
宇宙線のひみつ(25-58)に続くブルーバックス第3弾。今回は「脳」がテーマ。
本書は科学と空想を織り交ぜた、いわば脳についての思考実験といった趣で書かれているが、「SFに描かれた脳」と比較して「リアルな脳」では、どこまでが可能で、どこから不可能なのかを知ることで、現在の科学で理解されている脳の特性を知ることができるよう構成したつもりである。(7-8)
SF好きであればさらに楽しめること間違いない。あいにく私はSFを多く履修しているわけではないけれど、脳科学について改めて考える良いきっかけになった。個人的には人工知能とリアル脳の違いや、リアル脳を凌駕する可能性(すでに凌駕している部分もあるけれど)について知りたかったのだ。
ロボットのような物理的な身体を与えるほうが、本来の脳機能により近づくことができる。脳とは本来、感覚系からきた外界の情報を処理する装置ともいえるのだ。私たちは「自分の体」を動かし、「自分の体」で見て、聞いて、触れて、感じることによってこそ、世界を生き生きと認知することができるのである。(79)
本書を通じてなるほどと気づいたのが、身体性だ。計算したり、LLMで文章をつくったり、画像処理をしたりではなく、外界から得た情報を処理する装置としての脳。世界を認知して初めて「脳」と言える。
とはいえ、人が一生かけても見ることができないウェブ上に無数にある写真だけでなく、人間の目では見えない光、人間の耳では聞こえない音、人間では判別できない微量の化学物質など、検出機器やセンサーが外界情報を入手し、それを人工知能が処理することはできる。人間の生物的な限界をはるかに超越した身体性が人工知能を進化させるかもしれない。しかし、いくら人工知能が進化しても人間の脳と違いはある。
違いは、アウトプットしたことがさらに精神や体の機能に及ぼす変化を、みずから認知し、解釈する機能がAIにはない、ということだ。(218)
外界にある大量の精密な情報処理の実現は、新たな科学的な発見につながる可能性はある。しかし、それを「知性」と呼んで良いのだろうか。
AIに「心」をもたらすためには、「自分が自分である」と認知し、社会や環境の中でみずからの置かれている状況を理解する「自意識」という機能が必要であることがわかってくる。(219)
知能や知性ではなく、「心」を人工知能が持てるのか。自意識の機能はどうやって人工知能に実装できるのだろうか。
未来において私たちは、テクノロジーと共存によって再定義される「人間のあり方」と向き合うことを余儀なくされるだろう。テクノロジーがもたらす人間の「進化」は、単なる人類という種の成長や進歩だけではなく、私たちがあたりまえのことと考えてきた「人間らしさ」や「人間であること」についても、再考するきっかけを提供するだろう。(232-233)
人間は道具を使い、火を使い活動領域や能力を拡張してきた。さらに道具を生み出し、世界の在り方を探求し、世界の背景にある原理原則を解明し、それらを応用してより大きな力を得るようになった。情報技術により高性能の計算機、ネットワークの形成、さらには人工知能の能力が大幅に向上した。昨今では量子技術を操り、根本から異なる計算機やセンサーやネットワークが生み出され、核融合発電のエネルギー革命によっていよいよ世界は根底から不可逆的に変容してしまうかもしれない。
それをのちにシンギュラリティと呼ぶようになるのかもしれないけれど、その結果、「人間」とはなにかという本質的な問いに立ち返るのかもしれない。
人間が生み出した人工知能が「人間」を規定するようでは不甲斐ない。何が人間を人間たらしめるのか、それを考えるのが人間に残された仕事であろう。





