40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-13:宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族

 

こちらも会社の方にお借りした本。なかなか自分ではセレクトしない一冊。

主人公はタイトルの通り、宗家の三姉妹である。

宗家の三姉妹は、それぞれ、靄齢(あいれい)、慶齢(けいれい)、美齢(びれい)と名づけられた。母親譲りの切れ長の目が愛らしい三姉妹だった。暮らしには何の不自由もなかった。上海でも指折りの財力を誇る父に、子どものために費やす金を惜しむ必要などなかった。(p.9)

ちなみに宗家には三兄弟もいて、男3人、女3人の6人きょうだいである。

本書で、次女の慶齢は孫文と結婚し、三女の美齢が蒋介石と結婚することを初めて知った。よって、三姉妹、特に慶齢と美齢は中華人民共和国の成立、そして台湾の成立(中華民国の台湾進出)といった中国と台湾の歴史に深く関わっていく。

1915年に孫文と慶齢は結婚する。

2人の結婚はそれから2年後、孫文49歳、慶齢22歳の秋のことだった。<中略>親子ほどの年齢の差。しかも当時孫文には妻がいた。(p.27-28)

しかし、

孫文と慶齢との暮らしはわずか10年にも満たず終わった。<中略>このときまだ慶齢はまだ32歳。彼女は、夫であり、教師であり、革命の同志であり、思想上のリーダーでもあった人物を一時に失ったのである。(p.38)

「中国革命の父」と呼ばれる孫文(1866-1925)が亡くなり、その跡を継いだのが蒋介石だ。

蒋介石は、宋・孔両家の財力と結びつき、「孫文の義弟」という名誉も得た。敬虔なクリスチャンとして知られる美齢との結婚を欧米列強も歓迎した。反帝国主義と反キリスト教が結びついた中国に、キリスト教に理解を示す新たな指導者が誕生したのである。(p.76-77)

孫文の思いを引き継いだはずの蒋介石だが、慶齢と美齢は離れていく。同時にその思い違いは中華民国国民政府と中国共産党との内戦へと発展していく。

美齢と蒋介石の結婚によって完成した「宋王朝」。その礎となったのは、孫文と慶齢との結婚であった。だが、慶齢は、この「宋王朝」との対決の姿勢を終生崩すことはなかったのである。(p.93)

また、内線した中国の周辺にある国際情勢が極めて複雑になっていく。アメリカ、ソビエト、日本。いくつもの戦争が起き、収まり、そして内戦が再び起こる。蒋介石は最終的には台湾へと逃げ帰ることになる。

宋王朝」は終わりを迎え、三姉妹は歴史の表舞台から姿を消していく。しかし、複雑でダイナミックな中国と台湾の歴史に三姉妹は深く関わり、時に対立し、多くの人間を巻き込んだ。

私が生まれるずっと前の時代に、アメリカに留学し、何度も外国を行き来し、メディアを使って訴える女性たちがいたことに心底驚いている。

本書は1994年に放送されたNHKの番組を中心に、その後に明らかになった事実を盛り込んで書き下ろされ、1998年に出版している。

当時、存命だった美齢さんにコンタクトを取ろうとしたが、残念ながら実ることはなかった。2003年10月23日にお亡くなりになったらしく、美齢さんは1世紀以上も生きたのだ。歴史上の人物である蔣介石の妻が21世紀まで生きていた事実に驚く。

その後、ソビエトは崩壊し、ロシアになり、強い指導者が求められプーチンが台頭し、その基盤は強固となり、次第に頑迷になり、ウクライナを攻め込み、国際社会から孤立している。中国では、毛沢東中華人民共和国を建国するが、文化大革命天安門事件と内乱状態が続き、今では感染症が蔓延し世界を一変させ、アメリカとの関係は冷え込み新冷戦と言われて久しく、また香港、台湾、ウイグルなどで緊張状態が続いている。

久しぶりに国際情勢について考える良い機会になった。今起きていることだけでなく、これまでに起きてきたことまで射程に入れて考えると、現在を少し深く知れたような気持になる。とはいえ、当事者ではないので、受動的に映画を見ているような感は拭えないんだけれど。