※2014年12月19日のYahoo!ブログを再掲
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本書は辞書の物語である。って、辞書?辞書は無味乾燥で、淡々と言葉の意味を説明し、整理したものと思っているかもしれない。私も思っていた。辞書に個性は疎かたいした違いはないと。そうじゃないのだ。辞書も人間が作ったものであり、人間が作ったものである以上、そこには作り手の情熱や思いや信念が詰まっている。ドラマがあるのだ。
そのことを知っただけでも本書の価値はすごく高い。大変面白い。
これは、日本を代表する二冊の辞書の誕生と進化を巡る、二人の男の情熱と相克の物語である。
二人の男とは、タイトルにあるケンボー先生と山田先生のことだ。つまり、
『三省堂国語辞典』の生みの親、見坊豪紀(けんぼう ひでとし)、「ケンボー先生」
であり、恥ずかしながら、辞書の名前は知っていても、生みの親の名前は知らなかった。
この二冊を世に送り出した「山田先生」と「ケンボー先生」は、辞書界の二大巨星だった。二人は奇しくも東大の同級生であり、元々はともに力を合わせ一冊の国語辞典を作り上げた良友だった。だが、ある“時点”を境に決別した。そして、同じ出版社から全く性格の異なる二冊の国語辞典が生まれた。
そしてこの本はミステリーでもある。ある時点は確実に存在し、その存在は山田先生の新明解にちゃんと例文として記載されているのだ。
じてん【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」(『新明解』四版)
まさかそんなことが辞書に書かれているだなんて、読者(この場合は、言葉を調べる人)は想像するだろうか。分かる人にだけ分かるようにそっと忍び込ませていた暗号だ。1月9日とは何のことだろうか。
辞書というと広辞苑を思い浮かべる人もいるだろう。私もそうだ。あの分厚い一冊は、知識の量と重さと広がりを否応なく醸し出している。
「日本で最も売れている」と言うと、『広辞苑』を思い浮かべた人もいるだろう。しかし、『広辞苑』は累計約1200万部なのに対し、『新明解』は累計約2000万部。2倍近い差ではるかに『新明解』の方が発行部数が多い。そのことを知っている人が、どれだけいるだろうか。
知りませんでした。新明解は実家にあったかなぁ。母親が小学校の先生で、専門が国語だったんだけれど、辞書について何か話を聞いた記憶がないなぁ。私があんまり話を聞く子ではなかったからかもしれないけれど。
そうそう、辞書と言って思い出すのは、辞書の神様・金田一京助のこと。孫にあたる金田一秀穂さんをテレビのクイズショーで見ることもある。辞書の神様という印象は今も強く残っているのだが…。
そもそも金田一京助は、辞書編纂よりもアイヌ語研究の言語学者として評されるべき人物だった。(中略)金田一京助が編者の仕事をしていないことは、辞書関係者の間では周知の事実だった。
ということで、金田一京助は別に辞書の編纂をしていたというわけではない。でも金田一京助がブランドになっているから、辞書出版会社も金田一京助の名前を載せていた。
これは意外な事実だ。金田一秀穂さんも「辞書の神様の孫」みたいな紹介をされるとややフクザツな心境になるかもしれない。
さて、まあ色々あって、「新明解」と「三国」という2つの性格の異なる辞書が世に出た。
『新明解』が「ことばの意味の解説」に重きを置いているのに対し、『三国』はどんなことばを辞書に載せるかという「見出し語の選定」に重点を置いている。
「客観」と「主観」、「短文」と「長文」、「現代的」と「規範的」。編集方針から記述方式、辞書作りの哲学に至るまで、まるで性格が異なる。
というように、辞書は思いの外、個性的なのだ。なかなか一つの言葉を複数の辞書で読み比べるなんてことはしない。また、辞書を普通の本のように通読するということもない。でも本書を読んで、辞書を比較したり、通読したりしてみたくなった。特に山田先生の新明解の主観的で、長文で、規範的な説明を読んでみたい。
辞書だけでなく、人物像も面白い。2人の辞書の生みの親も辞書に負けず個性的だ。
ケンボー先生が“戦後最大の辞書編纂者”と言われる所以は、「ワードハンティング50年」の成果である145万例のことばにある。辞書作りのために、これほどのことばを一人で集めた人物は、日本でも、いや世界でも皆無と言っていいだろう。
ケンボー先生の家族へのインタビューも本書では掲載されているが、異常な家庭の状況が伝わってくる。毎日、休みなく、ひたすらワードハンティングに励むケンボー先生。
取り憑かれたかのようにことばを集めるその姿は、子どもにとっては理解し難い父の姿だったろう。
取材を通して私に浮かんだ「ことば」のイメージは、「砂」だった。(中略)ケンボー先生は、変わり続ける「砂漠」の景色を、灼熱の中、必死にキャンバスに写し取ろうとスケッチを繰り返す画家のように思えた。
この砂漠という心象風景は、三浦しをんさんの小説「舟を編む」(私は読んだことないです)で表現されている「海」とは異なる情景を表したものだ。報われない砂漠の画家。
見坊は、用例採集に没入していき、刻々と変化することばの実相を追いかけ続けた。山田は、辞書界の現状を憂えながらも、ことばの砂漠に沈み込んでいく見坊の後ろ姿を、ただじっと見ているしかなかった。
そして山田は思い切った一手を打つ。
「見坊に事故有り」。そうはっきりと書かれている文を、見坊本人は何も言わずに凝視していた。見坊が“事故”に遭ったという事実など、一切存在しなかった。
『新明解国語辞典』の完成を祝う打ち上げで披露された新明解の序文に、事故にあっていないのに事故有りと書かれていた。辞書にウソが書かれていた。このことが二人の亀裂を決定的なものにした。そしてこの打ち上げが開催されたのが、1972年1月9日だ。これが「時点」だ。
山田は辞書を作る上で、譲れない信念があった。「辞書は“文明批評”である」
見坊にも、生涯変わらない辞書に対する強い信念があった。(中略)「辞書=かがみ論」だ。(中略)国語辞典は、現代社会のミラー(鏡)である。もう一つはお手本(鑑)である、と。
文明批評とかがみ。2つの信念は別に水と油という関係ではない。しかし、決して交わることなく、2つの辞書が同じ出版社から出版され、人間が用いることばの輪郭を明確にしていった。
子どもの頃に家にも辞書があった。今、家庭を持ち、家に辞書があるはずだけれど、ここ数年、開いていない。知らない言葉があるとついついネットを使う。その方が早く、場合によっては画像も載っている。日本語で情報が乏しい場合には、英語で調べることもできる。辞書一冊ではネットの情報に太刀打ちできないのは事実だ。
今に始まったことではないだろうが、辞書ビジネスは窮地に立たされていることだろう。でも辞書にはドラマがある。その事実だけで、急に辞書に愛着を持ってしまうから不思議なものだ。
本書では二人の仲違いの真相を全て暴いたということではない。むしろ真相はきっと当事者ですら分かり得ないことだろう。東大の同期がお互いの存在を刺激し合い、そして出版社の事情も複雑に絡み合い、個性的な辞書が生まれていった。
本書はたいそう面白かった。多くの人にこの辞書のドラマを知ってもらいたい。
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(感想文の感想など)
何気なく子供の勉強で使う辞書。辞書を作る人がいて、情熱を注いでいる人がいる。そう考えると、急に愛おしく思えるのだから不思議なものだ。
佐々木健一さんの本をほかにも読んでみたい。