40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文17-48:Mr.トルネード 藤田哲也 世界の空を救った男

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※2017年9月28日のYahoo!ブログを再掲

 

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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生(感想文14-62)以来の佐々木健一さんのご本。辞書になった男は非常に印象に強く残っている作品で、非常に面白かったのを覚えている。佐々木健一が書いた本ということで、期待して読んでみた。

本書の主人公は、藤田哲也(1920-1998)だ。恥ずかしながら、本書を読むまで藤田博士のことは全く存じ上げなかった。ウィキペディアには『ダウンバースト(下降噴流)とトルネード(竜巻)の研究における世界的権威として知られ、その優れた業績から Mr. Tornado(ミスター・トルネード)、Dr. Tornado(竜巻博士)とも称された。また観測実験で得た難解な数式なども、見やすい立体図などの図解にしてしまうことから「気象界のディズニー」とも呼ばれていた。』とある。同じ年生まれは、アイザック・アシモフ長谷川町子三船敏郎、森光子、原節子ミヤコ蝶々といったところ。

若くしてアメリカで教授となり、偉大な研究業績を残し、ダウンバーストを発見し、飛行機の墜落事故を大きく減らすことに成功した。藤田博士は偉大な気象学者と言える。

しかし、本書は知られていない藤田博士の実像に肉薄していく。なぜダウンバーストを発見できたのか。なぜ藤田博士という偉大な学者が形成されたのか。そして、藤田博士はどういう人物だったのか。

藤田博士は25歳の時、長崎への原爆投下の被害調査を経験している。写真を撮り、木の倒れ方を観察し、爆心地を割り出す。観察眼、立体的に空間を把握する能力、物理現象を正確にイメージする力、いかんなく発揮され、養われた。

アメリカ人関係者への取材で、よく彼らが藤田について語る際に使った言葉が「天才」だった。(p.231)

藤田は天才だった。その天才性はアメリカの地であるかこそ存分に発揮された。アメリカには天才を許容する度量があり、そしてその天才を活かす舞台があった。アメリカでの生活は時には孤独であったかもしれないが、計り知れないほど大きな成果ももたらした。

査読を受けずに自説を発表するスタイルは、米国気象界の中で明らかな異端だった。(p.175)

天才は時には傲慢にも映る。藤田博士は学問に厳しい。自らにも厳しく、弟子にも研究仲間にも厳しい。その厳密性がゆえに、査読というアカデミックでは当たり前のシステムを無用と考えた。自らの学問の厳密性を信じ、課しているが故にのことだ。

天才で傲慢。やはり日本では収まりきらないスケールであろう。

何のために研究しているのか。学者同士の議論に終始するより、一般大衆に向けて幅広く研究成果を届けることが学者本来の務めではないか。そうした考えから、広報活動にも熱心に取り組んだ。(p.270)

査読なく自説を発表し、広報活動にも熱心。この一面だけを捉えてしまうと、現代の研究不正と紙一重という印象すら受けてしまう。しかし、藤田博士は完璧主義者で、学問に極めて厳格で、ストイックな研究生活を続けていた。

そして、何よりも好奇心が旺盛だった。生涯現役での研究を心から望んでいた。

何故なのだ。気象史に残る決定的瞬間を捉えた画像を見ながら、なぜそのような欲求が迫り出してくるのか。ようやく墜落事故原因の証拠を掴んだ直後に、なぜわざわざその元凶の中へと自ら突っ込むという、向こう見ずな冒険心を抱くのか。下手をすれば命を失いかねないことは、誰よりもよく知ってるはずだ。だが、藤田哲也という人はそういう人なのだ。自分の目で見て、体験してみないと気が済まない質だった。(p.213)

ダウンバーストを墜落事故の原因と突き止め、その存在を掴んだ。すると、藤田博士は、ダウンバーストに飛行機で突入してみたくなるのだ。どんな風の影響を受けるのか、そこまで知りたくなるのだ。

本書で、知られざる藤田哲也の実像を描いてみせた。晩年の病との戦い、むしろ病に対しても自身の研究能力を使わざるを得ないほど苦しんだ姿があった。それでもなお、空白は残る。家族のことだ。

藤田博士のストイックな研究生活は、人類に貢献するという光を生み出したが、妻や子どもという親しい存在にはその光は到達しなかった。

アメリカだからこそ輝いた強烈な個性、異端な才能。藤田哲也という偉大な学者の存在を私は知ることができ、非常に嬉しく思う。私自身は何度も飛行機に乗ったが、何事もなく無事に安心して利用できるという恩恵を受けている。

藤田博士は、天才であり、傲慢であり、完璧主義者であり、芸術家であった。何より偉大な学者だった。しかし、夫や父としての役割は十分には、あるいは全く果たすことはできなかったかもしれない。

このことを責めても仕方ないし、家族以外に責める資格はない。完璧な人間などはいない。偉大な人物の実像に迫った時、見たくないものも見えてしまう。しかし、このことが藤田博士の新たな魅力となり、輪郭を際立たせ、陰影をもたらす。

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(感想文の感想など)

感想文を見直すと、査読を受けずに自説を発表するスタイルというのは際立っている。

アメリカ気象学会が藤田博士の生誕100年を記念して伝記をつくるというニュースがあったが、その伝記を見つけることはできなかった。