※2018年2月23日のYahoo!ブログを再掲
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2017年11月末にフィンランドに出張することになった。今年はこれで海外出張2回目だ。とはいえ、これでしばらくは海外に出張することはないと思う。たぶん。
なぜフィンランドなのかという問いに対しては、小国でありながらイノベーション大国であるから、ということに尽きる。また、私にとってはこれまで渡航したことのない国なので、事前に色々と調べておこうと考え、本書を読むに至った。イスラエルを知るための60章(感想文17-14)をイスラエルに行く前に読んだように。このシリーズはわりと参考になるんだよね。
他の北欧諸国が中世にはすでに国家を形成していたのにたいしてフィンランドが独立を宣言したのは1917年のことである(中略)古いことにいたずらに拘らない体質をフィンランがもっている(中略)生じてくるどのような現実にも、逃げずに立ち向かうという生き方と表裏一体をなしている(p.12)
2017年はフィンランドにとって記念すべき建国100周年なのだ。1917年生まれの有名人は、澤村榮治、シドニィ・シェルダン、ジョン・F・ケネディ、トニー谷。意外と最近まで生きている方が多い。100年前ってそこまで過去という感じではないんだな。
若い国だからこそ、歴史というものに拘りはなく、リアリスティックに生きている。フィンランド人の多くは親切で、異国から来た私たちに優しく接してくれた。
フィンランドの国土が相対的に農業には適さず、農民の多くが、農耕とともに森林からの恵みに頼ってきた(中略)狩猟もまた森のめぐみのうちであった。(p.16)
今回の目的地はヘルシンキだった。北緯は何と60度。東京は35度、札幌で43度なので、とんでもない北の方だということが分かる。実際の11月末のヘルシンキは既にかなり寒かった。甘く見ていた。
日照時間は短く、暗く、寒い。農作物が豊富に採れるというわけではない。トナカイの肉にベリー系の酸味の強いジャムを付けて食べたがの、フィンランドの伝統料理だった。野性味があり滋味がありエネルギッシュな料理だった。
フィンランドでは自国を「東と西の間」と位置づけ、東のロシア、西のスウェーデンの間で翻弄されてきた事実をしばしば強調してきた。(p.49)
今回の渡航に先立ち、改めて世界地図を眺めるとその国のことがわかる。確かにスウェーデンとロシアに挟まれ、そして国土の多くが人が住むのに適していない環境にある。共産圏とも近いために北欧の東欧とも呼ばれていた。しかし、1995年にEUに加盟し、ヨーロッパの中のフィンランドの位置づけへと変わっている。EUから脱退したイギリスよりもヨーロッパ的な国なのだ。
フィンランドは、小国が単独で豊かさを実現する社会を築くことは難しいことを理解している。(中略)優秀な「人材」の育成と機会均等に基づいた自由競争の原則の下、高い国際的競争力を維持しつつ、国民全体が豊かさを実感できる北欧的福祉社会を守ることの必要性について政官財を問わず明確な国内的コンセンサスが存在することが、フィンランド経済の最大の財産であり、強みであるといえよう。(p.172)
フィンランドは人口わずか550万人の小国である。人口で言えば埼玉県よりも小さい。小国であり歴史が短いからこそコンセンサスが取れやすいのかもしれない。寒く凍てついた国は、激しい国際競争の中で生き抜く術を必死で考えている。
短い期間であったが、私はフィンランドという国を訪れ、そして好きになったようだ。もう少し暖かい時期に再訪したい。
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(感想文の感想など)
今となってはフィンランド楽しかった思い出しかない。まあ、確かに寒かったし、アル中が多いので簡単にお酒を買えないのは不便だったけれど。
暖かい時期の再訪はいつになることやら。