40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文18-05:トラクターの世界史

f:id:sky-and-heart:20201215203102j:plain

※2018年3月17日のYahoo!ブログを再掲

 

↓↓↓

トウガラシの世界史(感想文16-21)以来の○○の世界史というタイトルの本。都会で生活しているとあまり馴染みのないトラクターが主役という珍しい本。

そういえば、大学の農場実習でトラクターを運転したことを思い出した。免許は持っていたがペーパードライバーだった私にとって、ゆっくりとではあるが力強く動くトラクターを運転することのは、わりと楽しかった記憶がある。

とりわけ重要なのは、牽引力のエネルギー源が、家畜の喰む飼料から、石油に変わったことである。トラクターの登場以降、農業はもはや石油なしには営むことができない。石油がなければ、わたしたちは食べものを満足に食べることができなくなったのである。(p.ⅱ)

実感することはほとんどないが、私たちは確実にトラクターの恩恵を受けている。トラクターがなければ、大規模な農業を達成することはできないし、化学肥料がいくら発展してもそれを刈り取ることはできないのだ。

ラクターと戦車は、二つの顔を持った一つの機械であった。トラクターも戦車も、産声をあげて100年を経過したばかりの、20世紀の寵児なのである。(p.ⅳ)

本書で最も刺激的だったのが、このポイントだ。トラクターと戦車はテクノロジーとしては双子のようの存在なのだ。とはいえ、まだ100年しか歴史がないため、本書のタイトルにあるような「世界史」と名乗るほど射程の広いテーマとへ言えない。しかし、

ラクターがいない20世紀の歴史は、画竜点睛を欠くと言わざるをえない。(p.10)

とあるように、確かにトラクターについて歴史的な観点から語られては来なかったことを鑑み、こうしてトラクターにスポットライトがあたる本書の試みはなかなかに面白いだろう。

本書では、イギリスの産業革命から始まり、ロシア、ドイツ、中国、アメリカ、日本と近代史におけるトラクターの位置づけとその思想的背景について丁寧に描かれている。

本書が明らかにしたのは、機械の大型化に向かう「力」は、けっして大企業の一方的な力などではなく、農民たちの夢、競争心、愛国心、集落の規制、大学の研究、行政の指導と分かち難く結びついた網のようになっており、だからこそ、根強く、変更が難しいのである。(p.240)

化学肥料とトラクターが農業の大規模化を実現したのだが、それはテクノロジーがあったからということだけではなく、国が、集落が、農民が、その実現の夢を見て、競争があり、連携があり、そして農業社会を変えていったといえる。

さて、トラクターはここからどういった発展を遂げるのだろうか。例えば、トラクターの自動運転という技術がすでに実用化に向かいつつある。AIやIoTという言葉が人口に膾炙し、農業の世界にもその波が押し寄せつつある。

ロボットが人間が摂取するに必要な栄養素を供給する農作物を自動で収穫する。このことは大規模農業と地続きになっている、まさに「夢」である。

しかしまた、双生児として世に生み出された戦車が同様の技術が適用され、自動で人命を刈り取る装置として実現してしまえば、それはまた「悪夢」となってしまう。

なるほど。トラクターの技術開発動向や目指す方向性について考えるということは、今後の軍事産業についても重なっていくのかもしれない。

久しぶりにトラクターを運転してみたい。だだっ広い広大な土地をトラクターで耕し、農作物を収穫する。学生時代はそんな人生も良いかなと考えていたのにな。

↑↑↑

 

(感想文の感想など)

1本5000円のレンコンがバカ売れする理由(感想文20-13)で書いたけれど、トラクターの自動運転・操舵を含むスマート農業は、苦労からの開放による農業のコモディティ化あるいは低価格化と言える。

農業を「効率的で、容易に新規参入できて、しかも儲かる」産業へと変えたいという思いは分からなくもないが、自然と生き物を相手にするのはそんな生易しいものではないと思う。農業してない私が断見できる根拠はないのだけれど。