40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文26-63:傲慢と善良



累計部数が100万部を突破ということで大変話題になった小説。前から気になっていたけれど、ようやく読むに至った。著者である辻村深月さんの小説を初めて読んだ。

結婚相談所を経営する小野里さんのセリフが印象的だった。

「結婚相談所は、最後の手段ではありません。最初の手段なんです」(126)

「皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです。傷つきたくない、変わりたくない。―高望みするわけじゃなくて、ただ、ささやかな幸せが摑みたいだけなのに、なぜ、と。親に言われるがまま婚活したのであっても、恋愛の好みだけは従順になれない。<後略>」(133)

「対して、現代の婚活がうまくいかない理由は、『傲慢さと善良さ』にあるような気がするんです」(134)

「ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です」(137)

あいにく幸か不幸か私は「婚活」をしたことがない(適齢期の時期に婚活なる言葉は人口に膾炙していなかった)。大学生時代に人生で初めて付き合った女性と社会人になって結婚したのだ。ドラマ要素が少ないため、小説化は困難である。

一方で、周りで結婚したくて、でも、できなくて悩む男女は少なくない。身近な事例になるが、20代の男女はコロナ禍で出会いの機会・可能性を逸している(ので異業種交流会を企画した)。とある50代の男性は就職氷河期で転職を繰り返し、かれこれ10年以上長く婚活を意欲的に取り組み、結婚できそうな方もいたのだが成就せず。今となっては完全に時期を逃しているのにもかかわらず、自らの子が欲しいために若い女性を探すが、当然のようにマッチしない。また、とある50代の女性は、子供は諦め、残りの人生を一緒に過ごせる伴侶を探しているが、同年代の男性は子が欲しいので若い女性を探し、年上の男性は平均余命の差から長く一緒に過ごすことはできそうにない。

恋愛と結婚(と妊娠と出産と育児)は、一筋縄にはいかない。生涯未婚率が上昇している中、自分は(自分だけでも)結婚したいと思い悩み願う人は多い。私が若い頃には存在しなかった、マッチングアプリなどの婚活ツールが充実しているからこそ、「選ぶ・選ばれる/選ばない・選ばれない」悩みはより根深いものになっている。

ということで、息子たちが若いうちに、「結婚したいなら、早めに結婚相談所に行け」とアドバイスしたい。

本書は、婚約直後に失踪した彼女を探すところから物語が始まる。探す経緯で、様々な事実、そして、「嘘」が見えてくる。そして読者は、最初に抱いていた登場人物たちの印象が大きく変貌していくことを体験する。六人の嘘つきな大学生(24-04)を思い出す。

読んだのは文庫版で、解説は売れっ子作家である朝井リョウさん。

謙虚と自己愛の強さは両立するのだという鋭い発見は、現代をうっすらと覆う病理のようなものを見事に言い当てていると感じた。自分の意思によるビジョンを掲げるのではなく、不正解を避け続ける減点法の人生。その人生を送っているうちは、不正解なわけではないので、取り立てて明確な不満も生まれない。だがその状態に慣れると、自分が何を不満に思うのかというアンテナまでも鈍っていく。不正解でもこれがしたいと、という推進の意思を失うことは、正解であってもこれをしたくない、という反発の意思を失うことと同義なのだ。そうなると、ポジティブな方向にもネガティブな方向にも自分の意思が働かなくなり、ビジョンのない流れの中をただ揺蕩うことになる。(499)

傲慢さと善良さは同居する。私だってそうだ。善良でありたいと言動や行動を気にかけながらも、時には傲慢になる。そして、朝井さんが指摘するように、謙虚でありながら、強い自己愛も抱えている。謙虚さと傲慢さというアンビバレントな心持ちが両立できてしまう。トレードオフしない。誰しもが謙虚であり傲慢なのだ。

失敗したくない、間違いを犯したくない、間違いを指摘されたくない。でも、承認され、認められ、褒められ、愛され、許されたい。失敗に怯え、自己愛に溺れる。

まじめに、実直に、素直に、そして正しく生きる。そんな正しく生きている私をなぜ認めてくれないのか。組織で若い人と働くと時たま感じる違和感。指示をするまで動かず、チャレンジを避け、間違いを指摘するといたく傷つく。

若い人が読むとまた本書の感想も変わってくることだろう。大変面白かったので、辻村さんの他の作品も読んでみたい。

感想文26-62:油脂で語る近現代 クジラとオランウータンをつなぐ糸



タイトルが気になって読んでみた新書。クジラとオラウータンが油脂という糸でつながるという趣旨なのだが、読んでみるまで全くイメージがつかなかった。

これまでイルカ漁は残酷か(16-04)や世界クジラ戦争(10-34)など、クジラ類(イルカ含む)について関心があり、本を読んできた。

日本は2019年6月30日にIWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、大型鯨類を対象とした捕鯨業を再開している。実際にスーパーの鮮魚売り場で鯨肉を見かけることがあるし、居酒屋で注文したこともある。そこで食べた鯨肉の刺身は脂がのっていて大変美味しかった。

クジラ類の保護がイルカの追い込み漁の非難へとつながり、さらには水族館でのイルカ飼育にまで波及することを知り、大変驚いたものだ。私たちは特定の問題にフォーカスして考えることは得意だが、その問題から様々な事象へと派生していく可能性について考えるのは苦手だ。

一部のクジラ類が絶滅の危機にある問題と、パーム油の生産のために熱帯雨林が伐採されている問題を私たちは報道などを通じて知っている。しかし、それらがつながっていることに気付かないし、思い至りもしない。

本書では、マーガリンの主要原料が鯨油からパーム油へと変化した、食用油脂の利用史をたどりながら、わたしたちの生活と地球環境の関係性を多角的に検討したい。(9)

朝食のパンにマーガリンを塗りながら、動物保護のニュースを見て、クジラが可哀そうと無邪気に考え、オラウータンの棲み処がどんどん減少していることに心を痛める。私たちはそれらの問題に自分たちが加担していることに気付きもしない。

鯨油であろうと、パーム油であろうと、それぞれの性質や価格、供給可能性などの要因により、すべての油脂類は、たがいに競合関係にあるわけである。そうした市場をめぐる競合―油脂間競争―は、油脂の産業利用が拡大した20世紀以降に顕著となった。(11-12)

私たちが普段から口にしている油脂は、どのように生産され、加工され、運搬されているのか。油脂の原料が鯨油からパームへと移行した歴史的経緯や技術的経緯について、これまで考えたことがある人はどのくらいいるのだろうか。恥ずかしながら、私は本書を読むまで全く考えてきたことがなかった。

現在、パーム油は世界で生産される油脂のトップを占めている。原産地は西アフリカであるが、2025年8月現在、パーム油の生産国は、インドネシアとマレーシアである。世界の総生産量8074万トンのうち、この2か国で83.0%を占めている。(13)

2年前に旅行でインドネシアを訪れた(24-32:現代インドネシアを知るための60章参照)。ジャカルタにしか滞在していないので、パーム油のプランテーションを見ていないし、多様な生物が生息する熱帯雨林にも行っていない。しかし、人口が急増し、経済が発展するでたらめな勢いと歪みは肌で感じ取れた。熱帯雨林を切り拓き、カネになるパーム油の生産量を増やしていくインドネシアの選択を否定できないし、そのパーム油由来の安価な油脂で私たちの生活は成り立っているのだ。

油脂化学界に決定的な変革がもたらされたのは20世紀初頭である。ドイツで液体油に水素を添加し、常温でも固体化した硬化油を得る技術―水素添加法―が発明されたのである。(177)

水素添加法とは、化合物に水素原子を付加する還元反応のことである。具体的にどういう技術なのだろうか。

水素添加法とは、つまりは不飽和脂肪酸(液体油)を人工的に飽和脂肪酸(固体脂)に変形させることである。たとえば、炭素数18の不飽和脂肪酸のオレイン酸やリノール酸を二重結合なしのステアリン酸に変えることにひとしい。つまり、パルミチン酸やステアリン酸といった既存の飽和脂肪酸に制限されることなく、多種多様な不飽和脂肪酸を固形化(飽和脂肪酸化)して使用できることになる。いかに水素添加法油(硬化油)が経済性に優れたものであるか、が理解できるはずだ。(212)

(30年以上前に習った)高校の化学を思い出しながら整理してみよう。不飽和脂肪酸とは、1つ以上の不飽和の炭素結合(炭素二重結合または三重結合)をもつ脂肪酸(炭化水素にカルボキシル基COOHを有した化合物)である。不飽和脂肪酸は、不飽和結合によって分子間力が弱いために室温で液体になることが多い。不飽和脂肪酸であるオレイン酸はオリーブオイルに多く含まれている。飽和脂肪酸は固体であり、ステアリン酸はろうそくの原料になっている。

なお、トランス脂肪酸と心臓病リスクをめぐるバターvsマーガリンの歴史は、禍いの科学(21-10)を参考にされたい。

技術革新によって、地球上の鯨類―とくに南氷洋の鯨類―は保全されることになった。しかし、わたしたちは、油脂そのものを必要としなくなったわけではない。(230)

水素添加法の誕生など、技術革新によって鯨油を原料とする有用性・必要性が乏しくなり、安定しない収奪型の動物油から、より安定したプランテーション型の植物油へと移行した。結果的に鯨類は保護されたが、オラウータンは危機に瀕している。

既成メディアも所詮は縦割りだということである。食や健康をふくむ生活一般は生活部、熱帯雨林や野生生物の保全に関する記事は環境部に属す記者が担当することになる。せっかく現場で取材していても、担当が異なれば、相互に記事を参照しあうこともない。こうした縦割りは、学問も同様である。食用油脂研究は栄養学、熱帯雨林問題は森林生態学など、それぞれの課題に対応する専門家集団が存在している。しかし、その両方が協働しようとする機運は、現時点では感じられない。(256)

この観点から本書の存在価値は大きい。メディアもアカデミズムも縦割り構造になっている。現代社会において、私たちが触れる「知識」や「情報」はあまりに膨大で、組織的に扱うとするとどうしても分業的にならざるを得ない。特定の事象に詳しくなることは、関係ないと思われる事象を捨象することにもなる。

本書の主張は、まずは、「食と環境」に関心をもち、気になる事象群に「絡まりあう」ことを楽しもう、という点につきる。傍観者でいるのではなく、みずから事象にかかわってみることである。無関係と思えた事象が、まったく異なる事象とつながっていることを発見したら、その発見を素直によろこぼう。それだけ自分の眼が肥えたことを讃えよう。(264)

本書は、食と環境のリテラシーについて、新たなつながりの発見を促している。普段から口にしている食べ物がどこでつくられ、どのように運ばれているのか、そして環境にどのような影響を与えているのか、考えることを意識していきたい。

感想文26-59:最新ワインの科学 芳醇な香りと味わいはどのように生まれるのか



グラフ理論「超」入門(26-58)に続いて、2冊連続でブルーバックス。これで第9弾。分野はワイン。ワインを科学する。確か2015年に国立科学博物館へ「ワイン展―ぶどうから生まれた奇跡―」を見に行った記憶がある。

ワインは、文化、経済、環境、そして科学といった多様な要素が交錯するダイナミックな領域にあります。<中略>本書は<中略>「ワインを科学の言葉で理解する」という視点からその本質に迫ることを試みたものです。本書では、ワインの歴史から始まり、ワインの味わいがどのように生まれるのか、ワイン用ブドウ品種の特徴、最新の醸造技術、健康に与える効果、ワインの未来図など、ワインについての知識を体系的に科学の言葉で解説します。(5)

ワインを科学するといっても多様な研究分野や技術が関わる。ワインの品種、気候や土壌、発酵・醸造の過程、味や香りなどの成分、それらが健康に与える影響などなど。風土や歴史が組み合わさってワインが発展してきたが、そのワインの秘密を解き明かし、そしてワインの進化に科学がどのように貢献していくか。身近な対象であるワインを科学的に考えるのはとても楽しい。量子科学も面白いけれど、目に見えないのがもどかしいのだ。

本書を読んで気になった箇所を挙げておこう。

2010年、甲州が国際ブドウ・ワイン機構(International Organisation of Vine and Wine: OIV)に品種登録されたことは、日本ワイン界にとって歴史的快挙でした。次いで、2013年、マスカット。ベーリーAもOIVに品種登録されました。EU諸国へ輸出・販売するワインにおいて、ラベルにブドウ品種名を記載する場合には、OIVへの登録が必須となります。(28)

私はこれまで、外国産ワインに比して、日本産ワインをあまり飲んでいない。過去に飲んだ日本産ワインが値段の割に美味しいと感じられず、それ以来、敬遠していた。唯一の例外はこころみ学園奇蹟のワイン(17-53)に登場するココ・ファーム・ワイナリーだけだ。とはいえ、日本産ワインも美味しくなってきているのかもしれない。そろそろ思い込みを取り除けるようにアップデートしたい。まずは「甲州」品種のワインから始めてみたい。

アルコール発酵を主に行うのは「酵母」です。酵母は果汁中の糖をアルコールと二酸化炭素に変換し、ワインの骨格を生み出します。さらに、乳酸菌が働いてリンゴ酸が乳酸に変換されるマロラクティック発酵が進行します。この過程では、リンゴ酸が乳酸と二酸化炭素に変換されることで、ワインの酸味をやわらげ、香りに丸みを与えます。これらがワイン造りに欠かせない「発酵」です。(72)

この感想ではマロラクティック発酵(MLF)を取り上げておきたい。糖をアルコールと二酸化炭素に変換するアルコール発酵と、リンゴ酸を乳酸と二酸化炭素に変換するMLFがある。MLFによって酸味が抑えられ、ワインらしいまろやかさが生まれる。

ワイン造りにおけるMLFの意義は、酸味の調整にとどまりません。MLFが完了するとワイン中のリンゴ酸はほぼ消失します。これにより、微生物にとって利用可能な栄養源が減少し、ワインの微生物学的安定性が高まります。さらに、MLFによってジアセチルや乳酸、酢酸などの静菌作用をもつ代謝産物が生成されるため、酢酸菌や過度な発酵を招く野生酵母などの望ましくない微生物の増殖が抑制されます。MLFがもたらす微生物学的安定性は、長期間の熟成を行うワインにとって極めて重要です。(93)

MLFによって微生物学的安定性がもたらされる。なるほど、そういう効果もあるのか。MLFは酵母ではなく、乳酸菌の仲間が仲介する。技術的に面白いのが、酵母と乳酸菌を同時に接種する「共接種(コ・イノキュレーション)」や、アルコール発酵とMLFの両方を担う遺伝子組換え酵母が開発されていることだ。ブドウの品種改良だけでなく、微生物にもゲノム技術を適用しようとしているのが興味深い。

重要なのは、バイオテクノロジーを単なる生産性向上や利益追求の手段としてではなく、VUCA時代でもワイン文化の豊かさと多様性を守り、さらに持続的に発展させるためのツールとして捉えることです。(304)

新たな技術が生まれ、実用化される。効率性や金儲けだけではなく、文化や持続可能性という観点からも、新たな技術を積極活用していく。ワインは単なるアルコール飲料ではない。歴史と深みがあるのだ。

本書を通じて感じていただきたいのは、ワインの魅力が決して科学だけでは語り尽くせないという点です。分析技術がいかに進歩しても、ワインのすべてを数値や理論で説明し尽くすことはできません。<中略>ワインの世界で語られる「テロワール」という概念は、まさにその象徴です。土壌や気候といった自然条件に加え、人の営みや文化までも含めた総体としての個性。それは科学によって一部は解明されつつあるものの、そのすべてを言語化することは容易ではありません。むしろ、科学では完全に説明しきれない余白があるからこそ、ワインは人を惹きつけ、語りたくなる対象であり続けているのではないでしょうか。(305-306)

先日、ホームパーティを開催した。私の手料理(+買ってきたサラダ、パン、チーズ)に加え、ワインを4種類用意した。CAVA(泡)、リースリング(白)、メルロー(赤)、ジンファンデル(赤)である。そこまで価格帯は高くない。泡以外は、私の好きな品種で選んでいる。

不思議なもので日本酒の良し悪しは何となくわかる。原料が米だからだ。でもワインは難しい。何が正しいのか、美味しいのか、どんな料理と組み合わせるのが正解なのか。

わからないことがワインの魅力であり、魅了されてワイン沼にハマる人もいる。これからは先端的な挑戦的な取り組みをしているワインを積極的に飲んでみたい。技術動向を調べ、技術を積極的に取り入れ、ワインをより良くしようとする取り組みを飲んで応援したい。

感想文26-61:ゴールド金の世界史 神話・マネー・政治・権力世界を動かす普遍の価値

 

 

関税の世界史(26-45)以来の〇〇の世界史というタイトルの本。

著者のドミニク・フリスビー氏は、イギリスの金融ライター兼コメディアンとのこと。本書で示されている事実関係や著者の主張に首をかしげたことが幾度もあった。特に日本についての記述は信憑性に欠ける。本書は学術書ではない。眉唾も多く含まれているので、注意が必要だ。お読みになる際は、決して鵜呑みにしないように。

さて、タイトルのとおりゴールドと金について本である。本書を読んで初めて意識したのが、英語だとgold≠moneyであるが、日本を含む漢字圏では金(gold)=金(money)なのだ。漢字圏とそれ以外では「金」についてのそもそもの認識が異なっているかもしれない。

金の歴史は必然的に通貨の歴史でもあるが、それと同時に、人間の強欲、執着、野心の歴史でもある。金は美しい。金は人心を引きつける。金は富そのものである。(16)

古代から現代までも人は金に魅了される。金が触媒し、人間の欲望を掻き立てる。人類の歴史は金が紡いできたと言えなくはない。

本書でも言及しているが、ニュートンと贋金づくり(13-44)にあるように、かの偉大なニュートンは錬金術(≒贋金づくり)に傾倒していた。

国王の宣言は複本位制を示唆していたが、大量の銀が国外に流出していたため、実際にはイギリスを金本位制に移行させる結果となった。<中略>ニュートンが考案した制度はイギリスの貨幣の基盤になり、また18世紀を通じて国内取引および国際取引の基盤にもなって、イギリスが他国から信頼され、畏怖される商業大国になるのを助けた。しかし、これは偶然から生まれた金本位制だった。(108)

ニュートンは多くの人が知っているように有名な(古典)物理学者であるが、実は造幣局長として通貨政策にも関与し、1717年の金銀比価を調整し、結果的にイギリスを世界初の本格的な金本位制国家へ向かわせた人物でもある。

国外で銀が高く売れるため、イギリスから銀が流出し、金貨が事実上の基準通貨となったので、正式には1816年に法律で金本位制とした。同時期に産業革命が起こり、イギリスはヘゲモニー国家となる。しかし、イギリスでの金本位制導入から約30年後に、アメリカで大きな出来事が起きる。

1848年1月24日は歴史の分岐点としてとりわけ重要である。新たな黄金時代の始まりの日だったのだ。(124)

ゴールドラッシュの始まりだ。富の象徴たる金がアメリカで発見される。本当に儲かったのはデニムとツルハシを売りつけた人たちというのは有名な話だ。

イギリスを見習って各国は金本位制を導入するが、第一次世界大戦の戦費調達にかかる費用が金の上限を超えたがために金本位制が崩壊する。そして1944年の第二次世界大戦中にブレトン・ウッズ体制(ドルを中心とした金為替本位制)へと移行する。ナチスと日本には大戦中にかき集めた金にまつわる話が本書では紹介されているが、日本のゴールデンリリー計画は都市伝説であろう。

ゴールデンカムイや徳川埋蔵金など、どこかに大量の金が眠っていると信じる人たちは少なくない。金は想像力を掻き立てる装置でもある。

しかし、アメリカのドルが世界に流通しすぎたために、1971年にニクソン大統領はドルと金の交換停止を発表する(ニクソン・ショック)。こうして金本位制は終焉を迎える。意外にも金本位制の寿命は短かったのだ。現在は、フィアット通貨制度によって、通貨の価値は金を裏付けとしていない。発行する国家と中央銀行の信用の上に成立している。

では、現代へと戻ってくると、今、金を多く保有している国はどこだろうか。

2007年、中国は南アフリカを抜いて世界一の金産出国になった。<中略>昨年の産出量は377トンで、世界の総供給量のおよそ10%だった。この10年間で中国から算出された菌の量は世界の総採掘量の約15%である。(275)

ということで、答えは中国である。そして、中国は金を集めて「通貨機軸の脱ドル化」を狙っていると著者は主張している。金は米中摩擦の懸案事項でもあるのだ。たぶん。

大まかにいって、私は金の将来には3つの可能性があると思っている。第一に、もっとも可能性が高いことだが、今日と同様に、宝飾品、富の貯蔵、保険としての役割を担いつづける。第二に―私の考えでは可能性は低いが、一定に必然であるという意見もある―政府がふたたび金本位制をとるようになり、金は公的貨幣としての役割をとりもどす。第三に、もっともありそうにないことだが、中央銀行と投資家が保有していた金を手放し、金の需要が宝飾用途と工業用途にかぎられる。(289)

金の未来はどうなるだろうか。金本位制が復活するのだろうか。通貨機軸はどうなるだろうか。政治情勢や経済情勢が不安なときに安全資産として金がよく買われる。現在、金の価格は高騰している。価格がまだ上がるのであれば、今のうちに買っておこうと考える人もいるだろう。

しかし、忘れてはいけない。金は物質である。元素番号79。技術革新が起こり、核融合などによって、エネルギーを無尽蔵に生み出せるようになれば、原理的には金をつくり出すことも可能になる。金本位制のメリットはあるが、それは金が希少であることが前提だ。

人間の欲は際限がない。欲望を増幅させる金すら、増幅させることができるようになるのかもしれない。でも錬金術が成功してしまったら、金は金としての存在価値を失ってしまうだろう。

感想文13-44:ニュートンと贋金づくり―天才科学者が追った世紀の大犯罪



2013/7/22のYahoo!ブログを再掲

 

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かの有名なアイザック・ニュートン(1642-1727)が贋金作りを捕まえるのに執念を費やしたという知られざる生涯について、ドラマチックに描いた一冊。

ニュートンといえば、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したなんていう逸話が有名。でも実際にニュートンの生涯に関する本を読んだのは初めてだと思う。

それでは気になった箇所を挙げておこう。

1684年8月のある日、エドモンド・ハレーがニュートンを訪ねてきた。ハレーはいつでもニュートンの居室に入れてもらえる、片手で数えられるほどわずかな知人の一人だ。

エドモンド・ハレー(1656-1742)といえば、ハレー彗星で有名。天文学だけでなく多方面の分野で多くの業績がある。ニュートンは天才の典型らしく、気難しかった。そして、ニュートンとハレーが同時代の科学者だということを初めて知った。

ニュートンにとってボイルは、同じ科学者の一人であり、心から尊敬する数少ない人間の一人だった。一方、ロックとボイルは、もっと親密な間柄だった。1660年代、ロックがまだ20代で医師の資格を得たばかりの頃から、ボイルはロックの知的活動の後援者であり、助言者のような存在だった。

ボイルの法則(PV=k)で有名なロバート・ボイル(1627-1691)や社会契約説で知られるジョン・ロック(1632-1704)とも同時代。それから、引用していないけれど、ロバート・フック(1635-1703)も同時代で、ニュートンとは不仲だった。教科書で習う有名人がこの頃は多数、イギリスにいたんだね。

ロンドンで暮らす子どもは、100人当たり45人から50人が2歳までに亡くなっていた。<中略>どんな親も、少なくとも一人は子どもを葬ったといってもよいほどだった。

17世紀の衛生状態は、ニュートンなどの優れた科学者を生み出したイギリスでさえも、良好ではなかった。近代医学が登場するのは、解剖医ジョン・ハンター(1728-1793)の登場を待たないといけない(12-41:解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯参照)。まだこの頃は、医学が科学になっていない、っていうか科学の土台がようやく築かれつつあったのだ。

ニュートンが錬金術の研究を始めたのは1668年で、その後四半世紀という長い期間、完全に手を切ることはなかった。<中略>充分な知識がなければ、錬金術と贋金作りは何ら変わるところがないように見えた

徐々にニュートンと贋金作りの関連が見えてくる。その媒介となるのは錬金術だ。大天才ニュートンも錬金術に傾倒していた。

イングランド銀行券-すなわち、世界初の銀行発行の紙幣-は、1695年6月から流通を始め、すぐに一般に歓迎されるようになった。<中略>それまでにない継続的な貨幣循環の始点となり、やがてロンドンはヨーロッパンの金融の中心となって、その後わずか1世紀ほどの間に世界の金融の中心となった。

17世紀にニュートンが物理学を、18世紀にアダム・スミスが経済学を、そして19世紀にダーウィンが生物学の基礎を築くわけだけれど、実際の紙幣流通による経済学の胎動は17世紀に始まっていた。しかも、その背景には贋金がある。こういったドラマチックな変動は非常に面白い。

信仰心の問題は大きい。硬貨偽造は、宗教的な問題と常にかかわりがあるからだ。金属の平金を合法的通貨に変えることが魔法とされるゆえんは、硬貨の表に刻印された国王の頭部の肖像にある。<中略>硬貨偽造が死刑に値する重罪であるのは、偽造された通貨が国家に危険をもたらすからだ-王権を侮辱する偽造版は、国家への反逆という非難にさらされることになる。

硬貨と宗教が不可分であるという考え方は日本人には馴染みが薄い。当時の宗教がどれほど大きな力を有していたかが分かる。ただの金属が貨幣として利用される根拠は、信仰心なのだ。

(ニュートンの)その一つの人生における一貫したテーマは、神との交流への渇望だった。新たな科学の使い方を誤ると、人は「神への信仰」を持とうとせずに、信仰心を失くしていく可能性があるという穏やかならぬ事実を、ニュートンは理解していた。

物理学と神(09-10)にあるように神の存在証明としてあるいは不在証明として科学は発展してきた。

1700年代の初め頃、あるいはそれより10年程前までに、ニュートンは自然哲学者としての仕事をほぼ終えていた。その後の彼は、歴史的、宗教的なアプローチで神への理解をいっそう深めようとした。

物理学を築いたニュートンが、神との交流を進め、信仰心が厚く、ゆえに贋金作りを捕まえるのに執念を燃やしていた。物理学の教科書で習うニュートン像とは全く異なる姿がそこにはある。

とはいえ、本書を読むと、天才が故に、時代を早取りしすぎたことが苦悩をもたらし、その苦悩が信仰心をより厚いものにしたと思われる。科学と宗教は対立しているのではない。ともにそれぞれが影響し合い、利用し合っている。そして、両者には共通点がある。それは真理(≒神)がいるという前提での活動ということだ。真理のない科学はなく、神のいない宗教はない。

原文が難解なのであろうが、訳本も難解なところがある。それでも、ニュートンの知られざる一面を垣間見ることができる良書だ。

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(感想文の感想など)

ニュートンの多才ぶりがよく分かる。

錬金術は現代から見ればオカルトであると同時に、化学(ケミストリー)の黎明期であるとも言える。当時としては最先端の研究分野だったのだ。

PRAGMATA(プラグマタ)

クリアしたので簡単に感想を書き残しておこう。

本作は、2026年4月17日にカプコンが発売したSFアクションアドベンチャー。

舞台は未来の月面基地。ハイクオリティのグラフィックで、悪しきAIによって敵と化した多様なボットと戦いながら、基地内外を探索し、物語が進む。

年々、アクションゲームが辛くなる。楽しいけれど、衰えた反射神経で対応できない。対応できなくなるとプレイがしんどくなる。

たぶん、これまでのゲーム人生で初めて難易度を下げた。とはいえ、これを恥ずかしいとは思わなくなっている自分もいる。長くゲームを楽しむための選択肢の一つとして胸を張って受け入れたい。もう若くないのだ。

クリアまでのプレイ時間は15時間程度。100時間かかるような大作ではなく、まるで映画を見ているようにテンポよくストーリーが進む。トレーニングやビンゴや隠しアイテムなどのコレクター要素はあるが、サブクエストなどはない。敢えてメインストーリーに関係のないことは削ぎ落している印象だ。お使いイベントにより水増しするのは、きっと難しくはなかっただろうが、そういうゲームにしないという強い意思を感じた。

※ここからは、ネタバレになるのでご注意ください。

起(月面に到着&不穏な事態の感知)、承(プラグマタとの出会い&基地内外の探索)、転(事件のきっかけ発覚&真の敵の認知)、結(終結と離別)とストーリーは短いが、起承転結がはっきりしている。マルチエンディングではない。AIやボット、3Dプリンタなど未来世界を描いているが、すでに身近になっている技術であり、そこまで難しく考えなくても状況を理解できるようになっている。

一緒に探索するプラグマタである少女ディアナはとても愛らしく、一緒に時間を過ごしてだんだん愛着が湧いてくる。娘がいたらこんな感じだろうか。しかし、(どういう別れ方かは分からないながらも)いずれ来るであろう「別れ」を想像すると、物悲しい気分になりつつ、目の前の敵をディアナと協力して、(難易度を下げて)必死に倒していく。

パズルと融合した戦闘システムは斬新だ。やりこみ要素もあるが、反射神経が摩耗している初老の身では、低難易度でクリアするのが精いっぱい。できれば同じ戦闘システムで続編を出してほしい。

本作は心底楽しめたゲームで、全てにおいて素晴らしかった。

次にプレイするのは、「ファイアーエムブレム 万紫千紅」。

感想文26-60:軍民両用化する技術 「デュアルユース問題」とは何か?



以前から気になっているテーマである科学と戦争。科学技術の軍事利用(23-18)以来、関連する本を手にしてみた。

私自身は、このデュアルユース問題に、否応なく巻き込まれた研究者です。<中略>元自衛官という経歴を持ち、哲学・倫理学に籍を置いていた、安全保障研究者である私に、このデュアルユース問題が持ち込まれることになりました。<中略>これは私にとって「押しつけられた」テーマでした。本当に面倒くさいのです。(4-5)

著者の大庭弘継さんは、ご自身の珍しい経歴も相まって、デュアルユース問題に巻き込まれ、押しつけられる。率直に「面倒くさい」とさえ表明している。面倒な理由は、①対象となる研究領域が広い、②どの技術がどう軍事に転用されるか予測困難、③日本で根深い軍事アレルギーとしている。

本書は、こうした「デュアルユース技術」と、それがもたらす「問題」を扱います。ここでの「問題」とは、技術が兵器に転用されてしまうこと、あるいは軍隊が関与しなくても兵器化される可能性があることを意味します。私たちは、技術がもたらす恩恵だけを期待しがちですが、実際には危害も生み出すのです。(7)

軍事には様々な科学技術の成果が投入されている。モラルや倫理観などのブレーキは戦時下では容易に機能不全に陥り、人間の創造性が最大限発揮されてしまう。研究開発によって得られた成果は、兵器開発に直結する。ただし、忘れてはいけないのは、最先端の研究成果だけが兵器に転用されるわけではないということだ。

デュアルユース問題を掘り進めると、「兵器の民主化」という問題に突き当たります。それは、普通の人々でも望めば、兵器を生み出し、テロを引き起こし、他国の戦争に参加でき、もしかしたら大量破壊兵器も開発できるという事態です。これは、科学技術の功罪という聞き飽きた話とは違い、私たち自身が兵器を生み出し加害者になりうるという事態です。(17-18)

例えば、日本国内の事例で言えば、陸上自衛隊のヘリコプターがレーザー照射を受ける事例が起きている。レーザーポインターのような身近な道具であっても、使い様によっては兵器化してしまう。サッカーのPKでも同じようなことが起きている。これは兵器というにはあまりに小規模かもしれないが、私たちは想像力を働かせていないだけで、兵器にも転用できる身近なアイテムや成熟した技術はたくさんある。本書でも言及されていたが、手製の道具で元総理大臣を殺せてしまうのが現実だ。

研究の自由と、社会の安全のバランスをどう取るかというディレンマです。また社会の安全を、研究で保つか、規則で保つか、というディレンマでもあります。(102)

よって、だから研究を規制すべきだという短絡的な話に収束しない。現実、私たちは多くのディレンマに直面している。もちろん研究はどこまでも自由に行えるわけではない。当然、様々な法規制で縛られている。しかし、規制は全世界で共通ではない。自国の規制を強化すれば解決する問題ではない。

規制の強いヨーロッパの企業での研究は進まず、規制の緩いアメリカ企業の独壇場となります。その結果、米国企業がさらなる技術革新を遂げて強大化するという、皮肉な結果が予想されるのです。ここには、規範の重視が技術革新の停滞につながり、規範の軽視が技術革新を促すというディレンマがあります。(184)

欧州と米国とでは制度設計についての考え方が異なる。どちらが正しいということではない。しかし、当然ながら規制が緩いあるいは手続きが簡素である国の方が、研究が進みやすい。一方で規制があるからこそ、それを掻い潜る斬新なアイディアにより研究が行われるという側面も否定しない。分野によって状況は異なり、一様ではない。

特にAIやロボティクス(それらが融合したフィジカルAI)などの分野では中国が著しく進展している。中国国内の規制はおそらく緩いだろうが、米中対立で輸出管理の規制は厳しくなっており、他国の技術や物資を期待できないため、却って自国での研究開発が進んだのかもしれない。規制と研究開発の関係は一筋縄ではない。

本書が示したように、①軍民転用の不可避性、②民生技術がテロの道具となり得る現実、③兵器の民主化が進行している事実、④犠牲が発生するという厳しい前提、これらを直視したうえで、制度を構築していくしかないのだと思います。(326)

本書では、デュアルユース問題の核心は「兵器」であるとし、様々な具体的な技術と兵器の関係を整理している。継続的に今まさに転用されている技術と、これから転用される可能性について、綿密に把握する必要がある。リバースエンジニアリングによって転用された技術を特定することはできたとしても、転用可能性はどうだろうか。

本来的には戦争や軍事にかけるエネルギー、人員、予算、想像力は少ないほうが良いはずだ。しかし、人間の支配欲と支配されたくない抵抗が、戦争や軍事が減らすどころか、未だに各地で戦争が起き、過度に緊張を高め、そして好戦的な指導者を(おそらく)公正な選挙手続きを経て選んでしまっている。

一方で、今起きている現実もきちんと直視する必要がある。AIと融合したドローンが効率的に人を殺戮している。いよいよ、知性の未来(26-52)が予見する「超知能」の誕生によって、人類の存在意義が改めて問い直されるかもしれない。環境破壊の主犯と断罪され、人類が超知能によって地球から排除される未来が到来するのだろうか。

そんな未来を考え始めると、デュアルユース問題そのものが揺らぎ出す。他者を傷つける可能性ではなく、自身も自身の家族も自国民も、そして人類全体をも危機に陥れる。ディストピアの世界線へと落ち込まないことを願ってやまない。