40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-25:コンピュータ開発のはてしない物語

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昭和生まれの私はアナログネイティブだ。

物心ついた頃に家にあったブラウン管のテレビにリモコンはなく、ダイヤルを回してチャンネル切り替え、黒いツマミで音量を調整した。電話は当然のダイヤル式の黒電話だった。

私にとってのコンピュータの出会いはファミコンで、友達の家で夢中になって遊んだものだ(親の教育方針のため買ってもらえなかった)。コンピュータやデジタルの原体験はテレビゲームで、ゆえにコンピュータ開発とはゲーム史に等しい。

本書は、もちろんファミコンやプレステの開発の歴史ではない。しかし、タイトルの通り、コンピュータの開発は「果てしない物語」つまりは「ネヴァーエンディングストーリー」であり、常に現在進行形なのだ。

ゲームのグラフィックが美麗になり、滑らかになり、現実世界に肉薄していく。そのダイナミックな変化を同時代的に実感した。

それと同時、ノートPCは薄く、軽くなり、PHS・携帯電話からスマホへと遷移し、フィルムカメラはデジカメに淘汰され、IoTというコンセプトが生まれ、全てのモノがネットにつながる世界になろうとしている。

そして、やれビッグデータ解析だ、人工知能だ、DXだ、デジタルツインだ、メタヴァースだと、次から次へと新たなデジタルのコンセプトが勃発し、融合し、変容していく。

私はそんな世界に生きているが、まったくついていけず、途方に暮れている。それもこれもその背景にはコンピュータがあり、そしてそのコンピュータの熾烈な開発によって実現している。

私はコンピュータのことはさっぱり分かっていない。とはいえ、9月からコンピュータに関連する部署へと異動することになった。昇格と単身赴任の合わせ技で、毎週の帰京&諸経費でトータルすると経済的にはマイナスになりそうだが、せめて知的な刺激を得るという観点ではプラスにしたい。

まずは歴史から勉強してみようということで、本書を手に取ってみた。気になった個所を挙げつつ、整理してみたい。

パスカルの歯車を利用した計算機の原理は、その後まもなくドイツのライプニッツに引き継がれ、その基本的原理は、第二次世界大戦中から大戦直後にかけていくつかのデジタル電子計算機が登場するまでの間、実に3世紀にもわたってそのまま生かされてきた。(p.47)

「人間は考える葦である」の名文句で有名なパスカル(1623-1662)は歯車式計算機「パスカリーヌ」を発明した。その後、微積分法でニュートンと先取権争いしたことでも知られるライプニッツ(1646-1716)が引き継いだとのこと。数学で大きな業績のある有名なお二人が計算機を開発していたのは初めて知った。

計算機の発明の動機について簡単に言えば、前述のヴィルヘルム・シッカルトの場合は、煩わしい天文計算に利用できる計算機を発明して天文学者ヨハネス・ケプラーに贈りたいと考え、ブレーズ・パスカルは、骨の折れる父親の仕事を助けたという気持ちがそもそものきっかけとなった。これに対してライプニッツは、パリの科学アカデミーに華々しくデビューしたいために自己PRをすることが目的だった。(p.53)

パスカルライプニッツよりも前に生まれたシッカルト(1592-1635)が世界で最初に自動計算機を作ったと言われている。とはいえ、二人よりも知名度は圧倒的に低い。この計算機をケプラー(1571-1630)に使ってもらおうとしていたのは面白い話。計算機を作ろうとしたモチベーションも興味深い。

天動説から解放されて、科学は17世紀頃から始まる。同時期にコンピュータ開発の歴史も始まっていたことを初めて知った。

今からおよそ200年前のヨーロッパに、当時は蒸気機関車や蒸気船などの大型輸送機械の動力源として活用されていた蒸気機関を計算機に応用しようと、一生をかけてその発明に挑んだ男がいた。今では「コンピュータの父」と呼ばれる、イギリスのチャールズ・バベッジだ。(p.57)

バベッジ(1791-1871)は、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した。それにしても蒸気機関で計算機を動かすという発想には驚かされる。

19世紀後半になりコンピュータが産業として発展していく。ちょっとわかる範囲でコンピュータ産業の歴史をまとめてみよう。

  • ユニシスへの系譜アメリカン・アリスモメータ社(1886)→バロース・アディングマシン社に社名変更(1904)→バロース・コーポレーション→スペリー社*を買収・合併(1986)→ユニシス
    *スペリー社…パワーズ・アカウンティング・マシン社を設立(1911)→レミントンランドに吸収(1927)→スペリー社と合併(1955)
  • IBMへの系譜…ホレリスがタビュレーティングマシン社を創業(1896)→4社が合併して コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング社(CTR)が結成(1911)→IBMに社名変更(1924)

チューリング賞は、コンピュータ関係者にとって、ノーベル賞に匹敵する権威ある賞として認められているが、残念ながら日本人の受賞者はいない。(p.93)

へぇ。現在も受賞者はいない。いつか日本人受賞者は現れるだろうか。

ENIACの後継機としてプログラム内蔵式計算機「EDVAC(エドバック)」の開発に関する検討が始まったのは、1944年半ば頃からである。検討グループの主要なメンバーが、フォン・ノイマン、ゴールドスタイン、モークリー、エッカートらであったことは言うまでもない。(p.102)

機械式計算機からプログラム内蔵式計算機へとコンピュータは発展していく。EDVACは、フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔(感想文21-14)に登場するノイマンらが開発した。

ノイマン型コンピュータというのはプログラム内蔵方式を採用したコンピュータのことで、現在のほとんどすべてのコンピュータはこのタイプに属する。しかしこれには、記憶装置から命令を順次取り出すことによって処理速度が低下するという弱点がある。(p.104)

それでは、非ノイマン型コンピュータにどういうのがあるかというと、ニューロコンピュータ、量子コンピュータ、DNAコンピュータなどだ。量子コンピュータについては改めて別の本を読んで勉強してみたい。

(日本で)最初に電子計算機の開発に成功したのは、実は富士写真フィルムの岡崎文次という技術者で、それもほぼ独力で作り上げた、まったく手作りのものだった。時は1956年。いわゆる試作機ではなく、レンズの設計に使うことを目的とした立派な実用機であったということから、まさに驚きだ。(p.192)

さっぱり日本のことは出てこなかったが、ようやく登場した。日本で最初の電子計算機であるFUJIC(フジック)は、上野の科博で展示されているそうだ。何度も行ったけれど、その存在を認識してなかった。

スーパーコンピュータの歴史は、パーソナルコンピュータの歴史より若干早く、1960年代に始まる。そしてそれは、IBM社を除けばコントロール・データ(CDC社)とクレイ・リサーチ社の歴史であり、そのCDC社とクレイ・リサーチ社の歴史もまた、セイモア(もしくはシーモア)・ロジャー・クレイというひとりの傑物の歴史そのものと言っても過言ではないだろう。(p.254)

セイモア・ロジャー・クレイ(1925-1996)は「スーパーコンピュータの父」と呼ばれている。クレイのことは改めて別の本で勉強してみたい。

新しい部署に関連する本の感想文はこれが初めてだ。異動するととにかく勉強しないといけないことがたくさんある。全然知らない分野だし、どこをどう勉強すれば良いかもわからない。

でも効率的に勉強することは望んでいない。不案内な分野の歴史や現状を自ら紐解きつつ、技術動向や国際情勢への理解を次第に深めていき、この先にあるほんの少しの未来が見えるようになればと思う。

しんどい時期ではあるけれど、最も成長を感じられる幸せな時間を大事にしたい。