40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文18-14:アメリカ 暴力の世紀

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※2018年5月11日のYahoo!ブログを再掲

 

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これまでに何冊もアメリカ関連の本を読んできた。新しい順番で、ドナルド・トランプ 劇画化するアメリカと世界の悪夢(感想文17-03)反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体(感想文15-27)政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること(感想文12-34)新聞消滅大国アメリカ(感想文10-57)といったところ。

私にとってアメリカという国は、熱量がハンパなくあり、何をするにも極端に映る。そして、これまで読んだ本には表立って出てこなかったが、付け加えるなら暴力的にも映る。

今でも頻繁に銃の乱射事件が起こり、トランプ大統領が「じゃあ、教師が武装すれば良いじゃね」とか言い出す始末。暴力による問題は、より強大な暴力で解決すべし、という論理的思考になるのかもしれないが、延々と終わることのない暴力のスパイラルを国際規模で起こしまくっているのがアメリカという国なのだから、国内問題についても同様の手法を用いようと思い至るのは、確かに論理的な帰結なのかもしれない。

さて、本書だが、センセーショナルなタイトルだ。ところが原題は、「THE VIOLENT AMERICAN CENTURY」であり、直訳すると「暴力的なアメリカの世紀」であり、邦訳よりも辛辣度が強い。

内容はタイトルに負けず辛辣で、アメリカという国、国民、そして国民が選んだ大統領の暴力性と無自覚ぶりを繰り返し徹底的に批判している。

トランプの極端な言語表現と行動を好む性癖は、もともとアメリカの気質なのである。彼は、アメリカの国家と社会には力があり、その力が第二次世界大戦依頼、繰り返し自国の高貴な理想を唱導し、推進してきたと考えている。しかし同時に、実はそれが、アメリカの軍事化と世界的規模での非寛容性と暴力行使に積極的に加担してきたのである。この後者のアメリカは、常に、偏狭な行為、人種偏見、被害妄想とヒステリーを生み出してきた。ドナルド・トランプのような扇動政治家で残酷な軍事力を重要視する人物は、こうした状況でこそ活躍するのである。(p.ix) 

私たち日本も例外ではない。アメリカの軍事行動、直截的には暴力行為を面と向かって諌めるようなことをしてこなかったし、むしろ支持してきた。日本国民の多くはアメリカの暴力を支持する政治家を支持してきた。そういう意味で、同じ穴の貉とも言える。

21世紀の10年代には、アメリカはほぼ70カ国で800以上の基地を持ち、15万人の兵員を配備している。アメリカの年間の軍事関連予算は、世界のその他のほとんどの国々の軍事関連予算を合計したものよりも大きい。想像可能な最も精密な破壊手段の維持とその絶え間ない最新化、そして、それに追随しようとする同盟国や仮想敵国に対する威嚇という点では、アメリカに匹敵する国は全くない。(p.xix)

しかし、圧倒的な軍事大国であるアメリカに誰が物申せるのだろうか。日本は確かに北朝鮮からのミサイルで日常の平和が侵されるかもしれないが、それ以上に、アメリカが本気で日本を標的にすれば徹底的に壊滅させることは可能だ。

経済の低迷、多くの餓死者、情報統制、親族や側近の処刑・暗殺など、北朝鮮の国家マネジメントがうまくいっているとは到底考えられない。率直に言って、北朝鮮は失敗国家と烙印を押されても致し方ない。そんな迷惑な隣国ではあるが、日本の行動変容(政策)に影響を与えている国家は、北朝鮮ではない。暴力にはより強大な暴力で対応したがるアメリカだ。

諌めることは難しいし、かといってアメリカが暴力で解決しようものなら、日本にも飛び火するかもしれない。北朝鮮の味方をするのは論外だから、経済制裁アメリカの脅しでとにかく北朝鮮の軍事行動を諦めさせるしかないな、となる。たぶん。現実はもっと複雑だろうけれど。

北朝鮮は悪くない、話し合えば時間がかかっても解決するというのは、無理筋だ。北朝鮮が聞く、聞かないではなく、アメリカが聞く耳を持たない。北朝鮮問題は、失敗国家たる北朝鮮が起因する問題ではあるが、本質として捉えなければいけないのはアメリカの圧倒的な軍事力と暴力性だ。

本書の解説にこうある。

ここで描かれているのは、戦後にこれまでの70年以上にわたる「パックス・アメリカーナ」の追求が、実は、「平和の破壊」をもたらす連続であったということである。すなわち、「暴力的支配」が産み出す「平和の破壊」を、「支配による平和」に変えようとさらなる「暴力」で対処することによって、皮肉にも、「暴力の強化」と拡大を「戦争文化国家」であるアメリカが、世界中で、繰り返し、悪循環的に産み続けてきたという事実である。(p.185)

パックス・アメリカーナ(Pax Americana)とは、ウィキペディアによると『「アメリカの平和」という意味であり、超大国アメリカ合衆国の覇権が形成する「平和」である。ローマ帝国の全盛期を指すパクス・ロマーナ(ローマの平和)に由来する。』とある。

アメリカが平和をもたらしたというのは、事実と全く異なる。平和を破壊し、暴力的支配を生み出してきたのだ。

第二次大戦以降の長い戦後の時期を比較的平和な時期であると称することは、不誠実なことである。なぜなら、それは、実際に起きた、そして今も起きている大量の死と苦悩から目を逸らせると同時に、1945年以降の軍事化と破壊行為を低下させるのではなく、逆に促進させたことに対するアメリカ合衆国の責任の重さを不鮮明にしてしまうからである。(p.003)

日本では終戦記念日頃に戦争映画が放映され、その時に、もうこんなことは繰り返してはいけないと反省する。この平和な時代をずっと維持し続けるのだと、思いを新たにする。

しかしだ。現実世界では、今でも多くの人が暴力によって命を奪われている。圧倒的な軍事力を持ち、傲慢で、無遠慮なアメリカが暴力的支配を生産している。

本書の論旨を整理しつつ、自分の意見を入れたいが、どうしたものかと途方に暮れている。どうすれば暴力の強化の連鎖を止めることができるのだろうか。たまたま結果的にアメリカが圧倒的な軍事力を保有した国になったが、アメリカでなくても他の国が同様の立場になるのかもしれない。

人類はどこに向かうのだろうか。若い読者のための第三のチンパンジー(感想文16-18)にあるように、人間の2つの性質がジェノサイドと環境破壊だとしたら、どうすれば良いのだろうか。

国家という仕組みが限界に来ているのか。あるいは資本主義社会という制度がまずいのか。はたまたヒトという生物が本質的に有する欠陥なのか。それらの組み合わせによるのか。

全く異なる社会制度の構築、AIによる合理的な統制、ゲノム編集によるヒトへの介入…。SF的な解決策を夢想するが、同時に失望してしまう。なぜ世の中は上手くいかないのだろうか。

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(感想文の感想など)

盛り上がるアメリカの大統領選挙を見ていると憂鬱になってくる今日この頃。もともとネガティブ・キャンペーンはよくあったけれど、印象操作やフェイク・ニュースやSNSでの誹謗中傷にも慣れつつある。

選挙カーが候補者の名前を連呼して走り回る姿は日本の選挙の風物詩だけれど、こんなことでは日本は政治的に後進国のままだなと思っていたら、多くの先進国と呼ばれる国が分断と暴力でアウト・オブ・コントロール担っているのを見ると、(自分も含めた)人間の愚かさに目眩がしてくる。

どうすりゃいいんだろうね、ホント。