40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文25-60:SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか

 宇宙線のひみつ(25-58)に続くブルーバックス第3弾。今回は「脳」がテーマ。

本書は科学と空想を織り交ぜた、いわば脳についての思考実験といった趣で書かれているが、「SFに描かれた脳」と比較して「リアルな脳」では、どこまでが可能で、どこから不可能なのかを知ることで、現在の科学で理解されている脳の特性を知ることができるよう構成したつもりである。(7-8)

SF好きであればさらに楽しめること間違いない。あいにく私はSFを多く履修しているわけではないけれど、脳科学について改めて考える良いきっかけになった。個人的には人工知能とリアル脳の違いや、リアル脳を凌駕する可能性(すでに凌駕している部分もあるけれど)について知りたかったのだ。

ロボットのような物理的な身体を与えるほうが、本来の脳機能により近づくことができる。脳とは本来、感覚系からきた外界の情報を処理する装置ともいえるのだ。私たちは「自分の体」を動かし、「自分の体」で見て、聞いて、触れて、感じることによってこそ、世界を生き生きと認知することができるのである。(79)

本書を通じてなるほどと気づいたのが、身体性だ。計算したり、LLMで文章をつくったり、画像処理をしたりではなく、外界から得た情報を処理する装置としての脳。世界を認知して初めて「脳」と言える。

とはいえ、人が一生かけても見ることができないウェブ上に無数にある写真だけでなく、人間の目では見えない光、人間の耳では聞こえない音、人間では判別できない微量の化学物質など、検出機器やセンサーが外界情報を入手し、それを人工知能が処理することはできる。人間の生物的な限界をはるかに超越した身体性が人工知能を進化させるかもしれない。しかし、いくら人工知能が進化しても人間の脳と違いはある。

違いは、アウトプットしたことがさらに精神や体の機能に及ぼす変化を、みずから認知し、解釈する機能がAIにはない、ということだ。(218

外界にある大量の精密な情報処理の実現は、新たな科学的な発見につながる可能性はある。しかし、それを「知性」と呼んで良いのだろうか。

AIに「心」をもたらすためには、「自分が自分である」と認知し、社会や環境の中でみずからの置かれている状況を理解する「自意識」という機能が必要であることがわかってくる。(219)

知能や知性ではなく、「心」を人工知能が持てるのか。自意識の機能はどうやって人工知能に実装できるのだろうか。

未来において私たちは、テクノロジーと共存によって再定義される「人間のあり方」と向き合うことを余儀なくされるだろう。テクノロジーがもたらす人間の「進化」は、単なる人類という種の成長や進歩だけではなく、私たちがあたりまえのことと考えてきた「人間らしさ」や「人間であること」についても、再考するきっかけを提供するだろう。(232-233)

人間は道具を使い、火を使い活動領域や能力を拡張してきた。さらに道具を生み出し、世界の在り方を探求し、世界の背景にある原理原則を解明し、それらを応用してより大きな力を得るようになった。情報技術により高性能の計算機、ネットワークの形成、さらには人工知能の能力が大幅に向上した。昨今では量子技術を操り、根本から異なる計算機やセンサーやネットワークが生み出され、核融合発電のエネルギー革命によっていよいよ世界は根底から不可逆的に変容してしまうかもしれない。

それをのちにシンギュラリティと呼ぶようになるのかもしれないけれど、その結果、「人間」とはなにかという本質的な問いに立ち返るのかもしれない。

人間が生み出した人工知能が「人間」を規定するようでは不甲斐ない。何が人間を人間たらしめるのか、それを考えるのが人間に残された仕事であろう。

感想文25-59:山手線が転生して加速器になりました。

著者は別だけれど、科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました(22-07)を彷彿とさせるタイトル。

でも、本屋でこの長いタイトルを二度見して購入に至ったのだから、このタイトルのつけ方はより多く売るためには正解なのかもしれない。注目させる効果は確かにある。

本書のジャンルはSFであり、7つの短編で構成されているが、完全に独立した話ではない。(コロナよりも激烈な)感染症が世界中で蔓延し、人類の多くが死に絶え、そして都会は廃墟になった設定は共通している。巻末には作中年表が掲載されており、非常に深く練られていて、作者の技巧の高さも垣間見られる。

都会に人は住まなくなったので、東京の山手線は円形加速器に転用されることになった。なお、中央線は線形加速器に転用されている。

人工知能核融合発電、ナノテク。これらが広く普及し、初期投資を回収したあとは、エネルギーは無料なのだから、なにかをつくりだす材料費も無料になる。働くのは機械なので人件費も無料。何でも無料ならもうお金は必要ない。(83)

ということで貨幣まで消失してしまう世界だ。現実世界で核融合発電が達成されれば、本当に真の意味で世界は人類史は宇宙は大きく変貌するかもしれない。

SFには近未来の想像を掻き立てる魅力があり、そして読者の寛大さや柔軟性を強める力がある。人生しんどいなと感じたらSFを読んでみることをお勧めします。

感想文25-58:宇宙線のひみつ 「宇宙最強のエネルギー」の謎を追って

 大人のための生物学の教科書(25-50)に続く、ブルーバックス。できる範囲で月に1冊ずつ読んでみようかな。科学知識をアップデートしたい。

本書のテーマはタイトル通りずばり宇宙線(cosmic ray)。宇宙船(space ship)ではない。

2021年、観測史上最高クラスのエネルギーをもつ宇宙線が検出されました。アメリカ・ユタ州の砂漠地帯で定常観測を続ける、北半球最大の宇宙線観測所「テレスコープアレイ実験」での発見です。なんと、そのエネルギー量は「244エクサ電子ボルト」にまでおよびました(「エクサ」は100京)。(3)

キロ(10の3乗)、メガ(10の6乗)、ギガ(10の9乗)、テラ(10の12乗)、ペタ(10の15乗)の次でエクサとは10の18乗だ。244エクサ電子ボルト(2垓4400京電子ボルト)という単位の大きさはピンとこない。そして著者は、この粒子を「アマテラス粒子(Amaterasu particle)」と名付けた。

こうした極高エネルギー宇宙線の起源や加速機構については明らかになっておらず、宇宙物理学における重要な未解決問題になっています。この宇宙のはじまりは「ビッグバン」と呼ばれる極めて高エネルギーな状態にあったと考えられているのですが、極高エネルギー宇宙線は、その謎に迫る重要な手がかりになるとも期待されているのです。(4)

アマテラス粒子のような極高エネルギー宇宙線はいったいどこからやってきて、どのように凄まじいエネルギーをもつようになったのか。これだけ高エネルギーであれば、宇宙のはじまりビッグバンにも強く関係するだろう。

本書で学んだ用語を整理したい。

  • 宇宙線…宇宙空間に存在する高エネルギーの粒子で、放射線の一種であるが、研究者のいう宇宙線は「電荷をもった原子核
  • 電気素量…電子1個あたりの電気量(電荷の絶対値)であり、6×10のマイナス19乗C(クーロン)
  • 電子ボルト(eV、エレクトロンボルト)…エネルギー単位であり、1クーロンの電荷を1ボルトの電圧の中で動かすエネルギー、単位はJ(ジュール)、1eV=6×10のマイナス19乗J
  • ジュール…エネルギー単位、1J=1/e=6×10の18乗eV、1秒間に1ジュールのエネルギーの電力量は1ワット(W)、W=J/秒

なるほど。244エクサ電子ボルトはジュールにすると、約39Jになる。こう書くとそんなにすごいの?って思えてくる。

宇宙線は宇宙からたくさん飛来している。普段、目に見えないし、宇宙線が体を通過しても何も感じない。「霧箱」という装置を使うと、宇宙線が通ると煙のような線となって現れて、視認できる。

日本科学未来館で2025年4月に常設展示になった「未読の宇宙」で霧箱が設置されているので、気になる方は是非、見て欲しい。こんなにもたくさん宇宙線が来ていることに驚くだろう。そして煙の形よってそれがどの種類の宇宙線なのか判別することもできる。そして不思議とずっと見ていられるのだ。ちびちびウイスキーを舐めながら、霧箱を眺めたい。家に欲しい。

宇宙線は常時無数に降り注いでいる。しかしアマテラス粒子のような極高エネルギー宇宙線の出現率は、極めて低い。べき乗則により、霧箱で視認できるようなエネルギーの小さな宇宙線はたくさんあるけれど、エネルギーの大きい宇宙線は指数関数的に少なくなる。微弱な地震は頻繁にあるけれど、大地震はめったにないという現象と同じだ。

さて、アマテラス粒子の正体は今現在不明だ。粒子が何なのかまだわかっていない。

20世紀まで、天文学といえば「光」、すなわち電磁波を用いた観測が主でした。近年、宇宙からやってくる光以外のシグナルを総動員した観測、いわゆる「マルチメッセンジャー天文学」が盛り上がってきています。<中略>とくに、圧倒的な強い力をたずさえて到来する、極高エネルギー宇宙線の発生源を明らかにすることができたなら、「天文学パラダイムシフト」とも言うべき成功をおさめるに違いありません。こうした目標を掲げる研究分野は、「極高エネルギー宇宙線天文学」と呼ばれています。(181)

ダークマターブラックホールなど宇宙には謎がまだまだたくさんある。大がかりな実験で目に見えない宇宙線を捉え、宇宙の起源を探る。新しい宇宙線天文学のますますの発展が待ち遠しい。

感想文25-57:世界を変えた建築構造の物語

若いころは建造物について興味はなかったが、歳をとるにつれて興味の対象が広がっていき、建築や建造物に魅力を感じるようになっていった。

何かきっかけがあっただろうか。たぶん、欧州に出張する機会があり、そこから欧州の歴史、芸術、教会などの歴史的建造物へと関心が広がり、さらには芸術から現代アート、アートとしての建造物、最先端技術と建築技術の融合といった具合にさらに拡大していった。

これまで建築に関する美術館の展示では、

を見に行ったことがある。EXPO 2025 大阪・関西万博(「万博」をめぐる冒険を参照)はまさに様々な尖った建造物のお披露目会の側面があり、行列でパビリオンに入れずとも外観を見るだけでも十分に楽しかった。お盆の時期だったので、強烈な暑さがなければもっと良かったんだけれど。

他方で建造物をただ外側から見るだけでは見えない世界がそこにはある。なぜ壊れないのか、なぜ高い建物を建てられるようになったのか、なぜ揺れに耐えられるのか。あるいは、なぜ燃えてしまったのか、なぜ地震で倒れてしまったのか、なぜ橋が崩壊してしまったのか。その背景には「構造」がある。

私たちは構造のことを意識しなかったり、その存在に気づかなかったりするが、構造にはストーリーがある。川に架かる巨大な橋の上でぴんと張ったケーブル、高層ビルのガラスの外壁の裏にある鉄骨の骨組み、私たちの足下に埋められた導管やトンネル。これらの構造物は人類によって建設された世界を支えており、そこには、人類の創意工夫が詰まっている。(14)

ケーブルや鉄骨、上下水道管やトンネルなどの構造物に思いを馳せる瞬間はほとんどない。しかし、それらの見えない構造物が人類の生活を支えている。そしてそれら構造物の素材や設計には創意工夫や失敗からの学びが無数に詰め込まれている。

私たちエンジニアは、間違いを犯すことが許されない。設計した建造物が毎日何千もの人々に利用されることをわかっているからだ。そこを通りぬけ、そこで働き、そこに住む人々は、エンジニアがつくった建造物が裏切るとは思っていない。私たちはエンジニアリングを信じ、エンジニアリングの基礎の上に立っている(多くの場合、文字通り)。そして、建造物を強固で信頼できるものにすることがエンジニアの責務である。(18)

本書は、世界をつくった6つの革命の物語(17-10)と構成的に似ていて、本書では土、鉄、石、地面、水など異なる観点から構造物のエンジニアリングについて、物語を紡いでいる。

著者は、インド系イギリス系アメリカ人の構造エンジニアである。そして私は本書の途中で気づかされたのだが、この業界では珍しく女性である。

本書は、お堅い内容だけではなく、パートナーとなる別名「遊び人君」との馴れ初めについても記されている。「本日の橋」のエピソードは面白く、構造物のエンジニアリングだけではなく、一人の女性エンジニアの人生についても興味深く読むことができる

感想文25-56:仏教は科学なのか 私が仏教徒ではない理由

私の思想、人生観、行動原理あるいは精神、そういった根幹を成す基本的考え方は、科学と仏教から多大な影響を受けている

幼いころから仏教は身近だった。家に仏壇があり、たまにお参りし、土地柄ゆえ寺の子が同級生に必ず一人はいた。仏教系の高校に進学し、週に1時間は宗教(仏教)の授業があった。大学入試の得点にならないことを勉強する時間は貴重だったのか、意外と今も記憶に残っている。

同時に、科学について長らく考えてきた。理系であり、数学、生物学、化学、物理学といった基本的な学問をベースに、大学時代では農学、大学院では分子生物学、遺伝学、生物統計学、さらに仕事の関係で脳科学神経科学、植物科学、触媒化学、計算科学、計算機科学、量子力学情報科学など、広い分野で科学について学んだ。

これまで物理学と神(09-10)など、キリスト教と科学の相克についての本を読み、考えたことはあったけれど、仏教と科学の接点や重なりについて考えたことはほとんどなかった。全くの別物という認識であり、そして仏教と科学が対立したという具体的な事例を耳目したことはなかったからだ。

しかし、本書によると、(いろんなことが極端な国)アメリカでは、乱暴に言えば、仏教の似非科学化が進んでいるということだそうだ。

長いが、日本語版序文から引用しよう。

(本書は、)西洋の歴史家が「仏教モダニズム」と呼ぶものに対する哲学的な批判の書です。仏教モダニズムは特に西洋において支配的な仏教の流れで、伝統的なアジア仏教の形而上学的・儀式的要素を軽視する代わりに、個人的な瞑想体験を強調し、仏教がキリスト教イスラームヒンドゥー教など他の有神論的な宗教とは違って合理的で経験的なものだという考え方を喧伝しています。西洋における多くの仏教指導者たちは、現代版の仏教徒の瞑想実践を教えることで仏教を紹介し、「仏教はもっとも科学的に親和的(scientific-friendly)な宗教である」と語ったり、「実際のところ仏教はまったく宗教ではなく、むしろ科学であり、生き方であり、あるいは特別な内観による心の科学に基づいたセラピーなのだ」などと語っています。私はこうした態度を「仏教例外主義(Buddhist exceptionalism)」と呼び、それが神話であると主張しています。仏教例外主義は、仏教についての誤った考えと、宗教と科学についての誤った考えに基づいているのです。この主張を示すことが、本書の最大の目的となっています。(3-4)

仏教の宗教性を脱色化(世俗化)し、実践的な瞑想やマインドフルネス瞑想の効果を科学的に脚色していることに警鐘を鳴らしている。とはいえ、本書はそこまで単純な内容ではない。非常にディープな仏教の歴史学をベースに、仏教モダニズムや仏教例外主義を丁寧に批判していく。極めて専門性の高い仏教学者・歴史学者アメリカに存在することにたいそう驚かされる。人材の豊富さ・多彩さもアメリカという国の特徴の一つだろう。

科学の説得性や信頼性は、多くの人員が長い時間をかけて、精緻な実験を繰り返すことにより強固に醸成されてきた。しかし、その科学の表層の良いところだけを削り取り、ビジネスや思想にまぶす行為は珍しくない。仏教モダニズムも同様で、科学っぽさを纏うことで新たなビジネスチャンスの獲得を目指しているに過ぎない。

このような仏教的な心の見方を真剣に受け止めれば、仏教が科学的な自然主義と齟齬をきたさないかどうかということはもはや重要な問題ではない。重要な問題は、科学は心の把握不可能性に気づくことができるかどうか、そして、そのことが科学的な思考や実践にとってどのような意味をもつのかということだ。(115)

本書はそんなお手軽に利用されてしまうような科学もきっちり批判している。不確定性原理不完全性定理を挙げるまでもなく、科学には原理的にできないことがあるのは当然ではあるにもかかわらず、その点を強調してこなかった。今後、脳科学人工知能の進展は、知能や知性の原理の深淵を突き止めていくかもしれないが、それが人の心を解明するというわけではない。

科学が脳ではなく、心にどこまで接近していくのだろうか。宗教ともさらに接近していくだろう。結果的に科学が胡散臭い活動として認識されるようになってしまうかもしれない。それは嫌だな。

感想文25-55:伊藤忠 商人の心得

タイトルが気になって買って読んでみた新書。

まずは伊藤忠(正確には伊藤忠商事株式会社)について、どんな会社なのかまとめておこう。

www.itochu.co.jp

  • 創業:1858年
  • 設立:1949年
  • 代表者:代表取締役会長CEO 岡藤 正広
  • 資本金:約2534億円
  • 従業員数:4,215名

ウィキペディアによると『三菱商事三井物産住友商事、丸紅と共に五大商社の一つ。また、最近ではここに双日豊田通商、兼松を追加して八大商社』とのこと。

そもそも私は商社というビジネス形態を正しく把握できていない。またまたウィキペディアによると『輸出入貿易ならびに国内における物資の販売を業務の中心にした、商業を営む業態の会社である。幅広い商品・サービスを取り扱う総合商社と特定の分野に特化した専門商社に区分される。広義の卸売業である。特に総合商社は日本特有の形態とされ、日本国外においても「Sogo shosha」と呼ばれる。』とのこと。なるほど。やっぱりわからない。

商社に勤める人のイメージは、海外を飛び回り、異常にタフで、人心掌握に長け、様々なビジネスや現地事情に精通しているというイメージがある。あと高給取りか。実際に商社勤めの後輩がいるが、話を聞いた時点では海産物のビジネスに関わっているという話だった。

私が商社に勤める別の世界線があっただろうか。全く違う人生だっただろう。人生は一度きりで、何かを選ぶことは何かを諦めることに等しい。違う人生を夢想しながら、今の仕事と関係性の乏しい本や小説を読むのは楽しい娯楽である(そう思えるようになったのは、人生の終わりが見えてきた初老になったからだろうか)。

本書を読んで気になった箇所を挙げておこう。

商人が世間で商売していくうえで、決定的に重要なのは他人(客)の心がわかるかどうかだろう。逆に言えば、自分のことだけを主張しないことだ。世の中は広いから「自己中心的な商人」だっているだろうが長続きしない。誰だって、「自己中心的でひとり勝ちするのが好きな人」と長期継続的に取引をしようとは思わないからだ。(5)

ふむふむ。長期的な取引を継続するためには信頼関係の構築は必須だし、そのためには他者の気持ちがわからないといけない。俺が俺が見たいな人は商売に向かないのだ。性根を変えるのは難しいかもしれないが、トレーニングすればある程度はできるようになるだろう。

「準一流」と見られていた伊藤忠をまぎれもなく一流にしたのが現会長の岡藤正広だ。「か・け・ふ」という商人のための言葉も彼が作った。「か・け・ふ」とは伊藤忠が実行するべき商いの三原則で、稼ぐ・削る・防ぐの頭文字を取ったもの。(13)

本書は、伊藤忠の現代表者である岡藤正広の経歴や経験をベースに描かれている。それを知りたい方は本書を是非お読みください。

岡藤は伊藤忠から残業を追放した。それは、つねづね「残業が多い人間で仕事ができるやつはいない」との持論を持っているからだ。(137)

この点は完全に同意する。私は残業しない主義を貫いており、会議が定時後にセットされているとか避けようのない例外はあるものの、基本的には定時で帰っている。管理職になって残業代が出なくなって手取りが減ったとかいう不平を聞くが、これまでが生活残業でしかなく、コスト意識の希薄さを誇示していることに気付いていないので、愚かとしか言いようがない。

私は部下の残業を評価しないし、過度な残業は評価を下げると明言している。当然、残業するほどの仕事を振っていない。

伊藤忠は2020年から企業理念を「三方よし」に変えた。(101)

三方よしの「三方」とは、書い手、売り手、世間のことだ。現代サステナビリティの源流であり、持続可能な社会に貢献する伊藤忠の目指す商いの心としている。「三方よし」という考え方は知ってはいたが、伊藤忠のような大商社が企業理念に掲げているとは知らなかった。私の今の仕事が三方よしになっているのだろうか。これから意識して行動変容していきたい。

働き方を変える言葉のひとつが「現場へ行く。現場を感じる」ことだ。商人は現場に行ってそこで商売のセンスを磨くからだ。(177)

どの仕事でも現場が重要なのは言うまでもない。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」という有名なセリフを思い出す。

私も現場を重視している。可能な限り、現場を見るようにしているし、実際に現場にいる人の話を聞くようにしている。足しげく現場に通い、現場を見ることで多くの発見がある。あるいは現場に行かないと気づけないことがたくさんある。

本書はサクッと読める。伊藤忠太鼓持ちかもしれないので、ちょっと眉に唾をつけながら、商社で勤め商人になった世界線を夢想する。

今の会社に人生の先輩と呼べるような人がいない。一方で、自分自身が後輩から人生の先輩として敬われなくても良いから、どういう仕事の仕方をし、どういう考えに依拠しているかは、できる限り見える化している。

人生はままならない。でも「そのままならなさ」をあるがままに伝えることは誰かにとって「救い」になればいいなと思う。

感想文25-54:無限の月

ゴリラ裁判の日(25-47)と同じく、須藤古都離さんの小説。ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)を活用したビジネスの登場により、意外な現象が起きる。

 トランスヒューマニズム(20-08)を思い出す。

不思議なことだが、どんなに成功していようが、他人の人生を生きるぐらいなら、たとえどん底にあろうとも自分の人生を生きたいと思っている。(185)

というのが印象的だ。でもちょっとは他人の人生を経験してみたいなという気持ちは私にはある。また元に戻れることが前提ではあるけれど。

本書はやや奇妙なSF小説で、BMIが起こした現象により、未来社会の大変革についても暗示されている。

もっとぶっ飛んだ未来についての小説も読んでみたい。