40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-20:ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ユニークなタイトルと派手な黄色いカバーで気になってはいたけれど、読んでなかった一冊。会社の本好きの方からお借りして読んだ。

まず盛大に勘違いしていた。本書は少年が主人公の小説とばかり思っていた。違うのだ。国際結婚してイギリスで生活している母による中学生のスクール・ライフを描いたノンフィクション・エッセイなのだ。

「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている。」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら、「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか。どこから手をつけていいのか途方にくれるような困難で複雑な時代に、そんな社会を色濃く反映しているスクール・ライフに無防備にぶち当たっていく蛮勇(本人たちはたいしたこととも思っていないだろうが)は、くたびれた大人にこそ大きな勇気をくれる。(p.5)

小説ではない。な、なんだと。のっけから思ってたんと違うとなりながらも、単身赴任の神戸に向かう新幹線で読み進める。

著者のご子息は中学1年生(イギリスでは7年生)で、同じ中学生の息子を持つ親として、そこは共感できるポイントだ。とはいえ、イギリスと日本では全然違う。何よりお子さんが悩みを話し、母子でちゃんと会話しているのが素晴らしい。

描かれているのはイギリスの中学校の「リアル」だ。学校間で格差があり、同一学校内の生徒間でも格差があり、多様性があり、衝突があり、いじめがあり、仲違いがあり、仲直りがある。教育についてもイギリスだとこういうことも教えるんやなと感心するが、まあ日本やとさすがに無理あるなと思うところも多々ある。

本書は別段、イギリスが進んでいるとか、だから日本は遅れているとかそういう主張はなく、イギリスはイギリスでまた日本とは異なる悩みや社会問題があり、ご子息の言動から垣間見れる中学校生活はまさしくイギリス社会の縮図だ。多感な時期に中学校をイエローとホワイトのハーフアンドハーフ(ハーフもダブルも今では不適切表現と捉えられることもあるらしい)である息子さんが生き抜いていく姿が逞しく映る。

それから、パートナーのことは配偶者と書かれている。夫や旦那やましてや主人なんて表現はない。そうか、配偶者か。なかなか日本ではパートナーのことを配偶者って言わないけれど、これもイギリス事情を反映しているのだろう。

さて、うちの長男(中3)はどうだろうか。関東圏内にあるさしてレベルの高くない私立中学校に通っている。少人数制であり、巷のいわゆる進学校のような受験勉強圧力もない。学校の部活とは別にサッカークラブに通い、サッカーとそれなりの勉強とそれ以外はスマホかスイッチかノートPCをいじっているような生活だ。

コロナがあり、様々な学校行事ができなかったり、延期になったり、内容を変更したりといろいろあっただろうが、逞しさではどうだろうか。単身赴任中でもあり、あまり分からない点も多い。きっと本人は本人で苦労があるのだろう。

本書を読んで、ただ1点気になるのは、多感な息子さんが日本語を話したり読んだりできないとはいえ、自身が題材になって本が出版されていることについてどう思うかだ。

読者としては楽しく読ませていただいたが、この本の存在がご子息の成長にネガティブに働かないことを願うばかりだ。まあ、親族でもない私が願ってもしょうがないことで、私の心配をよそにさらに逞しく大きくなっていくことだろう。きっと。

人生はままならない。本当につくづくそう思う。諦観や悲観ではない。ましてや達観でもない。自分自身の不甲斐なさと、たまに感じる自己効力感に翻弄されながら、社会のうねりに漂流していく。生きているのか、生かされているのか。

子供への教育や成長について考えることが多い。とはいえ、自身の人生ですらままならないのだから、子供に強く求めることはできない。成長を信じて見守るほかないな。