※2012年6月8日のYahoo!ブログを再掲
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戦艦武蔵(感想文12-13)以来の吉村さんの小説。ウィキペディアで有名な三毛別羆事件で一度、読んでみたいと思っていた。吉村さんの本は、淡々としていて、それがかえって読者の想像力を刺激し、真に迫ってくる。
舞台は、北海道の三毛別(さんけべつ)六線沢。もともとは東北に住んでいた人が、そこに移り住んできたのだ。
六線沢は未開の山林中に位置し、そこに村落が形成されたのは、自然の秩序の中に人間が強引に闖入してきたことを意味する。
ということで、むしろ人間が後から入ってきた。しかも、もともと北海道住民でなかったので、羆(ヒグマ)がどういう動物なのか知らない。
内地の熊が最大のものでも30貫(110キロ)程度であるのに、羆は百貫を超えるものすらある。また内地の熊が木の実などの植物を常食としているのとは異なって、羆は肉食獣である。(中略)人間も、羆にとっては格好の餌にすぎないという。
そう、クマとヒグマは違う。ぜんぜん違う。ニホンザルとチンパンジーくらい違う。ってこの表現も分かってもらえないだろう。ヒグマはでかい、しかも肉を食う。森の中でクマに出会うのはまだいいけれど、ヒグマに出会ったら死を覚悟した方が良い。
本の内容に深入りしないけれど、ヒグマが人を襲い、そして食べた。
女の肉体の味を知った羆は、家々を襲って女体を求めて歩きまわっていることはあきらかだった。
印象的だったのが、女が愛用していた湯たんぽ代わりの石にヒグマが異常な執着を示していたシーンだ。欲望に一直線なヒグマを象徴している。
とはいえ、ヒグマは無敵ではない。銀牙-流れ星 銀-の赤カブトもやられるように、見事に仕留められる。
クマ嵐だ。クマをしとめた後には強い風が吹き荒れるという
これが本書のタイトルの由来。
頭の頂きから足先まで九尺(2.7メートル)、前肢蹠幅6寸6分(20センチ)、後肢蹠長1尺(30センチ)で、体重は102貫(383キロ)であった。
でかい。シャキール・オニールよりもボブ・サップよりもでかい。
区長は、羆の肉を食おうと思った。銀四郎は仕来りだといったが、それに従うことが、村落の者にとって土により深く根をおろすための必要条件なのだと思った。
村民を食ったヒグマを食べる。一種のカニバリズムみたいだけれど、村民は決断する。ヒグマが住む地域へのニューカマーの通過儀礼として、ヒグマを食べた。食うか食われるかなのだ。
銀四郎が羆に対して非力な存在であることを自覚しながら、銃一挺を頼りに羆を斃して生きてきたことに気づき、銀四郎は物悲しさも感じた。
ヒグマを倒したのは、ヒグマ退治の名人である銀四郎だ。酒を飲むと人格が豹変し、荒れる。ヒグマを倒すことにのみ存在意義があるような男だ。しかし、その酒癖の悪さは、悲哀と隣り合わせだ。ヒグマに対してあまりに非力な銀四郎。そんな銀四郎の心理とそれを慮る村長。二人の微妙な気持ちが、丁寧に描かれていて面白い。
今年の4月にも秋田八幡平クマ牧場で、ヒグマが6頭脱走し、2人が殺される事件があった。ついつい人間は過信してしまう。ヒグマはクマではない。戦ったら食われる。クマ牧場に行くときは、それがクマなのか、ヒグマなのか、ちゃんと把握しておくことをオススメする。
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(感想文の感想など)
今でもヒグマが町で出没したり、飼い犬が襲われるというニュースを見受ける。
ちょうど真っ最中なのでどういう結論になるかわからないが、注目している行政訴訟がある。北海道の猟友会所属のハンターが北海道公安委員会を相手取って起こした。
ざっくりとした経緯は以下のとおり。
2018/8/21:ヒグマを銃撃し、駆除
2018/10初旬:警察が、鳥獣保護法違反、銃刀法違反、及び火薬取締法違反とし、銃と所持許可証を押収
2019/2:書類送検後、不起訴処分を決定
2019/4:公安委が住所時許可の取り消し処分を決定→行政不服審査請求
2020/4:行政不服審査を棄却
2020:銃がないので駆除できず、ヒグマの出没相次ぐ←今ココ
誰にも得にならないことを行政が行っているようにしか見えない。とはいえ、事件の全貌はまだ見えないので、裁判でこれから明らかになっていくことだろう。