40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文17-30:バッタを倒しにアフリカへ

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※2017年6月27日のYahoo!ブログを再掲

 

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インパクトのある題名。なぜバッタを倒すのか。それは蝗害(こうがい)からアフリカを救うためだ。著者の前野ウルド浩太郎さんは、1980年生まれの若い研究者だ。

本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。(p.7)

本書は、単身モーリタニアに乗り込み、フィールド調査でサハラ砂漠を駆け巡り、様々な苦難を乗り越えていく、勇気と情熱を与えてくれる本である。

一方で、大人の事情とあるように、研究上の悩みではなく、研究者として生き残れるかどうかその瀬戸際の心情を明け透けに語ってもいる。

バッタとアフリカという観点だけでなく、若い研究者の人生を本人が生々しく描き、苦悩、葛藤、諦観、達観といった移り変わる心理がひしひしと伝わってくる。

前野ウルド浩太郎さんは生粋の日本人である。なぜウルドというミドルネームが入っているのだろうか。

ウルド(Ould)とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「○○の子孫」という意味がある。(中略)かくして、ウルドを名乗る日本人バッタ博士が誕生し、バッタ研究の歴史が大きく動こうとしていた。(p.83)

受け入れ先であるモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所のババ所長にその熱意が認められ、ミドルネームを入れることにしたのだ。本書はタイトルだけでなく、著者名にもインパクがある。

バッタとイナゴは相変異を示すかいなかで区別されている。相変異を示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる。日本では、オンブバッタやショウリョウバッタなどと呼ばれるが、厳密にはイナゴの仲間である。(p.113)

相変異について聞いたことがあるなと思ったら、クマムシ博士の「最強生物」学講座(感想文14-09)で登場していた。バッタとイナゴの違いって相変異で決まるのだ。よって、オンブバッタとかショウリョウバッタはイナゴの仲間であり、バッタではない。虫の世界は面白い。

そうだ。無収入なんて悩みのうちに入らない気になってきた。むしろ、私の悲惨な姿をさらけ出し、社会的底辺の男がいることを知ってもらえたら、多くの人が幸せを感じてくれるに違いない。(p.266)

今時の研究者は、強かさがないと生き残れない。前野さんは自分のキャラ押しで研究者としての道を切り拓くことに成功した。こういったキワモノ的な行動には妬み嫉みの入り混じった批難が起きるのが常だが、何も好き好んでこういう行動を選択したわけではなく、昆虫と同じく生き残り戦略として追い込まれて導き出されたのだと思う。

科学や研究に投入される国家予算が減らされ、イノベーションと称し近視眼的な研究にばかり投資される昨今、研究者が純粋な好奇心だけで生きていくのは大変厳しい環境になっている。過酷な砂漠で強かに生きるサバクトビバッタは、日本の若手研究者にとって良いモデルかもしれない。

幸運にも前野さんは日本で研究職としてのポジションを得ることができ、こうして本を出版することもできた。大人の事情に悩み苦しみ、か細い稜線を踏破し、昆虫学者として確固たる地位を確保している。

私自身、振り返れば、到底研究者になることについては、実現可能性の低さと運要素の大きさを前にして、早々に諦めた口だ。いや、後付けの言い訳は止めておこう。結局は、自分自身にその能力がない上に、そこを乗り切ってでもやりたい研究を見つけることができなかったのだ。

それでも本書を通じて私は勇気をもらった。何か新しいことにチャレンジする。色あせてきているが、年初に誓った思いのはずだ。一歩踏み出す、と。まずはそこからだ。よし、やってみるか。

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(感想文の感想など)

コロナのせいで話題になっていないが、コロナがなければ世界的な大問題としてもっと取り上げられていたであろうサバクトビバッタ蝗害問題。【国際】FAO、サバクトビバッタ蝗害が2021年にも継続と警鐘。追加支援金が40億円必要と試算によると『被害額に換算すると8億米ドル。1,800万人分の食糧が失われた』とのこと。

サバクトビバッタの大群が日本に来てもきっとだいじょうぶだろう。なぜなら前野ウルド浩太郎さんがいるのだから。