40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文12-34:政府は必ず嘘をつく

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※2012年6月7日のYahoo!ブログを再掲

 

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ルポ 貧困大国アメリカ II(感想文10-76)以来の堤さんの本。すっかりアメリカへのあこがれが脱色されて久しい。スポーツやビジネスのきらびやかさが相殺されて余りあるほどの暗さが同居していることが分かってきたからだ。

ナイン・イレブンからもう10年が経過した。早いものだ。その頃はまだ大学院生で、事の重大さが分かっていなかった。ビルに吸い込まれる旅客機の映像は現実離れしていた。

この10年の間にアメリカは何を失ったのだろう。細切れのニュースや情報やか細いつながりではアメリカを把握することはできない。今のアメリカを知りたいと思い、本書を購入した。では、気になる箇所を挙げていこう。

アメリカでは上位1%の人間が、国全体の富の8割を独占している。(中略)“狂った仕組み”とは、想像を絶する資金力をつけた経済界が政治と癒着する<コーポラティズム>だ。9・11テロをきっかけに加速し始めたそれは、大幅な規制緩和とあらゆる分野の市場化を実施、この10年でアメリカの貧困層を3倍にし拡大させた。

「上位1%の人間が、国全体の富の8割を独占」というのは、なかなかに衝撃的だ。それだけ格差が大きい。コーポラティズムは、前書の「ルポ 貧困大国アメリカ II」のキーワードだった。

電力会社と官僚、学者、マスコミの4者がからむ利権構造である<原子力村>は、<コーポラティズム>の最たる例だ。

ふむふむ。大災害に見まわれ、初めて原子力の異常さを知る。原子力という原理が抱える矛盾というよりも、おぞましい利権構造に辟易する。再稼働は避けられない。でも利権構造にメスが入ることはないだろう。

医療が市場に支配される米国では、国民は病気になると二つのことに打ちのめされる。<病気との闘い>と<医療費の請求書>だ。

アメリカで病気になるということは、貧困層に転落することを意味している。これまでの堤さんの本で指摘されてきたとおりだ。

「監視体制強化」は、市場にとって大きなビジネスチャンスになる。

9・11以降、多くの市民を監視することができるようになる法律が制定された。結果、新しいビジネスが生まれている。資本主義は資本を蓄積することだけを目的としている。市民が監視されることが資本蓄積を進めるのであれば、そうなるのだろう。

「2015年までに工業製品、農産物、知的所有権、司法、金融サービスなど、24分野の全てにおいて、例外なしに関税その他の貿易障壁を撤廃する」というその内容は、まさに投資家や企業にとって“バラ色の未来”と同義になる。

TPPのこと。あんまり分かっていないから、感想を書きにくい。

自分たちの利益を損なう規制に関しては、その国を相手に訴訟を起こす権利<ISD条項>までついてくるのだ。

ISD条項とは、投資家対国家間の紛争解決条項(Investor State Dispute Settlement)のことらしい。投資家と国家が紛争する。すごい時代になったものだ。実際にはアメリカの投資家と日本という図式になるのだろう。

たとえ主権を手放してでも<海外からの投資拡大と国際競争>が経済成長に不可欠だという考え方が本当に万能なのかどうか、私たちはもう一度慎重に検討し直す必要があるだろう。

TPPと主権を両天秤にかけるという脅しについては、もうちょっとTPPについては勉強してから再考したい。ややアジテーションが過ぎるようにも感じる。

アラブの春>に<ツイッター革命>、アメリカにおける9・11後の<失われた10年>。かつての直接的暴力による侵略と違い、<メディア化された戦争>は、洗練されたマーケティングのように、私たちの承認を勝ち取ってゆく。

ふむふむ。ツイッターフェイスブックがアラブでの革命を起こしていったという指摘は多々ある。ちなみに<アラブ大変動>を読む(感想文12-10)では、アル=ジャジーラの方が影響力があったとは言っている。

しかしながら、戦争や革命が今やマーケティング化している。気軽な「いいね」は、大きな運動につながることもあるが、全くの見当違いに向かってしまうこともあるし、権力者がコントロールできてしまうのかもしれない。

ちょっと胃もたれしてきたので、ここからはまとめちゃう。

規制を取り払う一番手っ取り早い方法は、それを作る機関ごと買ってしまうことだ。だから、アメリカでは多国籍企業は政治を買い、メディアを手に入れ、<コーポラティズム>が社会のあらゆる場所に、市場原理を浸透させてきた。

アメリカ型資本主義>の最大の功罪は、国民を市民ではなく消費者にしてしまったことだろう。(中略)今、世界中で起きている社会現象は、全てこれに対するアンチテーゼなのだ。

巨額の利益をもたらす戦争や原発を維持するために、数え切れない兵士や労働者たちの苦痛が闇に葬られる。推進する業界や癒着したマスコミ以上にそれを長い間支えてきたのは、他でもない私たちの無関心と、利益と効率至上主義の価値観なのだ。

堤さんは、コーポラティズム、つまり、多国籍企業が、政府やマスコミといった大きな権力を囲い入れ、余計な規制を撤廃し、そういう活動を礼賛するように情報をコントロールしている状況を憂いている。

いや、しかし、困る。すでにコントロールされた情報の中にいて、到底太刀打ちできないほどの大きな権力を持っている多国籍企業とどう対峙していいのか。堤さんの言うことが正しいとして、果たしてどうしたらいいのだろうか。

3・11が私たちに教えてくれたことのひとつが、<権力は必ず嘘をつく>という気づきであるとすれば、あふれかえる情報をその前提から見ることは、私たち自身を確実に変えてゆくだろう。

よく知っている。政治家は平気でウソをつくし、マスコミは都合の悪いことは流さない。分かっている。でも、堤さんが期待するほど、私たちは賢くもない。私たちもウソをつくし、都合の悪いことには耳を傾けない。社会的承認を得るために奮闘し、適度な相互承認で日々満足させる。

堤さんの主張は分かる(若干、煽り過ぎって部分はあるけれど)。でもどうした良いのだろう。この情報は正しくないのではとか、ウソなんじゃないかという疑いだけで、

「確実に変わる」なんてもはや信じられなくなっているのだ。

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(感想文の感想など)

日本でもアメリカでもヨーロッパでも中国でも政府は嘘をつくというのは珍しいことではない。オールドメディアもニューメディアも印象操作、でっち上げ、フェイク・ニュース、ファクトチェックのフェイク、自称専門家の利用など、なんでもござれだ。

情報を浴びる私たちは、何を信じればいいか分からない!ではなく、信じたいものだけを信じる状態に陥り、互いの無理解から分断を生み出す。

いつからか私はニュースを追うのをやめた。ニュースの切れ端を記憶の片隅に残しておいて、そのことを誰も報じなくなったときにまとまった本を読むようにした。事件の最中にあるとき、冷静に物事を考えるのは難しいし、おびただしい情報量を整理するほどの時間的余裕もないからだ。

こういったニーズに応えるのが本の役割の一つだと思うし、本の利点であり、ビジネスチャンスなのではないだろうか。