40代ロスジェネの明るいブログ

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感想文09-05:ネクスト・ソサエティ

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※2009年2月5日のYahoo!ブログを再掲

 

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著者のピーター・ドラッカーは、最もビジネスに影響力のあった(05年にお亡くなりになったので)思想家として知られている。今では誰しもが使っている、「マネジメント」という考え方をの発明した人でもある。生まれは1909年。同じ年の有名人と言えば、淀川長治太宰治松本清張。何?太宰と清張って同時代の人間だったんだ。

うーむ。ドラッカー含め今年は生誕100年っていうことだね。

著者は、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアにも精通している、経済(っていうか歴史)の生き字引的存在。考えさせられる至極の金言がたくさんある。とはいえ、本書が原文で書かれたのが今から10年くらい前。

その当時は、日本経済は深く暗く沈み込み(就職は大氷河期)、インターネットが一般に使えるようになり、携帯電話も普及してきた。ぼくは大学3年生で、今の妻と付き合い始め、村上龍の「希望の国エクソダス」を読んだりして、酷く将来に悲観的だったりもした。本書が日本語訳で発行されたのが02年。日本は小泉政権へと変わり、良くも悪くも大きく変革しつつあった。

そういう時代背景を頭の片隅に置きつつ、感想文を書いてみよう。

印象に残っていることの一つは、IT革命について。当時、情報化社会という言葉が人口に膾炙していたけれど、その実態について誰もよく分かっていなかった。今振り返れば、インターネットと携帯電話は生活を一変させた。情報へのアクセシビリティは情報の質をも変えた。

インターネットに載っていない情報は、存在しないに等しい。そんな時代になるなんて、当時、誰も考えていなかっただろう。eコマースやeラーニングという言葉を著者は示しているが、10年前にしては非常に刺激的な言葉だっただろう。今では当たり前すぎてそんなネーミングは気恥ずかしささえ伴う。

100年前に生まれた著者らしく、インターネットをある技術と比較している点が興味深い。その技術とは鉄道だ。人の移動が可能になった。時間的距離が大幅に短縮された。

それによって社会が変わった。その状況と今が似ているという。

もう一つ印象に残っているのは、日本の官僚制度について。著者は日本の状況にも詳しく(事実関係でギモンな点もあるけれど)、日本の官僚システムについても言及している。

アメリカの視点では日本は特異に見えるかも知れないが、エリート層による支配のシステムは多くのヨーロッパ先進国で見られ、むしろアメリカの方がマイナである、という。

結論として、著者は日本の官僚制を擁護し、煮え切らない先延ばし戦略の有効性を支持する立場をとる。ユニークな考え方であり、今、日本で流布している言説とは全く異なる結論だ。

昨今の公務員制度改革の議論を見ても分かるように、日本の官僚システムは非常に堅牢で保守的だ。組織や体制は確かに変わっていないが、ドラッカーの主張で、現在の視点から見ると変わってしまった前提がある。

それは人材だ。

手厳しい公務員批判の風潮もあってか、有能な人材は国家公務員を選択しなくなってきている。農水省には東大卒の人間が来なくなった。いよいよ末期な感はある。古くなった機械を何とかメンテナンスして動かしているが、供給される電力は確実に落ちてきている。

機能停止は時間の問題かも知れない。

最期に。今、果たしてネクスト・ソサエティは到来しているのか。全く分からない。まさに現在は混沌としている。こういう時代に、人はすっきりした答えを欲しがるものだ。

残念ながらそんなモノは存在しない。10年後20年後あるいは100年後にようやく整理されるだろう。今の時代を分かりやすい言葉で整理しようとする言説にはあまり耳を傾けない方が良いと思う。

むしろ10年前のドラッカーの示唆に富んだ主張、つまりは、ある種の近未来予測について、改めて考えてみることをお勧めしたい。経済が混沌としている今だからこそ、「経済よりも社会を優先すべし」という著者の言葉は、重く感じられるのではないだろうか。

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(感想文の感想など)

結局、この本以外にドラッカーさんの著作を読む機会はなかった。

それから日本の公務員制度であるが、2014年に内閣官房内閣人事局が設置され、大きく変わった。縦割りが軽減されたというメリットと忖度がはびこったというデメリットがあり、トータルではデメリットの方がデカイんじゃね?という気がするが、定量的ではなく因果関係の証明もないただの個人の感想でしかない。