40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-30:物理学者のすごい思考法 

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私は物理学への得も言われぬ憧れのようなものを持ち合わせている。派生して物理学者への尊敬の念も持っている。 

著者は橋本幸士先生。どうやら2021年度から京大に移られたようだ。同じ教授職で阪大から京大に移るのは珍しいのではないかしら。 

高校の時は得意だった物理学だけれど、大学では農学部を選んだがために、その後に鍛える機会もなく、今に至る。たまに物理学の本を読んで分かった気になったり、チンプンカンプンになったりして、脳に刺激を与えるくらいだ。 

物理学の業界で興味深かったのは、論文の大量死現象だ。 

2012年にヒッグス粒子と呼ばれる素粒子が実験で発見された際、理論物理学の論文が大量に「死ぬ」という事件が起こった。<中略>未発見のヒッグス粒子の性質について、様々な理論的予想が論文に書かれた。それらが、2012年のヒッグス粒子の実験的発見により、ほとんど淘汰されたのである。数千の論文が死んだ。素粒子物理学はこの100年、そのように論文の大量虐殺を繰り返しながら進展してきた。(p.112-113) 

実際に実験で発見されたり生成されたりすると、理論的予想で外れた論文は葬り去られる。そういう運命なのだ。物理学が面白いのは、実験と理論の両輪で進展し、その後ろには結果的に間違った死屍累々の論文の轍が続いている。 

物理学は、理論と実験の両輪で進んでいくものである。新しい物理現象が見つかったとしよう。その現象の奥に潜む原理を、新しい理論は解き明かす。そして、理論はその成功に基づいて、新しい物理現象を予言する。その現象が、また実験で確認される。この繰り返しで、物理学は現在の最先端科学にまで発展してきた。(p.190) 

物理学には理論屋と実験屋の2種類の人種がいる。それぞれに美学があり、真理探究に邁進している。 

科学的な考え方は、時に、人間の知覚を大きく飛び越える。それは、今までに発見されてきた科学がすでに人類の集合知という神になっているため、その神の視点を用いて、次の科学を考えていくからである。科学が進歩するとき、人間は神を拡張しているのだ。(p.113) 

量子物理学の世界は、完全に人間の知覚から逸脱している。ほとんどイメージ不可能な世界だ。科学によって得られた集合知は神であり、科学は神の御姿を拡張し、変えていく活動に他ならない。 

物理学と神(感想文09-10)を思い出す。橋本先生の中では神は完全なものではなく、完全なものへと発展していく終わりなきプロセスのようなイメージなのではなかろうか。 

本書は気軽に物理学者の実態や生態を触れられる。とはいえ、タイトルにあるすごい思考法を学べるわけでも、習得できるわけでもないので、過度な期待は禁物だ。軽い気持ちでさらりと読むのをお勧めする。