40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-04:清く貧しく美しく

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石田衣良さんの小説。小説の感想文を書くのは久しぶりかもしれない。小説もちょくちょく読む(2020年は1冊しか読んでなかった)のだけれど、多くは出張のお供ということがほとんどで、コロナ禍で出張がなくなり小説を読む機会を喪失していた。

今回ももちろん出張があったわけではないけれど、年が開けて図書館に行って、なんとなく借りてみたのが本書だ。たまに読みたくなる作家、それが私にとって石田衣良さんだ。

タイトルは小林一三(感想文20-43)の遺訓でもあり宝塚音楽学校の校訓でもある「清く 正しく 美しく」の「正しく」を「貧しく」に変えたものだ。現代社会に生きる男女二人の物語。今、「正しさ」は「貧しさ」とリンクしている、ということだろうか。

池井戸潤さんの七つの会議(感想文14-02)にあった『虚飾の繁栄か、真実の清貧か』を思い出す。清貧という言葉が指し示すように、貧しさは清らかさとセットになりがち(されがち)であるが、正しさとの関係はどうだろうか。

非正規のアルバイトで糊口をしのぐアラサーの堅志と日菜子。それぞれに大きな変化とチャンスが訪れるが、そこでどのような決断を下すのか、が本書の見どころと言える。結末は、各自がお読みになれば良いのだけれど、自分自身と重なる部分があって、懐かしさと同時に身につまされることもあった。

私も大学院を修了後(正確にはM2だから終了前)、研究にも就職活動にもフィットしない自分自身について悩み、結局、京都を飛び出し、関東に身一つで引っ越し、小さな会社に就職した。就職したと言っても、非正規雇用で給与は少なく、その会社自体が成長する可能性もあったかもしれないが、結果的には5年後に潰れた。

そこだけを切り取ると、大変苦労したかのように思われるが、そうではなく、給与は少なかったけれど、本を好きに会社の経費で買ってくれたし、わりと自由に勉強することができたし、多くのことを学ぶことができた。給与額以上の面で私個人に投資いただいたように解釈できる一方で、会社が何か価値を生み出すことに大きく貢献できなかったことは歯がゆくは思っている(が、そこまで求められていたわけでもないだろうというのも正直なところ)。

その後、大きな組織に転職し、幸運にもその会社で非正規雇用から正規雇用に転換することができ、安定したポジションに就き、そりゃあ仕事で苦労や不平不満はあるけれど、少なくとも「貧しく」はなくなった。

とはいえ、貧しいとまでは言わないまでも、決して裕福な生活ではなかった。家賃5.5万円のアパートで2年ほど暮らし、更新費用を節約するため、4ヶ月くらいは彼女の会社の借上げマンション(女性のみ入居可)にこっそり同棲し、結婚してから家賃8万円のアパートに引っ越した。妻が正社員採用だったので、妻が世帯主状態の時代だった。

将来に不安がなかったといえば嘘になる。でも若かったのだ。体力があり、そして何より、未来があった(あると信じられた)。20代後半に差し掛かろうとしていた当時の私は、非正規雇用で、実質的に妻に養ってもらっている状態であっても、知的に刺激的な毎日を過ごせることが本当に幸せだった。

しかし、そんな幸せな時代は長く続かなかった。妻がうつ病になったのだ。現代病とも言えるが、過労とストレスで稼ぎ頭の妻の精神状態が限界を超えてしまったのだ。と同時に私の会社がいよいよ潰れそうだなという雰囲気になり、さらに私の母親が癌を再発した。不幸が襲いかかってくる人生最大のピンチを迎えた。

クライアントが私のような人材を求めているということで、転職に成功し、給与が増えた。家賃12万円の家に引っ越し、住環境を変えた。そしてずっと前から望んでいた妊娠に至り、妻は身体の変化が精神の変化をもたらすのか、うつ病を克服した。そして私の母は孫を見たい一心で元気を取り戻した。一気に逆転した気分だったが、本当に幸運だったと今でも思う。

完全に小説の話から脱線して自分語りをしているが、まあ許して欲しい。

私には不安定だった時代がある。就職活動を早々にリタイアし、新卒のゴールデンチケットを手放した。そういう選択をしたのかもしれないが、本書の堅志のように「逃げた」だけかもしれない。両親は何も言わなかった。そのことには感謝している。当時付き合っていた彼女(=今の妻)は、私を追いかけ関東まで来てくれた。彼女と出会えたのも、付き合いが続いたのも、結婚できたのも幸運だった。

多くの幸運に助けられたが、あの時代があったことが、私の強さになっている。

付き合っている時間を含めると20年以上経つが、妻とは今でも仲が良い。本書を読んだ後、何だかいつも以上に妻に優しく接するようになった。

感想文14-02:七つの会議

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※2014年1月17日のYahoo!ブログを再掲

 

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架空通貨以来の池井戸潤さんの小説。作品を読むと仕事について考えさせられる。

本書では、様々な立場の人間が交錯し、そして組織が隠してきた真実が徐々に明らかになっていく。本当の真相は、さいごのさいごまで見えてこない。このワクワク感がたまらない。

登場人物の家庭環境や生い立ちについて丁寧に描かれている。完璧な人間はどこにもいない。

登場人物はたくさん出てくるが、万年係長の八角が主人公的な位置付けだろう。セリフがカッコイイ。

「出世しようと思ったり、会社や上司にいいとこ見せようなんて思うから苦しいんだよ。サラリーマンの生き方はひとつじゃない。いろんな生き方があっていい。オレは万年係長で、うだつのあがらないサラリーマンだ。だけど、オレは自由にやってきた。出世というインセンティブにそっぽを向けば、こんなに気楽な商売はないさ」

『サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ』という植木等の歌にあるように、会社を背負っている経営者とは異なり、サラリーマンは確かに気楽。しかし、そういう境地に達するためには、色々なものを諦め、捨てなければならない。そして、多くのサラリーマンは諦めることはできない。苛烈な出世競争があり、勝ち負けが決まる。

「追い詰められたとき、ひとが変わる。自分を守るために嘘も吐く。あんただって、プレッシャーに負けて不正を許容した。同じことなんじゃないのかよ。」

虚飾の繁栄か、真実の清貧か

人間は誰しもが弱い。上司の命令に従い、まさに虚飾の繁栄を追い求めてしまう。

面白かったのは浜本優衣の話。社内に無人販売でドーナツを売るというプロジェクトを通じて、ビジネスの面白さを知り、そして人間的にも成長していく。社内に無人販売というのを何かの本で読んだんだけどなぁ。全然思い出せない…。

陰鬱としたテーマを扱っているが、こういった明るい話をうまく取り入れるあたりが、著者の巧さを感じさせる。

久しぶりの小説だったので楽しくあっという間に読みました。

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(感想文の感想など)

弊社の職場にはオフィスグリコがある。コロナで出勤率が下がり(下げられ)、さっぱり売れていない。

しかし、改めて考えてみると置いておくビジネスは面白い。富山の置き薬がアイデアの源流だろうか。

個人的にはキャッシュレスに対応して欲しい。いちいち100円を出すのが面倒なんだよね。そうなると100円均一商品でなくても良いだろうし、例えば賞味期限が近くなると値下げするということもできるかもしれない。

あるいは新商品はアンケートに答えると次回購入の際に割引きされるとかもできるだろう。きっとそういったアイデアはすでに検討されているんだろうけどね。

感想文21-03:未熟児を陳列した男 新生児医療の奇妙なはじまり

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本書の主人公は、マーティン・アーサー・クーニー(1870-1950)。同じ年生まれは、本多光太郎、ジョーゼフ・ピューリツァー西田幾多郎など。クーニーは第一次世界大戦世界恐慌第二次世界大戦の時代を生きた。

本書の副題にあるとおり、新生児医療のはじまりは現代の感覚からすると「奇妙」であった。未熟児を救うための保育器を開発し、実用化したのだが、クーニーは医師であるという確たる証拠はなく、その保育器に未熟児を入れて展示して収入を得ていたため、興行師の側面っていうか、興行師そのものの人物だ。

うちの長男は生まれた時点で2500グラムに達しておらず、低体重児だった。体重が増えるまでのしばらくの間、保育器で過ごした。本書を読むまで、そんなお世話になった保育器が、一体どうやって実用化されたのか考えることなど全くなかった。

第一次世界大戦頃の)出産に対する取り組みは、全面的な変革期にあった。産科学という分野が専門性を高めるにつれ、中産階級アメリカ人女性は自宅ではなく病院で出産するようになっていた。だが、産科医には虚弱な未熟児にかかずらう暇も意欲もなく、はじまったばかりの小児科学のほうは、未熟児を扱うところまで至っていなかったのだ。未熟児は両分野のはざまに落ち、そこで息絶えた。(p.189)

本書で興味深かったのは、子どもを無事に産むための産科学と、子どもを健康的に育てるための小児科学が存在していたものの、その両分野の間にある未熟児のケアはないがしろにされていたという事実だ。「自称」医師である興行師クーニーの保育器が唯一と言える救いであり、それにすがる親は決して少なくなかった。

マーティン・クーニーの患者たちは重い障害があったわけではなく、たんに早産で発育不全だっただけだ。だが、この時代の潮流には明確な思想がひそんでいた。欠陥のある子、成長時に障害を抱えるおそれがある子は、救う価値がないと思われていたのである。(p.195)

もう一つ忘れてはいけない。当時の思想に、「優生学」がある。

不妊手術の強制という恐るべき方策は、最終的に27カ国の6万人を襲うことになり、アフリカ系アメリカ人ネイティブ・アメリカン、メキシコ人、軽犯罪者、障害や精神疾患のある個人などが犠牲になった。(p.192)

アメリカでは不死細胞ヒーラ(感想文11-29)に載っていたミシシッピ虫垂切除術、日本では田中一村(感想文20-35)にあったハンセン病強制隔離が有名な事例だろうか。

未熟児医療が優生思想と同時期に生まれたのも大変興味深い。

マーティン・A・クーニー医師は1950年3月1日に死亡し、妻のメイが眠るブルックリンのサイプレス・ヒルズ墓地に葬られた。彼がつけていた記録簿は見つかっていないが、命を救った子の数は6500人から7000人と推定される。墓には彼の業績がうかがわれるどんな文言も刻まれていない。(p.271)

7000人近くの命を救ってきたクーニーであるが、その生涯はよくわかっていなかった。本書の原文はどうなのかわからないが、訳がなかなかわかりにくい。クーニーの混沌とした生涯のようである。

当時、人の命は現代に比して相対的に軽かったのだろう。未熟児は捨て置かれ、優生思想のもとで摘まれた命も数多くあった。そんな時代に(おそらく)医師ですらないヨーロッパからやってきたクーニーは、多くの命を救った。保育器とそこで育つ未熟児を展示し、観客の支払う入場料で、設備やスタッフの給与を支払い、そして赤ちゃんの親にはお金を請求しなかった。

親からすると無償で人の命を救う聖人のごとく思えるかもしれないし、実際に生き延びることのできた子どもはクーニーに恩を感じるかもしれない。一方で、そのビジネスモデルに異議を唱える医師がいたのも事実だ。

また、優生思想も超未熟児への医療の是非も現代まで議論は続いている。前者は選べなかった命(感想文18-45)にある新型出生前診断による命の選別、そして後者はどこまで未熟な赤ちゃんを救えるのか(救うのか)ということになる。

複雑なのは、命を奪う行為も救う行為もともに医療が行い、しかも奪われる命と救える命の分岐点である「妊娠22週」が技術の進展によって、周産期が22週によりも早い超早産児でも赤ちゃんの命を救えるかもしれない。生殖医療の衝撃(感想文16-32)の感想文の感想で書いたように、人工子宮システムが開発されつつあるからだ。

捨て置かれていた未熟児を救った保育器の歴史と、それに情熱を注いだクーニーという人物とその関係者たちについて書かれた本書は非常に貴重な資料といえる。そして、この問題は現代でも地続きであり、今でも生を受けることのできない命とギリギリのところで救われる命があるという現実を思い知らされた。

感想文21-02:データ分析の力 因果関係に迫る思考法

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メインの仕事ではやってないけれど、サブの仕事ではちょいちょいデータ分析もどきをしている。メディアに登場する自称評論家が発する、データ分析に基づかない言説を私はほとんど信用していないばかりか、害悪ですらあると考えている。

私を含めて、多くの人は数字に騙されやすいし、相関関係と因果関係を取り違える。信じたいものしか信じないし、信じたくないものは例えそれを見ても認識しない。

情報通信革命がもたらす一つの大きな変化は、データ分析の力が特定の専門職に就いている方だけではなく、これまで以上に多岐にわたる職種において要求されるようになってきていることです。(p.3)

そのとおりである一方で、データ分析する能力だけでなく、そのデータ分析の方法や結果の解釈まで、きちんと理解し、実務で役立てようとすると、それなりのトレーニングが必要となる。

本書では(中略)因果関係の解明に焦点を当てたデータ分析入門を展開していきます。なぜ因果関係に焦点を当てるかというと、因果関係を見極めることは、ビジネスや政策における様々な現場で実務家にとって非常に重要となるためです。(p.9)

真に因果関係を調べようとするのは非常に難しい。時間もお金も手間もかかることが多い。特に自然科学とは異なり、実験できない場合は、限定された条件でデータ分析するので、そこから導き出される答えは相対的に弱くなってしまう。とはいえ、そこが計量経済学の分野で面白いポイントであり、知恵の出しどころであり、魅力でもある。

オバマ前大統領や評議委員は「単に数字やデータを示すこと=エビデンス」ではないという考え方を非常に大切にしています。その理由は、Xという政策がYという結果にどう影響したかという因果関係を科学的に示すデータ分析こそが、政策形成に必要であるためです。(p.207)

EBPMが日本でも行われるようになってきたが、どこまでまともに実証研究がなされ、その対象となったデータが公開されるのかについて、現段階ではかなり訝しんでいる。都合の悪いデータも研究結果も公開されないのではないか、とこれまでの「お上」の行動原理からそう考えてしまう。

本書は非常にわかりやすく読みやすいが初学者向けである。入り口には丁度いいが、ある程度知識のある方はもうちょっと難易度の高い本をお読みになるのが良いし、そのリストが本書では紹介されている。

RCTなどの科学的な方法で因果関係を示すことの実務的な利点は、イデオロギー論争などを超えた、データ分析の結果に基づく政策議論ができることだと考えられます。(p.234)

相関関係と因果関係を取り違えて官僚を圧迫し、論文著者に諭されたとされる某議員は、これを気にきちんと勉強されてはどうかと思うところだ。

未だに日本ではデータ分析の結果に基づく政策議論がなされているとは言い難い状況だ。私の知りうる限り、データ分析のトレーニングを受けた公務員も政治家も極めて少ない。そしてまた、批判すべきメディア側にも同様にデータ分析の意味を理解している人材は乏しく、感情を揺さぶり、煽り焚きつける情報発信が是とされている。

しかしながら、これは「好機」でもある。データ分析の力は強力であり、今の社会に違和感を覚える人は、是非、トレーニングを受け、自らを鍛え、それぞれの業界や分野で実務能力を発揮いただくのが近道であろう。たぶん、すぐには評価されないけれど、長期的にはその分野で重要なポジションを確立できると信じている。

感想文21-01:人類と病 国際政治から見る感染症と健康格差

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先日、健康診断に行ってきた。例年だと社内で行われるのだが、新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け延期となり、「密」をさけるため指定の健診医療機関での受診となった。

新宿にある健診センターで、ものすごくシステマティックだけどスムーズな健康診断を受けることができた。何だか自分がモルモットになった気分で、言われるがままに着替えをし、X線で撮影され、採血され、心電図を測られ、身長体重血圧視力が調べられ、最後に軽い問診を受ける。健康診断が一大産業になっている現実を目の当たりにし、なるほどこういうビジネスは今後も長く儲かるだろうなと感心しきりだった。

感染症は世界史を動かす(感想文08-16)では感染症と歴史の関係について書かれていた(今気づいたけれど、著者が「コロナの女王」の岡田晴恵さんだった)。

本書では、国際政治と感染症(以外の病も含まれてる)の関係について書かれている。

人類と病との闘いは、保健医療という専門的な領域内のみで動いているものではなく、大国と中小国のパワーの非対称性、先進国の製薬会社の動向、世界経済の動向など、国際社会の様々な要素によって、常に挑戦を受けている。本書はこうした問題関心を出発点として、人類と病との闘いを、個々のテーマを通して、読み解いていく試みである。(p.ⅳ)

私も大学院の頃に、国際保健について学んだ。当時、大きなテーマになっていたのは、AIDSだ。若かった頃の私は、国際という観点で病気を見ることができていなかった。感染経路や症状や原因や治療法について関心はあったが、国際保健さらにはその背景にある国際政治にまで考えを深めることは全くできていなかった。

そして今では、国家間の枠組み国際保健(International Health)から、国家以外の組織である企業や財団やNPOを含むグローバル・ヘルス(Global Health)へと複雑さは増している。コロナでWHOに批判が集まりがちな昨今、改めて本書から最新のグローバル・ヘルスについて学んでみようと思い、購入した1冊だ。気になった箇所を引用してみよう。

1980年5月WHOは天然痘の世界根絶宣言を行った。ちなみに「根絶」されたことの意味であるが、ドナルド・ヘンダーソンによれば、地球上から天然痘ウイルスが完全に消滅されたことを意味するのではなく、人類の間でウイルスの感染が見られなくなったことを意味する。(p.79)

国際協力による感染症対策で最も成功したのは、天然痘と言える。天然痘はウイルス感染症で、原因となる天然痘ウイルスは分類上、ポックスウイルスに属し、2本鎖のDNAウイルスでエンベロープ(膜状の構造)を持っている。

(ポリオは)なぜまだ根絶に至っていないのか。(中略)患者を発見しにくいという問題点がある。(中略)ポリオはポリオウイルスに感染したすべての人に麻痺症状が出るのではなく、またその麻痺症状がポリオウイルスによるものか否かを見極めるのも難しいという。(p.89)

一方で、似たようなウイルス感染症であるポリオ(急性灰白髄炎)は、根絶には至っていない。残すところ常在国はパキスタンアフガニスタンの2カ国であるが、ワクチン接種が進み、根絶されることを願うばかりだ。なお、ポリオウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープはなくカプシドで覆われている。構造は非常にシンプルだと言える。

ちなみに昨今話題のコロナウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープを持っている。ポリオウイルスとコロナウイルスは分類上、結構近いのだ。

一方で、ウイルス性ではない感染症がある。最も有名なのはマラリア感想文17-34:人類50万年の闘い マラリア全史参照)だろう。

マラリア対策において、もはや根絶は目指すところではなく、新たな感染者の数を減らしていくことに目標は切り替わってきている。WHOは2030年までにマラリアによる乳幼児の死亡率を90%以上減少させるという具体的な目標を掲げている。(p.102)

マラリアには多くのお金が投入されており、患者数も死者数も大幅に減少したが、根絶は現実的ではないと判断されている。

マラリアは媒介物が存在するため、天然痘やポリオとは異なり、ワクチンだけで根絶できない難しさがある。(中略)有効なワクチンや治療法が登場しても、それらが知的財産保護の枠組みのもとで高価であるため、マラリアが流行しているアフリカの人々にとっては、高嶺の花であり続けている。(p.104)

マラリア対策は、診断、治療、ベクターコントロールの3つと言われている。治療薬やワクチンは高価格にならざるを得ない構造になっている中で、コスパ的に最も効果が高いのは蚊帳である(感想文17-50:日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る参照)。感染症対策は、何も治療薬やワクチンといった最先端の科学技術の結晶でなくともできることはあるのだ。

感染症が各国の安全保障に影響を与えうるということは、感染症に対して、政治指導者による、政治的な関与が増えることを意味する。つまり感染症対策に国際政治が反映されるようになる。(p.142)

今回の新型コロナウイルス感染症への各国対応はまさに政治指導者による関与の好例となっている。日本では首相だけでなく、都道府県知事も大なり小なり関与があり、給付金、休業支援、観光支援事業、外食産業への支援事業ほか、ライトアップによるアラート、安全対策かるた、イソジンでうがいすれば大丈夫説の発表など、一体誰が考案し、一体誰がゴーサインを出したのか疑問が残る施策が連発された。海外でも大統領が感染したり、マスクを拒否したり、ロックダウンしたり、集団免疫を獲得するためにノーガード戦法を採用したりと、様々だ。

人類と病との闘いの歴史は、国際協力の重要性が認識された歴史でもあった。他方、いったん国際的な協力枠組みが形成されると、そこは国家、国際機関、財団、民間セクター等、多様なアクターが関わる複雑な政治アリーナと化してきた。(p.218

新型感染症生活習慣病に対応するために、国際協力は必須で、だからこそ政治アリーナが形成されている。人類は病から逃れるためにかなりのコストを支払っているのだが、健康なときは認識されにくい。昨今のコロナ禍に陥った場合に、国際協力の重要性とそこにどのくらいコストを支払ってきたかが問われる。

アフターコロナなのかウィズコロナなのか、世界はどう変わっていくか予断を許さないけれど、政治アリーナでのしっちゃかめっちゃかをしばらくは見続けることになるだろうし、そういう状況になってしまう構造があるということを理解した上で、乗り越えていくしかない。

いつかコロナは収束するのだろうけれど、まだまだ時間がかかるだろう。

感想文17-50:日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る

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※2017年10月16日のYahoo!ブログを再掲

 

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何度か書いたように思うけれど、私の初めての海外渡航先はケニアだ。だから私は、ケニアに、アフリカに強い思い入れがある。

日本の企業がアフリカで蚊帳を販売し、成功しているという話は聞いたことがあった。しかし、それは日本に古くからあるローテクの蚊帳をアフリカで販売したら、それなりに売れた程度の話としてしか認識していなかった。そうではないのだ。そんなちゃちな話ではないのだ。

オリセットRネットとは、日本の化学メーカーが世に送り出した、高性能蚊帳である。遠くアフリカをはじめとする海外の途上国で、マラリア防除などのために、年間にして数千万張りの規模で使われている。(p.1)

化学メーカーとは住友化学のことであり、販売しているのは、「高性能」蚊帳であり、その数年間数千万張りの規模になる。

研究開発し、WHOに認めさせ、現地に工場を作り、現地で営業し、販売する。多くの人間の思い、苦労、試行錯誤、忍耐、努力、執念、あるいはそれを超える何か、そういったもの全てが一つの蚊帳という商品に織り込まれている。

マラリアという大きな課題があり、それを多くの人は認識しているが、それを解消することはできなかった。単なる社会貢献ではなく、単なるアフリカでのビジネスでもない。社会貢献しながら、ビジネスとしても成立する、それを達成したのが、このオリセットなのだ。

蚊帳が「物理的な破れにくさ」と「長く持続する殺虫剤の効果」。(中略)「できるだけ大きな網目」。オリセットのもつ明らかな優位性は、テストと評価を延々と繰り返すことで、確立されていったのだ。(p.41)

オリセットには既存の蚊帳にはない優位性がある。しかし、価格が高いせいもあり、既に販売されている蚊帳の牙城を崩すのは難しい。良い物だから売れる、というわけではない。

挑戦すれば、毎日、新たな壁が立ちはだかる。継続して壁を乗り越えていくDNAが組織に組み込まれない限り、アフリカのようなアウェイの地で、日本企業が新しい製品を市場に投入し、シェアを築くことは難しい。(p.386)

本書は、オリセットが世に出て、アフリカで受け入れられるまでの軌跡を描いている。ビジネスは簡単ではない。日本から遠いアフリカでのビジネスとなると、その難易度は格段に高くなる。

しかし、こういったチャレンジングな仕事は数多く残されている。放っておけない、見過ごせない、看過できない、何か心に引っかかる事象、それが人生をかけるに値する仕事になるかもしれない。

日本だけがこういった問題に先進的に取り組んでいるというわけではないだろう。それでも日本の企業が、日本人が、この事業に成功したという事実を嬉しく思う。先進国としての日本が成すべきことであり、責務であるとも思う。

本書で勇気をもらった。私自身の取り組みに反映できたら良いな。

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(感想文の感想など)

後日、住友化学の方とお話する機会を持つことができた。

取り組みとしては大変素晴らしいもので、またオリセットネットを通じて住友化学という会社に興味を持ち、新規採用の門を叩く学生が少なくないとのことだった。

他方でビジネスとしては「結果的に」うまくいってはいない。WHOが殺虫剤を練り込んだ蚊帳を買い取るのだが、より安価な類似品が多数登場し、市場を奪われてしまったのだ。

蚊帳がマラリア予防に最も効果的であることは実証され、オリセットネットが多くの命を救ったのは間違いのないことだ。しかし、それによって住友化学は金銭で十分な対価を得たとは言い難い。

だが、こういった取り組みが次世代の若者たちへの刺激となり、新たな人類の叡智を生み出すであろうことを期待したい。ビジネスはかくも難しく、厳しい。しかしビジネスというコンセプトを拡張すれば、金銭ではない実りは多く得られたのであろうと、信じたい。

感想文17-34:人類50万年の闘い マラリア全史

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※2017年7月11日のYahoo!ブログを再掲

 

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医薬品とノーベル賞(感想文17-28)を読み、マラリアについて調べたくなり、辿り着いた本書。そもそもマラリアとは何か。ウィキペディアによると『熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症』とある。

私にとって初めての海外旅行の目的地はケニアだった。黄熱病の予防接種は受けたが、マラリアはワクチンがなく、とにかく長袖を着て、蚊に刺されないよう気をつけていた。結局は、全く蚊にさされることなく帰国し、健康面での問題と言えば、現地で食べすぎて腹痛になった程度だった。

マラリアは当時から大きな問題であったが、さすがにこれほど科学が進めばだいぶ制圧されたかとばかり思っていた。ところが現実は全く違った。

WHOによる最新のマラリア報告書によると、2015年の推定感染者数が2億1,200万人、推定死亡者数が42万9,000人である。年間に43万人もあの世に連れて行く激烈な感染症で未だに猛威を奮っている。近年、確かに感染者数や死亡率は大幅に低下しているとはいえ、マラリア撲滅への道はまだまだ遠く、終わりは見えない。

ゲノム編集とは何か(感想文16-39)で紹介されていた遺伝子ドライブによってアフリカの蚊を駆逐できるかもしれないが、果たしてどうだろうか。バッタを倒しにアフリカへ(感想文17-30)に登場するサバクトビバッタのことを考えると、ハマダラカはより小さく、さらに広い土地によりたくさん生息している。それらを駆逐するのは果たして現実的なのだろうか。

マラリアの原因は蚊ではなく、あくまで原虫だ。蚊は運び屋であり、有性生殖の場である。考えてみると、蚊は確かにマラリアに限らず様々な感染症の原因となる厄介な生物であるが、マラリア撲滅のために駆逐されてしまうというのは、蚊の気持ちになるととばっちりとしか思えない。

遺伝子ドライブは興味深い試みであり、もしかしたらサバクトビバッタにも有効かもしれないが、人間の都合で特定の昆虫を絶滅させるという取り組みは、どうも感心しない。自然界への過剰な介入なのではないだろうか。

話が逸れた。マラリアの話に戻ろう。

まず50万年の長きにわたって人類と蚊とを手玉に取り続ける、マラリア原虫の驚異的な技です。抗マラリア剤をたちまち無力化し、私たちの防御機能-免疫を巧みにすり抜けて、微塵も衰えることなく人類集団の中に居座り続ける様を見れば、薬剤耐性細菌の脅威などは単純なものに思えるくらいです。(p.376)

と、訳者あとがきに書かれているように、マラリア原虫は強かに生き延びている。キニーネDDTによってマラリア原虫は制圧されたかに見えたが、人間の知恵に抗い生き続けている。

マラリア原虫は、巨大ウイルスと第4のドメイン(感想文16-19)の説明にあるように、ヒトと同じ真核生物のドメインに属する。蚊の吸血時に体内に侵入し、無性生殖によって増殖し、再び蚊に吸われて蚊の体内で有性生殖する。これがざっくりとしたマラリア原虫の戦略だ。

マラリアは多くの人々には「穏やかな」病気かも知れない。だが、この病気にかかると他の病気にかかりやすくなることが、20世紀初頭以来分かっている。(p.104)

マラリアで本当にヤバイのは熱帯熱マラリアで、致死的な感染症だ。とはいえ、それ以外のマラリアでは死ぬことはほとんどなく、周期的に高熱が出る。しかし、他の病気にかかりやすくなるというのは、キツい。マラリアにより脆弱化し、健康状態が悪い方向へシフトしてしまう。

スプレーガン戦争の失敗によってわかったことは、マラリアを解決法が一つしかない疾患として処理することの愚かしさだった。というのは、この戦争が失敗に終わった時点で、ざっと1000ほども失敗の理由が挙げられたのだから。(p.335)

スプレーガン戦争とはDDTの噴霧によるマラリア根絶運動のことだ。結局は、DDTに耐性のあるハマダラカが出現し、挫折に終わる。

本書では、人類が50万年もの長きにわたってマラリアとともに過ごしてきた歴史を描いている。マラリア原虫という微生物は凄まじい数の人類を死に追いやってきた。未だに闘いは続いており、ヒトが勝つという確たる未来は描けていない。

それでもいつか科学技術が数多の感染症を制圧する時が訪れると信じている。

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(感想文の感想など)

世間はすっかり新型コロナ感染症でパニックとなっている。遠い発展途上国で起きているマラリアやNTDsに思いが馳せられることはほとんどないし、切望されている治療薬やワクチン開発に必要なリソースはコロナの後回しにされ、投下されない。

そりゃあ、コロナワクチンのほうが遥かに儲かるからね。