※2009年10月14日のYahoo!ブログを再掲
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タイトル通り、3400回ものロボトミーを行った医師であるウォルター・フリーマン(Walter Freeman 1895~1972年)の生涯を丁寧過ぎるほど描写している。
何といっても長い。400ページ以上にわたって、事細かに1人の医師の生涯をこれでもかと丹念に書き上げている。
信念が強く、タフで、仕事に命をかけ、アイスピック片手に黙々と仕事をこなす人物像は、読後しばらく強烈な印象を残した。
でも、本書を読めば、生涯を追体験できるかというとそうでもない。フリーマンの仕事に対する姿勢、ある種の思い込み、こだわり、合理的だが過激な手術の手法、強いプライドといったことが、読み進めるうちに理解できるようになっていくと同時に、多くの読者は自分とはあまりにかけ離れたフリーマンに感情移入できないということが分かるだろう。
ロボトミーについて、ちょっと整理する。
ロボトミーとは、脳を切ったり、その一部を抜き取ったりすることによる、精神疾患の治療方法のこと。現在はその治療方法に効果がない、どころか重大な副作用があるということで、行われなくなっている。
このように脳に外科的な手術を行って、精神疾患を治療する分野を精神外科という。
ロボトミーの簡単な歴史は、
1953年に、ポルトガルの神経科医エガス・モニスが、初めてヒトにおいて前頭葉切裁術(前頭葉を脳のその他の部分から切り離す手術)を施術。
1949年に、モニスは、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
1950年代半ばから、抗精神病薬が販売され、ロボトミーは廃れていく。
本書を読むと、フリーマンは、自分にも他人にも厳しく、頑固で、現場で懸命に働く医師なので、さぞかし厳めしい風貌をしていると思っていた。ところが実際の顔写真を見ると、何だかインテリの学者っぽい感じに見える。本書は長いけれど、フリーマンのお姿なんかは全く挿入されていないので、何だか怖い想像だけがふくらんでいってしまう。だから、この写真を見て、少し驚いた。
フリーマンは、独自に経眼窩術式というロボトミーを開発した。書くのも嫌だけれど、目の上からアイスピックの様な器具を差し込み、脳を切るという手法(本の表紙を見ればそれとなく分かることでしょう)。フリーマンにとっては、簡単だったので、これによって多くの精神疾患を治療(しようと)した。
フリーマンの生涯は決して幸福ではなかったように思える。増え続ける精神疾患患者の処遇に困る病院から、フリーマンは歓迎され、多くの患者に手術を施し、退院させることに成功した。短い期間ながらも栄光を手にし、精神外科の時代を謳歌した。
その後、抗精神病薬が開発され、ロボトミーの効果は疑問視され、激しい批判にさらされる。期待の息子をヨセミテの滝で失い、妻はアルコールに依存するようになり、大切な家族が崩壊し始める。病院を追われ、要職をはがされ、出版した本は売れず、さいごには医師の看板を下ろす。
フリーマンの栄枯盛衰は、精神医学の歴史でもある。潮流が激しく変わるその精神医療において、フリーマンは頑ななまでに持論を曲げず、ロボトミーを数多く実行した。
フリーマンが生涯で出会った人物のことも印象に残っている。
若かりし頃、フリーマンはウィーンにいた。精神外科と対立する思想の一つである、精神分析の祖であるフロイトと時期は重なっていたが、どうも出会ってはなかったらしい。でも、同時期にウィーンにいたマラリア療法で後にノーベル賞を受賞するヤウレックとは出会っていたらしい。
また、日本のロボトミストである広瀬貞雄との親交が厚かった。
そして、モニスを心から尊敬し、我が道を貫いた。
本書では、精神外科が再び登場しつつある現状にも言及している。脳を直接刺激するDBS(脳深部刺激)は、日本で保険収載されているちゃんとした精神外科医療だ。
ロボトミーの医学的な効果やその危険性は、きちんと総括されてはいない。ロボトミーと聞くだけで悪しき医療の代表例になってしまっているけれど、本当のところはよく分からない。
今後、根拠のある精神外科が成立していくためにも、ロボトミーについて現在の医学の視点で見直す必要があるのかもしれない。
まあ、少なくともロボトミーの事例だけで、精神外科がずっと否定されるのは間違っているだろうし、そういう時代は終わったのだとも思う。
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(感想文の感想など)
脳深部刺激については私の情報がアップデートされていない。関連書物を今度、読んでみたい。