40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-12:反穀物の人類史

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私は人類史について詳しくない。考古学とか人類学に関する本はあまり読んだ記憶がない。

しかし、人類は狩猟採取生活から農耕生活へとシフトしたけれど、平均して身長は低くなり、体重は減り、寿命が縮まったとする説をどこかの本(感想文はみつからなかった)で目にし、非常に驚いたのを覚えている。

なぜなら、人類は農耕生活を手にし、定住し、肉体的・精神的に安定な生活を手に入れ、余暇で様々な技術を生み出し、文字を生み出し、都市へと発展し、政治やビジネスができていったと信じていたからだ。

そうではないのだ。

一方向的な進歩ではなく、狩猟と農耕が同時に行われた集団もいれば、農耕から狩猟へと生活形態を変える集団もあった。

それでも農耕が多数となったのは、出生率のほんのわずかの差だという。狩猟生活での移動は、妊婦や新生児には負担が大きく、流産のリスクが高いし、複数人の新生児を抱えての移動も困難なため、空胎期間が長い。定住生活は栄養面での不利はあるが、妊娠機会を多く持つことができる。長い時間をかけて出生率の高い定住生活者が移動生活者を凌駕していった。

本書で大変面白いと思った2つのポイントを挙げておきたい。1つは定住による群集がもたらした予期せぬ影響だ。

飼いならされた穀物と動物への依存度が高くなったことは、景観修正の量的変化を表している。栽培作物は形質転換された。家畜も形質転換された。それが依存している土壌や飼い葉も形質転換された。そして、とりわけホモ・サピエンスが形質転換された。(p.69)

人類は定住し、植物を栽培し、動物を育てた。植物は病気に強く育てやすく収穫量の多い「作物」へと変貌を遂げ、動物は従順でおとなしく育てやすい「家畜」へと変わっていった。また人類も定住に向くように変化(淘汰)していった。

定住とそれによって可能となった群集状態は、どれほど大きく評価してもしすぎにはならない。なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に適応した微生物による感染症は、ほぼすべてがこの1万年の間に―しかも、おそらくその多くは過去5000年のうちに―出現しているのだ。これは強い意味での「文明効果」だった。(p.97)

人類も家畜も作物も一緒に生活するようになり、作物を狙う虫が発生し、その虫を狙う鳥がやってきて、動物と人類に感染する微生物やウイルスへと変異し、人獣共通感染症が生まれる。

移動性の狩猟採集生活では見られない群集化により、多くの感染症が生み出された。

COVID-19を挙げるまでもなく、未だに人類は多くの感染症に悩まされているが、人類の生活様式そのものが起因となっているのだ。

もう1つのポイントは、「税」と農業の関係だ。

この本では国家を、税(それが穀物か労働力か正金かは問わない)の査定と徴収を専門とし、単数もしくは複数の支配者に対して責任を負う役人階層を有する制度として考える。(p.111)

本書では、国家の本質は税(査定と徴収)としている。ジャガイモや豆類が主要穀物として選ばれなかった理由は、税であると喝破している。

地中で保存できるジャガイモ、1年で繰り返し取れてしまう豆類は、査定と徴収に不向きなのだ。対してイネやムギは、1年で決まった時期に収穫され、量と重さの関係が明確なため査定と徴収が容易い。

要するに国家が有する徴税機能にとって優位な穀物の生産が奨励されたのだ。人類が安定的に生活するためにはイネやムギでなくても構わなかったのだが、管理しやすさためにイネやムギが選ばれたのだ。

本書はこの他にも、移動性の民族集団が劣った存在ではなく、動的なビジネスを担っていたなど、なるほどと思う人類史の考察をたくさん挙げている。

進歩史観に基づいた直線的な人類史ではなく、離散集合を繰り返しながら、定住国家と移動性民族が対立と融和で共存していく、ダイナミックでスリリングな人類史を味わえる良書だ。