40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

出生前診断について

※2012年10月末(日付不明)のYahoo!ブログを再掲

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久しぶりに読書感想文以外のことについて書きます。

NHKスペシャルとして2012年9月16日に放映された出生前診断 そのとき夫婦はを見た人も結構いると思います。

出生前診断それ自体は決して新しい技術というわけでもないのですが、米Sequenom社が次世代シーケンサーを用いて、妊婦の血液に含まれる胎児の微量のDNAを解析し、99%の精度でダウン症を判定できる技術が開発されるなど、技術革新があり、正確性の高い技術として脚光を浴びつつあるという背景があります。

しかしながら、技術によって胎児に異常があるかどうかは判別してくれますが、最終的な判断、つまり、産むか堕ろすかの判断は夫婦に委ねられます。その時点でものすごく苦しむわけです。

これは重いなと、全く他人事でなくテレビを見てました。テレビでは産む方を選びましたが(そりゃ堕ろす方を選んだ方はテレビに出てくれるわけはない)、その選択が正しかったのかはずっと悩むことでしょう。

イギリスの事例も紹介されており、やや扇動的に出生前診断による中絶割合が92%である点を報道する記事(こうのとり追って:出生前診断・英国編 妊婦の選ぶ権利尊重, 毎日新聞, 2012年09月06日)もありましたが、実際にイギリスの報告書では統計をとった1989年からずーっと9割を維持しています。この事例はダウン症に関連する検査についてです。

興味深いのは出生したダウン症児が増加しているということです。理由は分かりませんが、日本と同様に出産年齢が高くなっているためかもしれません。決して産む選択をする親が増えているというわけではありません。

日本ではこういった統計がありません。きっとあるのかも知れませんが、ウェブ上に公表はされていません。統計がないのは、出生前診断について色々と考える素地がないことを意味していて、そのためにどうしても感情的な議論になってしまいがちなのではいでしょうか。

既に指摘されていることですが、出生前診断に対する非難は欧米と日本では異なります。欧米ではキリスト教を背景とした中絶それ自体を悪とする非難です。他方で日本ではそもそも中絶はほぼ合法状態なので、中絶は必要悪だけれど、胎児に異常があるという理由で中絶するのは間違っているという非難です。

要するに、欧米では中絶問題であり非難する主体はプロライフ団体で、日本では障害者問題であり非難する主体は障害者団体です。

ということで、夫婦がまさしく自分たちの問題として思い悩んでいる背景には、日本の障害者問題があるということになります。ところがここではたと困ってしまいます。ぼくは障害者問題について全く知らない、っていうかほとんど関心がなかったことに気づきました。

障害者問題が、ぼくたちが直面するかもしれない問題という認識がないばかりか、子どもを作る前からちゃんと把握しておかないといけないという当たり前といえば当たり前のことに気付かされたのです。

長くなりましたが、これは次に載せる障害者の経済学(感想文12-68)の前置きに相当します。障害者について考えることが非常に大事なのに、そのことにようやく気付かされたということを伝えておきます。

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(自分が過去に書いた文章への感想など)

私の中で障害者問題は、私が考えるべき重要課題の一つに位置づけられている。

先日、ダイアログ・イン・サイレンスというイベントに参加する機会があった。聴覚障害者と過ごす90分間は、自分がいかに聴覚に頼っているかを思い知らされるとともに、音を出せない状況下で、しかも顔の下半分がマスクで見えない状態だと、目や眉毛や眉間の動きがコミュニケーションの鍵になり、そしてそれを自在に動かすのがいかに難しいかを思い知らされた。