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感想文15-45:八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体

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※2015年11月26日のYahoo!ブログを再掲。

 

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自民党三原じゅん子参院議員が316日の参議院予算員会で本書のタイトルである「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉を使ったことが当時話題になった。って言っても覚えている人は少ないかもしれない。

かくいう私もそういうことが話題になったなという記憶があったけれど、そもそも「八紘一宇」という言葉を知らないばかりか、まともに読むことすらできなかった。

三原じゅん子参院議員は、元女優で、お笑い芸人のコアラと結婚したということくらいしか知らなかったのだけれど、八紘一宇という見たことも聞いたこともない難しい用語を使っていることに驚いた、ということを覚えている。それで頭の片隅にその八紘一宇という言葉だけが残っていたので、本屋さんで本書を見つけて思わず買ってしまったのだ。

ということで気になった箇所を挙げておこう。

八紘一宇ということばを作ったのは、日蓮信仰と皇国史観を合体させ、戦前において大きな影響力を発揮した田中智学という宗教家である。その田中が作り上げた組織が「国柱会」であり、そこには詩人で童話作家宮沢賢治満州事変を起こした石原莞爾、さらには伊勢丹の創業者、小菅丹治などが加わっていた。

田中智学(1861-1939)はウィキペディアによると『第二次世界大戦前の日本の宗教家』である。宗教家というと太った怪しい教祖を思い浮かべるが、写真を見るとスマートなインテリ・イケメンの風貌である。生まれたのは大政奉還よりもちょっと前。江戸時代末期から昭和にかけて生きた人物だ。

八紘とは、中国の思想書淮南子』地形訓に出てくることばで、地のはてを意味し、それから転じて天下、全世界を意味するものとなった。「掩八紘而為宇」は、世界全体をおおって一つの家にするという意味になってくる。

掩八紘而為宇=『八紘(あめのした)を掩(おお)ひて一宇(いえ)と為(な)さむ』ということらしい。残念ながら漢文はセンター試験の頃からさっぱりだが、何とか意味は理解できる気がする。問題はその言葉そのものの意味ではなく、この八紘一宇が生まれた背景やどういう意図を持って使われてきたかだ。

国柱会には、(中略)宮沢賢治石原莞爾伊勢丹の創業者である小菅丹治のほかにも、国柱会の初代京都局長となった金子彌平、近衛文麿の父親で華族・政治家であった近衛篤麿、詩人の北原白秋夫人の菊子、思想家で文芸評論家の高山樗牛日本医師会の会長を長くつとめた武見太郎なども会員として入会していた。

調べてみると宗教法人国柱会がちゃんと現存している。今ではあんまり影響力はないのだろうか。宗教関係に疎いのでよく分からないけれど。でも、当時はなかなかそうそうたるメンバーが入会していたようだ。

宮沢賢治法華経の関わりについては、血盟団事件(感想文14-17)でも書かれていて、印象に残っている。

「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」で終わっていない。(中略)おそらく多くの人たちは、これを見て、こんなものが「雨ニモマケズ」の後についていたのかと驚くに違いない。

NHK教育で「にほんごであそぼ」という番組があり、そこで「雨ニモマケズ」が歌われているが、ワタシハナリタイで終わっている。しかし、雨ニモマケズはネットの青空文庫で読むことができる。おお、ちゃんと原文通り、ワタシハナリタイの後が続いている。結構、驚くよね。

賢治は生涯、日蓮信仰を持ち続けたと考えることができる。(中略)賢治は、日蓮主義者としてその生涯をまっとうしたのである。

個人的にさほど宮沢賢治の話を読んだことはないし、強い興味が無い。でも結構賢治ファンっているんだよね。

賢治文学の愛好者のほとんどは、日蓮主義の信仰など持っていないので、賢治の法華信仰や国柱会とのかかわりを無視しようとする。

著者は、賢治文学を法華文学と喝破するけれど、そりゃまあ、反発はあるだろうね。でもなあ、雨ニモマケズの原文を見るとちょっとドン引き感あるんだよね。

八紘一宇ということばは、『日本書紀』から導き出されてきたものではあるが、その背景には、天皇を戴き、法華経によって世界を統合するという智学の本門戒壇論があったのである。

法華経によって世界を統合するとはなかなかにラディカルな思想だ。っていうか、法華経にそんな大胆な野望があったとは、ついぞ知らなかった。

石原(莞爾)のなかには、『戦争史大観』や『最終戦争論』にも示されたように、日米決戦を経ての世界統一というビジョンがあった。それは、智学の八紘一宇の考え方を基盤としたものであった。

とまあ、八紘一宇はこういう大それた発想と地続きになっている。よって三原じゅん子議員はこの用語を使ったのだけれど、果たしてどういう意図があったのか未だによく分からない。どうにもこういう背景を理解して使ったようには思えないのだけれど。

鎌倉時代には、日蓮以外に、法然親鸞、一遍、あるいは栄西道元があらわれ、その教えをもとに、のちには宗派が形成されることになるが、国家ということを視野におさめていた宗教家は日蓮だけである。(中略)その意味で、国家ということが問題になった近代において、日蓮に注目が集まったのも必然的なことであった。

小説『親鸞』を読んだことがあって、親鸞悪人正機説の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」のことは理解したつもりになっていた。そう、確かに浄土真宗は個人の救済の話だった。今でこそ親鸞に人気があるが、近代は日蓮の人気が高かったらしい。

田中智学の国柱会、そして繋がる血盟団事件。さらには二二六事件などの暗殺政治の時代。個人的にはこの頃の日本のことに興味がある。なぜそんなに強く惹かれるのか自分でも分かっていないんだけれど。

今の時代が当時と共通点があるとか類似しているとかそういう理由ではない。むしろその頃のことについて学校で学んだこともなければ、あんまりドラマや映画でも取り上げられない(と思う)。

もうちょっと違う本を読んで、ゆっくりと考えてみたい。

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(感想文の感想など)

その後、八紘一宇はたいして話題にはなっていない。

一方で、この言葉に強く忌避感を抱く方もいるようだ。