40代ロスジェネの明るいブログ

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感想文15-27:反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体

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※2015年7月23日のYahoo!ブログを再掲

 

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大格差(感想文15-20)で登場した反知性主義なる用語。知性的でないことを主張するクレイジー原理主義者かというと、そういう話ではない。アメリカを語る上で、欠かせない側面として反知性主義がある。

もともと高度に知を偏重する社会であったからこそ、それに対する反動として、信仰復興運動が起こり、それに付随して強烈な反知性主義も生まれた、というわけである。

反知性主義に関わるキーワードの一つが信仰復興運動(リバイバルだ。私はそもそもキリスト教に疎い。それでも最低限の知識として、

ルターがカソリック宗教改革(1500年代始め)

プロテスタント登場

アメリカへ移民(1600年代始め)

ピューリタン革命(1600年代半ば)

ボストン・ティー・パーティー事件(1773年)

ざっとくらいのことは理解している。

とにかく理解し難い国であるアメリカ(アメリカからすると日本は分かりにくいだろうけれど)について、宗教的な側面から論考している本を初めて読んだ。

ということで、初めて知ったこともたくさんあるので、挙げておこう。

「ピューリタニズム」とは、もともとイギリスでヘンリー8世の結婚問題を機に起きた中途半端な宗教改革に飽きたらない人びとが、教会のさらなる純化(ピュア化)を求めて始めた運動だった。

ピューリタンという響きが素敵な感じがするので、中身を知らないけれど、その名称は記憶されている。語源はピュアからくる言葉なのか。

反知性主義の原点とは、要するにひとことで言うと、このぴちぴちとしたコーラルダンサーが振りまく魅力であり、その若い娘たちに見とれている亭主の心持ちなのである。

ぴちぴちとしたコーラルダンサーとは、リバイバリストによる巡回説教のこと。小難しいキリスト教の教義よりも、エンタメ性の高い説法の方がはるかに面白い。これが反知性主義の原点になる。

キリスト教の信仰では、「生まれながらのクリスチャン」というのは一人もいない。(中略)人は人生のいつかに洗礼を受けて、はじめてキリスト教徒になるのである。

そういえば、ずいぶん昔に教会で結婚式を挙げようとしたら、洗礼を受けないといけないと言われたことがある。考えた末、面倒なので、別のもっとビジネスライクな教会風結婚式場で挙式することにした。洗礼というのは、キリスト教徒にとって重要な儀式なんだな。良かった気軽に受けなくて…。

フィニーがリバイバルを立派な職業に仕立てあげたと言えるなら、ムーディはそれを巨大なビジネスにしたと言うことができる。

チャールズ・フィニー(1792-1875)とドワイト・ライマン・ムーディー(1837-1899)のこと。キリスト教までもビジネスにするあたりがアメリカっぽい。

権力の自己増殖を防ぐことは、反知性主義の使命である。この使命感をもっともよく表現するのが、政権交代ごとに公務員を入れ替える猟官制(スポイルズ・システム)の導入だった。

猟官制のことは知っていたけれど、それが反知性主義を背景にしているとは知らなかった。なるほど。合点がいった。

かつてトクヴィルは、アメリカ的な宗教の特色として、宗教と現世的な利益との直接的な結びつきを指摘した。(中略)アメリカ人は、利益に引かれて宗教に従うが、その利益を来世ではなく徹底して現世に求めるのである。そこに反知性主義の息づく空間が広がっている。

徹底的に現世で利益を求める。だからこそキリスト教はビジネスになるし、そこに反知性主義が根付く。

反知性主義は、知性そのものに対する反感ではない。知性が世襲的な特権階級だけの独占的な所有物になることへの反感である。

反知性主義は、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。

そのあたりがヨーロッパと異なる点だ。むしろ、ヨーロッパへの反感から反知性主義が生まれている。

オバマ大統領はさておき、歴代のアメリカ大統領はインテリっぽくないという印象だ。知性と権力の固定的な結びつきを嫌がるので、頭はとびきり良いわけではないけれど、人情味があったり、軍隊で活躍経験のあるマッチョな人が大統領(あるいは候補)になったりする。

ラディカルな平等主義こそ、本書が追求する「反知性主義」の主成分なのである。

リバイバル奴隷解放や男女平等へとつながるのだけれど、そこに底流するのはラディカルな平等主義だ。そのくせ、現代のアメリカには激烈な格差も同時に存在するのだけれど。

やはり宗教のことはよく分からない。キリスト教がピンとこない。結果、アメリカのこともなんだかすっきりしない。もやもやしながら、のんびり考えることにしよう。

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(感想文の感想など)

2016年11月8日にアメリカ合衆国大統領選挙一般投票で、ドナルド・トランプは勝利した。まさかのトランプかよということでこの時に反知性主義という言葉が多く使われた。

アメリカが生んだ「熱病」である反知性主義がトランプ熱狂を引き起こした、という分析は果たして正しいのだろうか。

東京都に住んで15年くらいだろうか。都知事選の候補者ってこんなに多くて、こんなに質が低かったかしらと驚かされた。これは反知性主義の蔓延ではなく、都知事選が自分を目立たせる宣伝方法としては格安だったというだけではなかろうか。

大手メディアは取り上げなくても、炎上含めてウェブニュースやSNSで話題になり、主張も当落も関係なく、政見放送で好き勝手に喋り、動き、騒ぎ、一部の音声が消される。真面目な候補者の存在がキワモノぶりを目立たせ陰影を濃くする。

間違ってそんな人が当選すればそれはもう熱狂が起きてしまい、後付で反知性主義とかポピュリズムだとか名付けられてしまう。

やっぱり選挙制度そのものがおかしいんじゃないの。反知性主義どうこうではなく。