※2017年2月7日のYahoo!ブログを再掲
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今から約3年前の2013年頃にこのディオバンの研究不正問題が大きく取り沙汰された。論文は撤回され、責任著者の京都府立医科大学の教授は辞職した。さらに問題となったのは、製薬会社のノバルティスファーマ社がこの臨床試験に深く関与していたことだ。利益相反であると非難された。
その後、京都府立医科大学だけでなく、東京慈恵医科大学、滋賀医科大学、千葉大学、名古屋大学の臨床試験に関与していたことが明るみとなった。
遂には、利益相反だけではなく、肝心の臨床試験のデータを改ざんしていた疑いが起こった。その結果、
2014年6月11日、高血圧治療薬に関わる臨床研究論文不正に関与した疑いで製薬会社の元社員が逮捕されるという事態が発生した。研究論文不正で逮捕者が出るという事例は、医学界のみならず、あらゆる学問領域において前代未聞の出来事である。
とあるように、ついに件のノバルティスの社員は逮捕されるに至った。判決は2017年3月16日予定なので、現時点では未だ結審していない。真相は未だはっきりしていない。
本書は、ディオバン関連論文について発表当所から内容に疑義を抱き続けてきた高血圧の専門家としての視点、また、日本医師会から推薦を受けた厚労省調査委員会委員としての視点から事件の経緯を整理し、問題点を明らかにしようとするものである。
私は医師でもなく、製薬会社の人間でもなく、今のところ高血圧患者でもない。とはいえ、医学系の大学院を修了し、こういった薬剤、統計、臨床研究の関わりについて関心を持ち続けており、久しぶりに本書を通じて考えてみることにした。
私が大学院生の頃(もう15年も前のことだが…)、EBM(Evidence Based Medicine)がちょうど盛り上がっていた時期だ。医師が勘や経験に頼る医療はもう時代遅れで、エビデンス(根拠)に基づいた医療こそが正しい医療とする考えだ。当然、EBMへの反発は当時あった。
同時代的に分子生物学も盛り上がってもいたのだが、その修士課程のカリキュラムでは医療統計学や疫学を履修し、そもそものエビデンスとは何か、エビデンスの強弱とは何か、妥当性とは何か、エンドポイントとは何か、研究デザインとは何か、こういったことを学んだ。あいにく学んだことを活かす仕事に就いていないので、忘れつつあるのだけれど…。
当時に比べて、随分と医療現場にもEBMが根付いたのかもしれない。しかし、
エビデンスを批判的に吟味することなく盲信してしまう風潮も生まれ、それが今回のディオバン事件の一因となった。
とあるように、EBMが根付いたからこそ、エビデンスを無根拠に信じ込んでしまうことが起きていたのかもしれない。
「種まきトライアル」(seeding trial)とは、企業が新薬の販売を促進するために企画する臨床試験のことであり、いわば研究の名を借りた販売促進手法の一つである。(中略)研究目的に科学的意味はほとんどない。
製薬会社はごくわずかな商品による大きな売上で多くの社員を雇用し、その巨体を維持している。今回のように需要の多い高血圧治療薬では、そのシェアを伸ばそうと苛烈な競争が起きている。
そこで広告宣伝は当然重要となるが、そのウリ文句として言えるような根拠のために種まきトライアルが行われる。これは研究開発ではなく、単なる販売促進でしかない。他社製品との僅かな違いを誇大広告する。こういったことが日常的に行われているのは、ビジネスモデルに起因している。
ディオバン事件は様々な問題点を浮き彫りにした。特に患者のためのEBMが、製薬会社の利益ために歪められ、結果的に患者に不利益をもたらしてしまっているということだ。
処方される患者はその薬のエビデンスまでチェックすることは通常ないし、チェックしたとしてもその原著論文やさらには研究デザインやデータまで吟味することはないだろう。
post-truth(ポスト真実)やalternative facts(オルタナ・ファクト)という言葉が今の時代を表すワードとして注目されている。科学的な批判に耐えうるような根拠をめぐる戦線は、今後も広がっていくだろう。
欲望と理性の二項対立という単純な図式ではない。今や世界は混沌とし、抱える課題は複雑に絡み合っている。正しく物事を認識するためには、費用も時間もそして覚悟も必要となったということに早く慣れないといけない。
本書の射程から外れてしまい、風呂敷が広がりすぎたきらいがあるが、今の空気は、根拠が、そもそもの科学が標的にされつつあると感じてならない。
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(感想文の感想など)
事件はどうなったか。
2017年3月16日:元社員とノバルティス社に対して無罪判決(東京地裁)
2018年11月19日:控訴棄却=無罪(東京高裁)
現在、最高裁に上告し、最終決着はついていない。