40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文15-17:大黒屋光太夫

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※2015年4月21日のYahoo!ブログを再掲

 

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羆嵐(感想文12-35)以来の吉村さんの小説。

タイトルの通り、主人公は大黒屋光太夫(1751-1828)。名画で読み解く ロマノフ家 12の物語(感想文15-05)で光太夫が紹介されていて、こんな日本人がいたんだと驚き、本書に辿り着いた。その頃の誕生と出来事は、ラプラス(1749)、ジェンナー(1749)、ゲーテ(1749)、大英博物館創立(1753)、ルイ16世(1754)って感じ。

太夫は船乗りで、三重から江戸に向かう途中に嵐に会い、漂流し、ロシアに漂着する。そこからロシアを横断し、最後には日本に戻ることができる。

その移動距離が凄まじい。白子→アムチトカ島→カムチャッカ→チギリ→オホーツク→ヤクーツク→ブキン→イルクーツク→トボリスカ→エカテサンボルグ→カザン→ニジノゴロド→モスクワ→ツワルスコエセロ→ペテルブルグ→そして来た道をほぼ戻る。

18世紀にロシアの東の端にある小さな島から首都のペテルブルグまで行き、当時の女帝エカテリナに拝謁する。数奇な人生を送ることになった光太夫の過酷な旅路の物語だ。

気になる箇所を挙げておこう。

日本のような小さな島国などその存在すら知らないだろうと思っていたが、意外にもほとんどの者がある程度の知識は持っていた。日本をヤッポンスカヤと言い、温暖で豊かな国と理解していて、その国名を口にする時、かれらの眼には憧れの光がうかぶのが常であった。

イルクーツクでのことだ。当時、日本は鎖国で、オランダとしか交易をしていない。そのため、海外の事情は、オランダを通じてしか分からないし、海外にとっても日本のことはオランダを通してしか分からない。それでも隣国である大国ロシアは日本のことを知っていた。

ロシア政府は、オランダ等からの情報で日本がきびしいキリシタン禁制を国是としていることを知っている。海難事故で他国に漂着した者がキリスト教系の宗教に帰依すれば、その者の帰国の道は完全に断たれる。そのことを知った政府は、教会で漂流民に洗礼を受けさせて故国へ帰る望みを放棄させ、日本語教師としてとどまらせるという方法をとっている。

日本の特殊事情をロシア政府は正確に把握しており、それを利用していた。日本と交易はないが、偶然に漂着する日本人はたまにいる。彼らをうまく取り込み、言語、文化、最新情報を入手する。帰国の望みを断つことが、ロシアにとって有利となる。本作でもあったが、美しいロシアの女性と関係を持ち、離れがたくするという手法もある。これは極めて有効な手段かもしれない。

太夫の胸の底には(中略)人の情けにすがらなければ生きてゆけない悲しみがある。

漂着した光太夫たちには何もない。あるのは日本人という希少性だ。ロシアの言葉を覚え、これまでの漂着して、旅をしてきた話をして、ロシア人に同情してもらう。日本に帰りたいという思いと、それに同情するロシア人と、それを政治利用したいと考えるロシア政府。それぞれの思惑が交じり合う。

女帝エカテリナに拝謁することができて帰国の許可が下され、餞別として多くの貴重な品々と金銭が下賜された。

女帝エカテリナ(エカチェリーナ2世)は、光太夫に会った時に、何を思ったのだろうか。ロシアを横断し苦労して帝都に辿り着いた異国民と、ドイツ出身でありながら長年我慢に我慢を重ねてツァーリになった自分の姿と重なる部分があったのかもしれない。
こうして、無事に帰国が許され、しかも最大限のVIP待遇で、帰ることとなり、光太夫たちの人生は、再び大きく変わることになる。

太夫と磯吉に対し将軍家斉が引見することが伝えられ、二人は驚き恐懼した。

ロシア語を話せ、ロシアの事情がわかり、ロシアのトップと会ったこともあるという光太夫は、故国である日本においても貴重な存在となる。将軍と会うという、単なる船乗り人生では、ありえない自体にまで行き着く。

こうして感想文としてまとめていると、光太夫の人生は苦労はしたが、順風満帆に見えるかもしれない。しかし、現実は極めて過酷だった。当初、船には17人が乗船していたが、うち12人は死亡し、2人はロシア正教の洗礼を受けたためロシアに残り(日本に戻ることができず)、3人が日本に戻るが、1人は北海道で死亡する。

とにかくロシアは寒い。三重で育った船乗りたちは、寒さに対応できず次々と死んでいく。日本に戻れず、家族にも会えず、寒い土地で死ぬ。

日本に戻れないことを分かっていながら、洗礼したのには理由がある。洗礼されないと埋葬されないのだ。そのため、死んだら野ざらしになり、野犬に喰われてしまう。死んで犬に喰われることと日本に戻れないことを天秤にかけ、洗礼を選ぶ。そういう心境になるのも仕方ない。

ロシアに漂着した者は皆、日本に帰ることについて希望を抱き、そして絶望する。その心境の揺れ、苦しさ、悲しさ、寒さ、辛さが、吉村さんらしく淡々と描写される。

太夫たちにとって幸運だったのが、博物学者であるキリロ(キリル・ラクスマン)との出会いだった。女帝とのパイプのあるキリロの全面協力がなければ、帰国することも、こうして小説になることもなかっただろう。

ちょうどこの小説は、常夏のシンガポールからの帰国便の中で読んでいた。わずか5日ばかりの海外出張だったが、本書を読んで帰国できることに有り難みをしみじみと感じた。

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(感想文の感想など)

三重県鈴鹿市大黒屋光太夫記念館があるらしい。漂流するスタート地点となった白子港からほど近いところに立地している。機会があれば行ってみてたい。