40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-05:騎士団長殺し

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ずいぶん久しぶりに村上春樹さんの小説を読んだ。

第1部が512ページ、第2部が544ページと結構な分量で、面白いようなよくわからないような、文字だけの現代アート(こういうのを文学と言うのだろう)と向き合ってみた。
申し訳ないのだけれど、ちゃんとした感想文を書けそうにない。

あいにくいつも、村上春樹さんの小説の主人公には、これっぽっちも感情移入できない。主人公が36歳男性の肖像画家で、私の人生に全く無縁の人種だし、才能があって、男女からモテて、よくわからない奇妙な出来事に巻き込まれる人を、私の能力では共感や同一視できそうにない。

例外的に、本書で登場する独身のお金持ちの免色渉(めんしき わたる)さんがなんとも面白いキャラクターだ。奇妙な出来事に巻き込まれそうで、巻き込まれず、変人のようでいて、意外と常識人。なんというか、村上ワールド全開な展開の中で唯一、人間味があるとさえ思えてくる。

しばらく小説は読まないだろう。まだこの余韻が続きそうだ。しかし、この余韻を言語化する能力が私にはない。

とはいえ、何か書き残しておいたほうが良いだろう。ふむ。年齢的に私は、主人公と免色さんの間にいる。主人公にはパートナーがいたし、免色さんには人生をともにできたであろう人がいた。そして二人に共通するのは揺らぐ「子」の存在だ。私には子が二人いて、生物学的関係性は揺らいではいない。たぶん。

主人公の奇妙な経験は、射出された配偶子が受精しそして生を受けるに至る経緯を追体験するかのようだ。

歴史的な虐殺の物語と震災による多くの犠牲。そして近親者の不慮の死と誕生と成長。あるいは愛。渾然一体となって、読者の私に浴びせてくる。何かを。それは何だ。

人間の根源的な始原的な感情と生命体としての機能と構造。邪悪さも無邪気さも愛も性も誕生も死もひっくるめた、当たり前だけれど、直視しようとしない実存

人生のアラートとしての村上作品。10年後に読み返すとまた違った印象を持つだろう。長いから読み返さないと思うんだけれど。