40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文13-04:コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった

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※2013年1月29日のYahoo!ブログを再掲

 

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小さい頃は電車が好きだった。家の近くの歩道橋の下に走る無数の線路を行き交う電車を飽きることなく眺めていた。その中に異彩を放っていたのが、コンテナ列車だ。コンテナ列車を初めて見た時に、親に聞いたことがある。あれは何かと。人ではなく物を運ぶ電車だと教えてもらった。

ひたすら長く、数えきれないほどのコンテナを運ぶので、駅でははみ出してしまうだろうなと思っていたけれど、きっとコンテナ列車には専用の駅があるのだろう。見たことないけれど。

ぼくとコンテナの関わりはこの程度のものだけれど、ちょっと印象的ではあった。そんなコンテナが主人公の本がある。世の中には奇特な人もいるものだ。

とはいえ、読んでみるとなかなか面白い。要するに、コンテナという無味乾燥な箱がイノベーションを起こしたという話だ。気になった箇所を引用してみよう。

標準的なコンテナは空き缶と同じで、ロマンのかけらもない。この実用的な物体の価値は、そのモノ自体にあるのではなく、その使われ方にある。さまざまな経路と手段を介して最小限のコストで貨物を運ぶ高度に自動化されたシステム。その主役がコンテナである。

ふむふむ。コンテナはロマンのかけらもないただの箱だ。しかし、これが物流の世界を変えたのだ。

現代のコンテナ港は、一種の工場である。(中略)全長が300メートルを超え、幅も40メートルはあろうかという超大型のコンテナ専用船である。(中略)コンテナ3000個、つまり衣料品や家電10万トン分を積み込んだコンテナ船は香港から喜望峰回りでドイツまで三週間で航行するが、これを動かす人員はたったの20人である。

コンテナ列車は見たことあるけれど、コンテナ船を見たことがない。息子の絵本『トラトラトラック』に、コンテナ船からガントリー・クレーンがコンテナを降ろし、トラックに積んで、会社に届けるという話があった。コンテナを3,000個も積む。想像がつかない。

コンテナの歴史の詳細は本書をお読みいただくとして、イノベーションについてちょっと考えたい。

新技術それ自体はさほど経済的利益を生まないことがあきらかになった。経済学者のネイサン・ローゼンバーグが指摘するとおり、「イノベーションは最終的にはそれぞれが最も適した用途に応用されるが、初期段階ではうまく適応できないことが多い。」新技術の導入を阻むのは、新しいやり方に対する抵抗感である。

これって直感的に分かる気がする。新しいことをやろうとしたら抵抗にあう。理由は単純。新しいから。時期尚早。

発明の経済効果を生み出すのは、発明そのものではない。それを実用化するイノベーションである。いやもっと厳密には、経済学者のエリック・ブリンヨルフソンとロリン・M・ヒットが指摘するように、組織や制度の変革である。そうした変革によって、企業は新技術のメリットを生かせる組織に生まれ変わる。

発明そのものが経済効果をもたらすのではない。組織や制度を新しい技術にフィットさせないといけない。イノベーションの本質はこういうことなのだろう。発明でなく、その先の組織や制度の改変が大事で、そうなるとどうしても抵抗にあう。変えるという意思決定に踏み出す行動ができるかどうかが、イノベーションの分かれ道なのだろう。

機械化に対する港湾労働者組合の執拗な抵抗は、一つの原則を確立したように思われる。それは、仕事を奪うようなイノベーションを産業界が導入する場合には、労働者を人間的に扱うという原則である。

ふむふむ。色々な仕事はきっと機会に奪われるだろう。なぜなら生産性を上げないといけないから。数十年も残る仕事というのは多くないだろう。労働者を人間的に扱えば、イノベーションへの抵抗は和らぐのかもしれない。

コンテナは物流コストを限りなく低くした。取引にかかるコストが下がったので、ちょっと足を伸ばしたり、ネットを活用すれば、輸入雑貨を簡単に手に入れることができる。

生産性は上がり、取引は活発化している。経済学的にはみんなハッピーになっているはずなのに、実感は薄いんだよなぁ。
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(感想文の感想など)
コンテナ船はどんどん大型化していっている。現時点で最大は、Mediterranean Shipping Co.(スイス)が所有する船で、約400×60メートル。コンテナは23,756個積める。数字が大きすぎてピンとこない。