
累計部数が100万部を突破ということで大変話題になった小説。前から気になっていたけれど、ようやく読むに至った。著者である辻村深月さんの小説を初めて読んだ。
結婚相談所を経営する小野里さんのセリフが印象的だった。
「結婚相談所は、最後の手段ではありません。最初の手段なんです」(126)
「皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです。傷つきたくない、変わりたくない。―高望みするわけじゃなくて、ただ、ささやかな幸せが摑みたいだけなのに、なぜ、と。親に言われるがまま婚活したのであっても、恋愛の好みだけは従順になれない。<後略>」(133)
「対して、現代の婚活がうまくいかない理由は、『傲慢さと善良さ』にあるような気がするんです」(134)
「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」(137)
あいにく幸か不幸か私は「婚活」をしたことがない(適齢期の時期に婚活なる言葉は人口に膾炙していなかった)。大学生時代に人生で初めて付き合った女性と社会人になって結婚したのだ。ドラマ要素が少ないため、小説化は困難である。
一方で、周りで結婚したくて、でも、できなくて悩む男女は少なくない。身近な事例になるが、20代の男女はコロナ禍で出会いの機会・可能性を逸している(ので異業種交流会を企画した)。とある50代の男性は就職氷河期で転職を繰り返し、かれこれ10年以上長く婚活を意欲的に取り組み、結婚できそうな方もいたのだが成就せず。今となっては完全に時期を逃しているのにもかかわらず、自らの子が欲しいために若い女性を探すが、当然のようにマッチしない。また、とある50代の女性は、子供は諦め、残りの人生を一緒に過ごせる伴侶を探しているが、同年代の男性は子が欲しいので若い女性を探し、年上の男性は平均余命の差から長く一緒に過ごすことはできそうにない。
恋愛と結婚(と妊娠と出産と育児)は、一筋縄にはいかない。生涯未婚率が上昇している中、自分は(自分だけでも)結婚したいと思い悩み願う人は多い。私が若い頃には存在しなかった、マッチングアプリなどの婚活ツールが充実しているからこそ、「選ぶ・選ばれる/選ばない・選ばれない」悩みはより根深いものになっている。
ということで、息子たちが若いうちに、「結婚したいなら、早めに結婚相談所に行け」とアドバイスしたい。
本書は、婚約直後に失踪した彼女を探すところから物語が始まる。探す経緯で、様々な事実、そして、「嘘」が見えてくる。そして読者は、最初に抱いていた登場人物たちの印象が大きく変貌していくことを体験する。六人の嘘つきな大学生(24-04)を思い出す。
読んだのは文庫版で、解説は売れっ子作家である朝井リョウさん。
謙虚と自己愛の強さは両立するのだという鋭い発見は、現代をうっすらと覆う病理のようなものを見事に言い当てていると感じた。自分の意思によるビジョンを掲げるのではなく、不正解を避け続ける減点法の人生。その人生を送っているうちは、不正解なわけではないので、取り立てて明確な不満も生まれない。だがその状態に慣れると、自分が何を不満に思うのかというアンテナまでも鈍っていく。不正解でもこれがしたいと、という推進の意思を失うことは、正解であってもこれをしたくない、という反発の意思を失うことと同義なのだ。そうなると、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも自分の意思が働かなくなり、ビジョンのない流れの中をただ揺蕩うことになる。(499)
傲慢さと善良さは同居する。私だってそうだ。善良でありたいと言動や行動を気にかけながらも、時には傲慢になる。そして、朝井さんが指摘するように、謙虚でありながら、強い自己愛も抱えている。謙虚さと傲慢さというアンビバレントな心持ちが両立できてしまう。トレードオフしない。誰しもが謙虚であり傲慢なのだ。
失敗したくない、間違いを犯したくない、間違いを指摘されたくない。でも、承認され、認められ、褒められ、愛され、許されたい。失敗に怯え、自己愛に溺れる。
まじめに、実直に、素直に、そして正しく生きる。そんな正しく生きている私をなぜ認めてくれないのか。組織で若い人と働くと時たま感じる違和感。指示をするまで動かず、チャレンジを避け、間違いを指摘するといたく傷つく。
若い人が読むとまた本書の感想も変わってくることだろう。大変面白かったので、辻村さんの他の作品も読んでみたい。





