40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-03:電脳進化論―ギガ・テラ・ペタ

 

本書が1993年に刊行されており、約30年前の本になる。目まぐるしい勢いで発展するコンピュータサイエンスについて、30年前の時点での最前線を描いている。

著者は立花隆(1940-2021)さん、昨年お亡くなりになったが、幅広い分野に知的好奇心があり、知の巨人と呼ばれていた。ちなみに同じ1940年5月生まれの有名人は、円谷幸吉王貞治荒木経惟筒美京平大鵬

30年前の本ではあるが、色あせていない。そしてちょくちょく知っている名前が出てきて興味深い。引用しつつ、整理してみよう。

これまでの投資額はかれこれ100億円近いという。スーパーコンピュータは電力消費が激しいので、ランニングコストもかかる。電気代だけで月に1000万円を超えるという。(p.23)

物理学者である桑原邦郎(1942-2008)のことで、計算流体力学研究所を創業し、自身の父親の遺産でスーパーコンピュータを購入した。そんな方がいたのを初めて知った。バブリーな豊かな時代の日本を象徴するような出来事と言って良いだろう。親の遺産でスパコンを買って好きに研究する。科学者にとってのロマンだ。

スーパーコンピュータは、それ自体が先端技術の粋を集めた戦略商品であるとともに、日本の未来を支えるあらゆる最先端技術開発に必要なツールでもある。(p.51)

30年前に立花さんはスーパーコンピュータを戦略商品と看破している。「スパコン富岳」後の日本(感想文21-26)では、スパコンは産業の基盤としている。現在では、自前でスパコンを開発できるのはアメリカ、中国、日本だけだ。

コンピュータ開発そのものが、原子爆弾の落とし子ともいえるのだという。原爆の開発には膨大な実験が必要だった。<中略>こういう問題は実験で求めるわけにはいかず、すべて計算で求めざるを得なかった。(p.134)

(おそらく)人類歴代天才ランキングで上位に食い込む、天才中の天才ノイマン感想文21-14:フォン・ノイマンの哲学参照)がプログラム内蔵方式のノイマンアーキテクチャーを生み出し、現代のコンピュータに繋がっている。しかし、コンピュータが生まれたきっかけは、戦争であり、原子爆弾の開発だった。この点は書き残しておこう。

近似解とはいえ、コンピュータ・シミュレーションによる非線形現象を追っていくことができるようになったということは、やはり画期的なことである。これが、エンジニアリングの世界において高く評価された。技術コンシャスな企業が、いま競ってスーパーコンピュータを導入しているのも、この技術的有用性によるのである。(p.340)

現在、ものづくりにコンピュータ・シミュレーションは欠かせない。30年前のスーパーコンピュータの性能は、いま私たちが仕事で使っているコンピュータよりも性能が低い、たぶん。しかし、新たな製品を生み出すためには、例えば自動車を作ろうとすると、試作品をいくつも作り、実際に走らせたり、ぶつけたりするような開発を行っているわけではない。開発コスト(時間もお金も)かかり過ぎる。

コンピュータ上で車をバーチャルに作り出し、それをシミュレーションしている。その精度、つまりは現実とのズレを小さくするためにスーパーコンピュータが必要なのであり、だからこそスパコンは戦略商品であり基盤技術たるのだ。

未来コンピュータの方向性は、超並列コンピュータ、ニューロコンピュータ、ファジーコンピュータ、モンテカルロ法専用マシン、光コンピュータ、量子コンピュータ、バイオコンピュータなど、じつに多岐にわたっている。そして、その性能も、ギガフロップスをこえて、テラフロップスはすでに指呼のうちに入り、将来的にはペタフロップスをのぞむところまできている。(p.342)

四半世紀以上が経過し、超並列コンピュータはスーパーコンピュータの主流となっている。2020年にスーパーコンピュータ「富岳」は415.53ペタFLOPS(0.4エクサFLOPS)を記録した。ペタフロップスは立花さんの予見通り達成しているし、海外ではエクサスケールも分散システムですでに実現している。

生物進化は、人間という知能生物を生むために、35億年の時間をかけたが、コンピュータは、百年にも満たない時間で、その知能を凌駕しようとしているのである。<中略>この進化は、人間によってドライブされた進化である。<中略>コンピュータ進化を通じて、いま人類の知的進化が加速度的に速まりつつあるのだといってもよいかもしれない。(p.348)

立花さんの予見通りにはいかなかったのは、「コンピュータ進化を通じて、いま人類の知的進化が加速度的に速まりつつある」という点だろう。確かに、皆がスマホを携帯し、膨大な計算を高速で行えるコンピュータが開発され、世界はインターネットでつながり、精度の高いAIも開発され、様々な情報に自由にアクセスできる。しかし、人類の知性は進化しているのだろうか。

戦争が無数の命を奪い、地球環境を破壊し、貧富の格差は拡大し、感染症が蔓延し、フェイクニュースに踊らされる。いま私たちはどういう状況にあり、何が本当で何が嘘で、何を信じ何を疑い、誰を支持し誰を拒絶し、そしてどこへ向かっているのか。混沌としている。

技術の進展ほどには知性は進化していない。技術の進展スピードと比較すると、むしろ退行しているようにすら思える。

トランスヒューマニズム(感想文20-08)によって、人間は拡張していくのだろうか。技術的特異点(シンギュラリティ)は2045年に本当にやってくるのだろうか。

そんな社会情勢にあって、立花さんのような知の巨人と呼ばれる人物は今後、登場しにくいかもしれない。人間の知性では対応できないほど、社会は混沌としている。極めて複雑な問題に対してクリアカットな言説を生み出すのは知性ではない。むしろ欺瞞の部類だ。

本書のタイトルにある電脳という言葉はノスタルジックだ。技術の進展と人間の知性への淡い期待がないまぜになっている。コンピュータはこれからも発展していくだろう。と同時に、同じ速度で発展することのない知性との乖離はますます顕著になっていくだろう。