す過激さだった。
ハンターは、フランス革命も起きていないヨーロッパで過激な科学的主張をしていた。チンパンジー、黒人、白人の順に頭蓋骨を並べて、進化のようなことを着想していた。
『種の起源』が出版される70年も前に、ハンターはチャールズ・ダーウィンが確立した進化論に行き着いていたのだ。(中略)皮肉なことに、彼の考えが最発見され出版されたのは1861年、ダーウィンが『種の起源』を出版した2年後なのだから。
ダーウィンと先取権争いを演じたことで有名なのは、ウォレスだ。しかし、実際にダーウィンの進化論という考え方は素晴らしかったかもしれないが、そのオリジナリティは誇張され過ぎているかもしれない。
ハンターは生涯をかけて、外科を「科学」にした。(中略)19世紀以降の外科の手法は基本的に、ハンターが提唱した「観察と実験、科学的証拠をもとにする」という考え方に集約された。
ぼくたちが現代の医学を享受できているのもハンターのおかげと言えるのかもしれない。もちろん、本意ではなかったかもしれないけれど、死後に解剖された人たちの貢献も大きい。
死因不明社会(感想文08-15)にあるように日本の解剖率はわずか2%である。解剖しないと医学は発展しない。なぜなら、本当に治療が正しかったかどうか、そもそも何で亡くなったのか分からないからだ。解剖に対する忌避感は、18世紀のイギリスと対して変わっていない。
最後に、山形浩生さんの解説から抜粋したい。
「生命の尊厳」だの「人としてやっていること」だの「生命倫理」だの「死生観」だのといった、一見するとこう尚早でご立派なお題目の形をとる。臓器移植は是か非か、遺伝子治療はいいか悪いか、ES細胞の実験が許されるべきかどうか。そんな議論で必ず持ち出されるこうした議論は、実は「最後の審判のときにからだがない」とか「三途の川で目がいる」といった間抜けな議論の焼き直しでしかないのだけれど、それを理由に社会的に抹殺される学者や医師、封印されてしまう研究は無数にある。
言うねぇー。全く同意する。正鵠を得ている。でも、科学者対宗教や慣習に縛られる愚かな民衆という図式は不幸を生み出すだけなのではないだろうか。それに科学者に対する信頼はすっかり落ちてしまっている。原発のことだけではないけれど、科学者は科学的観点だけで考えているわけではないということがはっきりしてきているからだ。お金や地位や名誉についても同じくらい、あるいはそれ以上に考えている科学者もいる。
研究も社会活動の一つである以上、社会の要請に答えたり、縛られたりすることがある。間抜けな議論の焼き直しに忍耐強く辛抱強く対処できる能力すら求められている。さらに間抜けな話だけれど…。
とはいえ、本書は、今年で面白かった科学に関する本。こういう本がもっと出てきて欲しい。
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(感想文の感想など)
ハンテリアン博物館に行きたかった。2017年にイギリスに行く機会があったけれど、ヒースロー空港とオックスフォードをバスで往復しただけだった。またチャンスはあるはず!