炭素物語(感想文20-39)に続く、炭素関連本。炭素の中でも特殊な位置づけであるダイヤモンドが本書の主役だ。
私はダイヤモンドを所有していないが、プレゼントしたことがある。そう、婚約指輪だ。20代なかばでたいして貯えがなかった状況でそこそこ高い金額を出したが、その後に購入した乾燥機付きドラム型洗濯機や電動自転車よりは安価だったことを覚えている。
それから、元素図鑑にある炭素のページで「ダイヤモンドは永遠の輝き」というのはデビアス社のキャッチ・コピーであって、事実ではないことを知って愕然とした。ダイヤモンドは燃えるのだ。
そんなダイヤモンドだけれど、今でも人気が高い。ダイヤモンドを買った時には、ゼクシィで基礎知識の4C、つまり、色(カラー color)、透明度(クラリティ clarity)、重さ(カラット carat)、研磨(カット cut)とかは学ぶがダイヤモンド産業の現状と歴史と将来動向は載っていない。そりゃそうだ。購買意欲を失わせるような情報は載せない。
宝飾品の歴史についての本といえば、真珠の世界史(感想文14-25)が大変良い本で、こちらも興味のある方はお読みするのをオススメしたい。養殖真珠が天然真珠の市場を奪うのだけれど、もちろん技術開発も重要だったが、ココ・シャネルの貢献も大きかったのが興味深い。
さて、本書の著者である玉木俊明さんのお名前を見たことあるなと思ったら、10年以上前に著作である近代ヨーロッパの誕生(感想文09-80)を読んでいた。経済史学者ということで幅広い見識をお持ちのようだが、書き方にクセがあるせいか、若干読みにくい(読み進めにくい)のが玉にキズ。ダイヤモンドにキズはつかないけれど。
ダイヤモンドの歴史とは、欲望の歴史である。この高価な商品は、人々の欲望を表しているからである。正確には、人々の欲望がいかにして強くなっていったのかがわかるのである。(p.12)
ダイヤモンドは欲望の結晶とも言える。それは消費者(需要)だけでなく、生産者(供給)の欲望もまた同時に映し出している。
私のアップデートされていない古い知識では、ダイヤモンドの生産地と言えば南アフリカだった。ところが、現在のダイヤモンド産出量1位はどこかご存知だろうか。本書に掲載された世界のダイヤモンド産出量 2018年のデータによると、1位がロシアで、以下、ボツワナ、カナダ、アンゴラ、南アフリカとなっている。確かにアフリカは生産地として多いが、1位がロシアなのだ。そういえば、私のプレゼントしたダイヤモンドはどこで産出されたのだろうか。
また、先程も言及したデビアス社。ダイヤモンドと言えばデビアスというくらいの代名詞的存在だが、その会社が創業された背景は全く知らなかった。
南アフリカにおいては、この地を植民地とするイギリスのむき出しの帝国主義政策が、デビアスという会社を通じて、ダイヤモンドの産出と貿易、加工、さらには販売に至るまで貫徹されたのである。(p.146)
創業者はセシル・ローズ(1853-1902)。同い年生まれは、北里柴三郎、ゴッホ、ローレンツ、オストヴァルト、緒方正規という面々。科学者多し。北里柴三郎と緒方正規についてはスキャンダルの科学史(感想文08-11)が面白いが、全然別の話。
ダイヤモンドの歴史、特に近代では主役となるデビアス社は、イギリスの帝国主義の賜物だ。ビジネスモデルは極めてシンプルで、ダイヤモンド鉱山を独占し、価格管理をし、生産者余剰を最大化するということだ。技術革新は全く無く、ただ鉱山を買い占めていくのだ。製鉄業界の事例(インドの鉄人(感想文20-31)参照)のように。
ダイヤモンド産業には、景気が良い時と悪い時があった。それを避ける唯一の方法は、ダイヤモンドの産出と流通を支配することだと、ローズはきづいていた。(中略)世界にダイヤモンドを供給している鉱山のほとんどを入手したため、ローズは信じられないほどの金持ちになり、彼はその富を、イギリス帝国主義のために使った。この点で、ローズはかなりの愛国者であったのである。(p.112)
南アフリカから産出されるダイヤモンドを独占することで莫大な富を生み出し、それをイギリス帝国主義のために投入する。いつもイギリスはエグいことを平気でする。
もう1点、気になった箇所を挙げておこう。イスラエルとの関係だ。
(イスラエルの)工業製品の輸出に占めるダイヤモンドの比率は約25%と、かなり高い。イスラエル経済にとって、ダイヤモンド輸出はきわめて重要である。それは、ユダヤ人が長期にわたりダイヤモンドの貿易に従事してきた遺産ともいえよう。(p.20)
イスラエルに渡航し、イスラエル本もイスラエルを知るための60章(感想文17-14)、イスラエル(感想文17-15)などで読んだけれど、ダイヤモンドに関する記述の記憶はない。
外務省のイスラエル国基礎データによると、確かに主要産業の鉱工業でダイヤモンド研磨加工がまっさきに出てくる。
ユダヤ人とインド人のジャイナ教徒は、マイノリティーの宗教をベースとする家族制度を利用し、発展を遂げた。近代的なダイヤモンドビジネスは、依然として、伝統的な家族企業の形態をとって発展しているのだ。(p.208)
イスラエルのユダヤ人とインドのジャイナ教徒が、ダイヤモンド加工の大きな担い手であり、宗教と華族制度が基盤となっている。ダイヤモンドはただ採掘すれば良いのではなく、削って磨いて美しく仕上げなければならない。その手作業のところはイスラエルとインドが分業している状況だ。
さて、最後に考えたいのが、今後のダイヤモンドビジネスだ。
合成ダイヤモンドは天然ダイヤモンドよりも安く(しかも、ますます低下している)、しかも環境を破壊しない。したがって将来的には、いや、かなり未来には、合成ダイヤモンドが天然ダイヤモンドに取って代わる可能性もある。ただし現在のところ、宝飾用ダイヤモンド市場における合成ダイヤモンドの占める割合は非常に小さい。(p.213)
最大のライバルは、ちょっとかっこよくラボ成長ダイヤモンド(Lab-growth diamond)と呼ぶらしいが、合成ダイヤモンドだ。天然の優位性はどこにあるのか。実のところ、ほとんどない。見分けもつかない。紛争を意図的に生み出し、採掘に環境破壊が伴うことを考慮すれば、人工的に生産されたダイヤモンドに高い価値が見い出されるようになってもおかしくはない。
現時点で人工的にダイヤモンドをつくるためには、多くの時間とエネルギーコストがかかる。だからこそ、そこまで安くはなっていない。しかし、より簡便にダイヤモンドをつくる技術が開発されるのはおそらく時間の問題であろう。そうなるとダイヤモンドの市場は大きく変貌するだろう。端的に言えば、価格は下がり、取引量は増える。
真珠のように養殖真珠が主流となり、もっとたくさん日常的に使える宝飾品になるかもしれないし、ケミカルに新たな色や輝きのあるダイヤモンドが生まれるかもしれない。
希少性は失われるかもしれないが、すでに市場に出回っている大きな天然ダイヤモンドはその地位を揺るがすことはないだろう。私が婚約指輪用に購入した小粒のダイヤモンドは、その価値が鉛筆の芯とさほど変わらない扱いにされてしまうかもしれないが、そのときは、一緒に火葬していただき、地球規模の炭素循環に貢献すれば良いのではないだろうか。
結局、ダイヤモンドは炭素なんだ。そんなに希少な元素でないのに、独占によって価格をコントロールされ、希少だと宣伝で刷り込まれた、歴史的に最も過大評価された鉱物なのだという厳然たる事実に、ようやく皆が気付かされだしたということに過ぎないのだ。たぶん、もう天然ダイヤは買わない。