40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文23-02:21世紀の道徳―学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える

著者はベンジャミン・クリッツァーさん。『1989年京都府生まれ。2014年に大学院(修士)を修了後、フリーターや会社員をしながら、<中略>批評家として、倫理学・心理学・社会運動など様々なトピックについての記事をブログやWebメディアに掲載。』とのこと。

私よりも一回り近くお若いが、同じ京都という同郷の出身(府なのか市なのかは脇に置いておこう)なのでちょっぴり親近感もある。

本書を読んでから感想文を書くまでやや時間が空いてしまっており、読後感をうまく掬い取れていないが、いつものように気ままに書いてみよう。

道徳、哲学、倫理。どれも似たような言葉だけれど、やはり違う。本書は道徳と書かれているが、倫理学の中に位置づけられている。私の感想文では厳密に言葉を使い分けていないし、分ける気もないし、書き分ける能力を持ち合わせていない。その程度の文章なのであまり気にしないで欲しい。

さて、私は個人的には科学哲学には関心があって、関連する本を読んでみては思考の迷子になる。アローの不可能性定理、ハイゼンベルク不確定性原理ゲーテルの不完全性定理を分かった気になり、そして見失う(感想文11-26:理性の限界―不可能性・不確定性・不完全性 参考)。

哲学的思考はときに突飛に思えるような主張を生み出すこともあるが、「突飛な主張をすること」自体は哲学の目的ではない。それは、あるトピックやテーマについて予断を入れずに真剣に考えたときにたまに生じる可能性のある、副産物のようなものだ。重要なのは、主張が突飛であるかどうかでなく、その主張が正しいかどうかである。(p.5)

著者は、できるだけ正しい知識に基づき、論理的に思考することを重視している。本書では現代社会でたびたびコントラバーシャルな(≒炎上する)トピックも扱っている。動物を食べること、そしてジェンダーだ。

繰り返しておこう。「正しい知識に基づき、論理的に思考する。」これがいかに難しく、実践できないか。だからこそ揉め、怒り、攻撃的になり、理性を失い、抑制が効かず、燃料が投下され続ける。

倫理学のおもしろさ、そして心理学をはじめとする他の様々な学問のおもしろさをひとりでも多くの読者に伝えることが、この本の最大の目的である。(p.12)

詳細は本書をお読みになれば良いが、多数の本が紹介されている。多くの賢人の研究や思考をベースにして丁寧に考え、主張を形成していく。道徳や哲学というと耳慣れない専門用語を多用しつつ「ゆるふわ」として掴みどころのない印象があるし、倫理だともっとあれはダメこれもダメといったキリスト教的価値観と妥協のない切れ味鋭い怜悧性の印象を持っている(あくまで私見ね)。

本書はもっとソリッドでどっしりしており、様々な学問の知見を総動員した結果こうなりますよ、これを覆すためには新しい知見を更新する必要がありますねと、動かしがたい迫力がある。他方で前提となる知識の「正しさ」が揺らげば、主張も変わるだろう。しかしその主張自体は大きく重たいものだ。

結局のところ、倫理的な判断とはトレードオフに対して最善の回答をおこなおうとする判断のことである。いま得られる限りの情報を参照しながら、偏見や思い込みをできる限り排除して、間違っていたことが判明した場合にはすぐに修正をしながらも、最善の判断を志向しつづけることが倫理学なのだ。(p.88)

正しい情報に基づき、偏見を排除し、最善の判断を目指す。この姿勢そのものが倫理的であるとする。なるほど。

本書では、道徳とは「つめたい」ものであるべきだということを強調してきた。わたしたちの心のなかに発生する、ケアや共感をふくめた道徳的な感情とは所詮オートモードの「直感」に属するものであり、生存と繁殖を最大限に利用する進化のメカニズムによって構築されてきたものにすぎない。<中略>世の中をより良くするためには直感ではなくマニュアルモードの「理性」に基づいた判断が必要とされる。(p.356)

そして私たち人間は論理的に考えることが苦手である。生物であるがゆえに、進化のメカニズム、つまりは生き残り子孫を残すために、発達させてきた共感やケアといった心のメカニズムが論理的思考を阻む。直観ではなく、理性を重視せよとなる。

「つめたい」理性に基づく道徳はドライで冷淡に映る。そんな判断をする人を支持する人は少ない。となると票に繋がらない、政治家になれない、大きなムーブメントにならない。

逆に共感力が高く直観で情熱的な主張は受け入れられやすい。政治家となり、指導者となり、大きなムーブメントになり、そして社会全体が混乱し、環境は破壊され、人命が奪われる。

21世紀の道徳の実践は大変難しい。「正しい知識に基づき、論理的に思考する。」そんな離れ業、私は到底できないし、できる人間はほとんどいないのではないだろうか。そしてそんな人間は支持されないのだ。