40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-20:美貌格差 生まれつき不平等の経済学

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美しい人は得をするのか。本書では経済学者がこの疑問に真っ向から取り組んでいる。

読書リストを調べてみると、これまで美についての本を読んだことはない。アートや芸術に関連する本は読んだことがあるが、何を美とするのか、あるいは何を醜とするかについてはきちんと考えたことはない。

本書は、そもそも美醜を量的に分析できるのか?性、人種、文化的背景、価値観など美醜のスコア化に影響を与える要素は多数にあるのではないか?といった素朴な疑問も当然対象とし、過去の研究事例やデータを通じて、きちんと回答してくれる。

つまり、美醜はある程度の再現性を持ってスコア化できるし、美しい人は得していると。

訳者あとがきでは、

つまり見てくれと稼ぎ、自分の容姿と相方の容姿は相関している。そこで、稼ぎと相方の容姿が本人の幸せに与えている影響を調整してみると、美貌の違いによる幸せの違いは大部分が消えてしまった。結論:美形がなんで幸せかって?自分はたっぷり稼げるし、それに見るからにステキな相方を捕まえられるからです。(p.236)

美しいと稼ぎが増え、美しいパートナーを手に入れることができる。もちろん、世の中には美女と野獣のようなカップル(あるいはその逆)もあるし、風貌への劣等感をバネにして成功する事例もあるだろう。

しかし、生まれ持った美が人生に有利に働く傾向にあるのは明白な事実であるのだ。と同時に、生まれ持った醜が人生に不利に働く傾向にあるのもまた明白な事実であるのだ。

これが本書タイトルである美貌格差に収斂するのだが、ではこの現存する格差は是正すべきなのかという、至極まっとうだがこれまで誰も踏み込まなかったであろう理路へと分け入っていく。

私たちが美形を好むのは、ある程度は純粋に差別だ。一部の少数民族の人から何かを買ったり、そういう人たちと一緒に働いたり、あるいはそういう人たちを雇ったりするのを多数民族の人が嫌うのとなんにも変わらない。この手の差別は差別をする人たちには有益だが、社会全体には有害だ。(p.144-145)

美形への嗜好性は差別という主張には首肯するのだが、だから是正せよという主張には多くの人は疑念を抱くだろう。

また、今となっては見た目で判断することはルッキズムとして非難されるし、さらには見た目についてネガティブだろうがポジティブだろうが言及すること自体も炎上の燃料となる。

ブサイクな人たちを保護するということは、すでに保護されている他のグループや、今後私たちが保護したいと思うかもしれないグループの人たちを保護するために使う資源が減るということだ。(経済)経済的に競合しないとしても、政治的には競合する可能性が高い。(p.212)

と、ここまで議論が進み、唸ってしまう。ブサイクな人たちを保護する正当性があったとしても、他にも保護対象となる人たちと政治的に競合する。本人たちの努力でどうにもならなかったことで受けた不利益の是正を主張するその要因は様々であるが、すべての人を救うことはできないし、どちらがより不公平さを感じる人が多くいるのかという政治的課題になる。

エッセイのような文体を気軽に読み進めていくと、とんでもない地雷原に連れてこられてしまう。極めて真摯に真面目に検討していくと、こうなってしまう。現在のポリコレ問題の縺れと拗れへの予見にも思える。

こうして感想文を書いているうちに、美醜の損得について真剣に考えるのはコスパが悪い、と考えてしまう。また、美醜について、例えほとんど読む人のいないブログであったとしても言及するのは、割りに合わないとも感じてしまう。

現代社会でのルッキズムへの痛烈な批判は、美醜にいかに多くの人が囚われてしまっているかの証左であると同時に、口を閉ざすことへのインセンティブになる。

美醜に囚われているが、それを表に出せない。その行動制限がかえって美醜への拘りを強化し、固着してしまうのではないだろうか。

と同時に、現在のように在宅勤務が一般化し、顔の半分をマスクで覆う生活が浸透すると、顔の美醜による損得の影響は軽減するかもしれない。

コロナによる化粧品の売上不振もその変化の一つだ。見た目以外の要素が給与やパートナー選びを左右する。これはこれで、とても興味深い経済学のテーマになるなぁ。