40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文10-42:日本の臓器移植

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※2010年6月12日のYahoo!ブログを再掲

 

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「どの臓器が好き?」と聞かれたら、ぼくは迷わず「腎臓」と答えるだろう。格差と腎臓でも腎臓移植についてちょっとまとめている。どうやらぼくは腎臓フェチらしい。

腎臓は精巧で、エレガントな作りをしていて、美的センスが凝集されている。そんな腎臓が病気などで壊れてしまったらどうしたらいいか。選択肢は2つ。「透析」か「移植」かのどちらかだ。

周りで透析をしている人がいなかったので、透析の辛さは本書を読むまで知らなかった。非常に長い時間を当接のために費やし、行動が制限される。そりゃそうだ。あんなに美しい臓器を機械で代替できるわけがないんだ。

では、移植はどうか。移植だと、普通の生活に戻れる。免疫抑制薬を服用することになるので、そのために副作用があるとはいえ、はるかに透析よりもメリットが多い。

でも移植には難しい問題が横たわっている。

移植は、ざっくりと分けて2通りある。生体移植か、死体移植か。生体移植とは、要するに生きている人からの移植。親子間とかきょうだい間とか夫婦間とか、親族からドナーを探し出してくる方法だ。当然、生体移植は、肝臓とか腎臓といった、複数個あったり、一部だけを切り取って移植することのできる臓器に限定される。

生体移植の問題点は、公平性といえる。要するに親族が多い人の方が、移植を受けやすいということだ。ドナーになってくれる親族がいない場合には、移植を受けられなくなる。

じゃあ、死体移植というと、心臓死者か脳死者のどちらかがドナーになる。つまり、誰かの死によって、初めて提供が可能になるという、難しい問題がある。

本書は移植医としての率直な意見が示されていて、好感が持てる。移植を推進する立場からここまではっきりとした主張が述べられているのを初めて読んだ気がする。

日本では、1968年の和田心臓移植事件によって、脳死提供が完全にストップしてしまった。この事件が発生していなかったら、日本の移植医療はまた違ったものになっていたかもしれない。日本で未だに移植医療が根付かないのは、この事件が適切に精算されていなかったことが大きいように思う。

さて、本書から印象深かった箇所を引用してみよう。

外科医は病気の患者さんを治すために身体にメスを入れるのであって、健康な人に傷を負わせるのは外科医の魂(スピリット)に反することなのです。(中略)生体腎移植によってこのような幸せを多くの人が感じられるなら、私は外科医としてのスピリットを捨ててもかまわないと思っています。

さっき生体移植の問題点として公平性を挙げたけれど、もうちょっと根本的な問題がここに凝集している。そう、生体移植は、健康な人の体を傷つけることになってしまうのだ。そのために、ドナーに副作用が起きてしまう場合もある。

がん患者をドナーとする臓器移植は生体腎でも献腎でも、現段階では実験的な医療だということです。がん細胞をそのままレシピエントへ移入する可能性が高く、免疫抑制薬を服用している移植患者は、がんを発症するリスクが高くなるからです。

病気腎移植がちょっと前に話題になった。レシピエントにとっては、透析とがんのどちらを選ぶのか、究極の選択だ。一方でドナーにとっては、治療のための摘出と、提供のための摘出では、血管の処理方法が異なる。治療のためと提供のためを必ずしも両立できない。

とはいえ、それだけの理由でこの方法を禁止することもまた適切ではないのだろう。現在も臨床研究として実施されている。

06年には法輪功という気功集団が中国政府から弾圧され、逮捕された会員が移植用に臓器を摘出されているという衝撃的なニュースもありました。

中国では、死刑囚からの臓器移植を実施しているという話は有名。そもそも世界中の死刑執行数の7割が中国だという報告(アムネスティ)もある。死刑囚からの臓器移植自体は決して間違っているとは思わない。問題は、執行された人間が果たして死刑に価するような罪を犯したのかどうか、不明瞭な部分が多すぎるということだ。

さて、本書では臓器移植法の改正を望むとしていた。

そして、実際に昨年、法律が改正された。脳死は一律、人の死となり、15歳未満からの提供も認められるようになった。本人の生前同意がなくとも、遺族が了承すれば提供できるようになった。他方で、親族への優先提供という生体移植で示した公平性が問題となる仕組みも加えられた。

脳死者からの提供は確かに難しい問題がある。それでも、「脳死は人の死」と法的に決められたことは、移植医療を推進する側にとっては、一定の進展となっただろう。

法改正によって移植医療がどう変わっていくのか。個人的には脳死移植が好ましいとは思ってはいないが、脳死移植を推進する方向へ舵をきった以上、脳死移植のポジティブさをうまく制度に落としこんでいって欲しい。

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(感想文の感想など)

中国での移植医療については今でもさっぱり実態が不明だ。恐ろし過ぎて調べようとも思わない。

これは中国に限らず、どの国での当てはまると思うけれど、臓器の闇取引と貧富の格差はリンクしているだろう。残念ながら実証できそうにない。