40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-09:水道、再び公営化!

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2018年12月に水道法が改正され、自治体が水道事業の運営権を民間企業に売却するコンセッション方式を導入しやすくするという報道がなされた。

法案成立時はニュースをチラ見した記憶はあるが、その後、後追い的な報道は少なく、ネットでも詳細な情報は限定的だ。民営化への賛否は日本の水道事業の現状とその未来について考察した結果というよりも、政治的立場の違いに起因しており、注意して論考を読み進める必要がある。

本書は、明確に民営化に反対の立場をとっており、ヨーロッパでの民営化から再公営化の揺れ戻しの実情を現地のNGOで働く著者が丁寧に描いている。

また、本書は「人新世」の資本論(感想文21-06)で示された〈コモン〉の考え方が示されている。主張を端的にまとめれば、水は共有財だから、自分たちの手でコントロールする仕組みや制度をつくりましょうとなる。

水は人々の権利だ。誰もが生きていくために必要とする水について考えることは、民主主義のもっとも重要なポイントだと私は考えている。(p.17)

改めて、なぜ水の民営化が日本であまり話題にならず(おそらく本書の売れ行きも芳しくないのではないかと心配する)、社会的な課題だと考えられていないか、その理由を考えてみたい。

極めて乱暴に言えば、多くの日本人(より正確に言えば情報を発信するメディア)は、民主主義について考える経験がな乏しく、それゆえ苦手だからだ、と私は考える。

水は権利、という言い方がある。国連もそう規定している。それをもう一歩進めて考えれば、水から民主主義が生まれるとも言えるのではないか。私の周囲で水の権利運動をしている仲間たちのあいだでは共有されている意識だ。(p.33)

なるほど。水から民主主義が生まれる。利害が一致しない水の問題について市民がきちんと話し合い、考え、決め、また見直す、そんな経験の積み重ねから民主主義が生まれ、社会が成熟していく。

本書を読むまで全く無知だったが、水道事業の主体のほとんどは市町村だ。それゆえ、総務省の資料によると、水道料金(20立方米/月)は最低853円(兵庫県赤穂市)~6,841円(北海道夕張市)と約8倍の差がある、らしい。

節水化技術や人口減少に伴い水需要が減る反面、水道管などの老朽化対策にコストがかかる。その打開策として期待されているのが、民営化や官民連携(Public Private Partnership)とする政府の理路をそのまま鵜呑みにして良いのだろうか。

水を「商品」として扱うと、人権が損なわれる可能性が高まる。すべての人が生きるために例外なく必要な水を〈コモン〉として扱うのか、利益をあげることを許す経済財として扱うのか。水に、それぞれの社会の考えや選択が凝縮されているのだ。(p.92)

とあるように、水は単なる財ではなく、共有財〈コモン〉として扱い、だからこそ社会が選ばないといけない。何より興味深いのは、市町村が主体であるからこそ、国単位ではなく、より小さな行政単位で考える課題になっている。

私は小さな草の根の変化の積み重ねなしに、国な国際レベルの大きな変化を望む近道はないと思っている。地域から民主主義の練習と実践の運動を重ね、地域を超えて連帯することで力をつけていきたい。再公営化、ミュニシパリズム、フィアレス・シティ運動は、これからも成長していくだろう。(p.193)

ヨーロッパが成熟した社会であるとする主張には私は無条件に賛同しないが、もちろん学ぶべき点はたくさんある。特に会社組織以外での話し合いや意思決定の場は貴重であり、会社勤めのサラリーマンも経験は少ないだろう。

戦略的交渉入門(感想文17-59)にあるように互いに協力し、懸命な合意形成に至れるかが鍵となる。そして舞台は地方自治体となる。

私たちが生きていくために欠かせない水。国と企業のどちらが管理主体になるかとする二項対立でなく、ユーザーである私たちがいかに自ら管理するかについて、水から学ぶ機会であると言える(お後がよろしいようで)。