40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-30:ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀

f:id:sky-and-heart:20200723092338j:plain


まず最初に書いておきたい。本書はたくさんの知的な刺激を与えてくれる素晴らしい一冊であり、多くの示唆に富んでいる。あえて極端に言えば、右派の自由主義と左派の社会主義虚数軸にあるポピュリズムの3つくらいしか政治的選択肢のない絶望的な現状に、わずかに希望を抱かせてくれる。

そもそも私は家と車と生命保険を買わない主義(かつそれを表明している)であり、ミニマリストではないけれど、高級なモノは買わない。脱・私有財産という考え方は私にとって魅力的であり、かつ同調できそうなので、気になって読んでみたのだ。

監訳者の安田洋祐先生の解説にあるとおり、

現在の資本主義が抱える問題として特に深刻なのは、経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きていることだろう。著者たちが「スタグネクオリティ」と呼ぶ問題である。こうした中で、一部の富裕層に過剰なまでに富が集中する経済格差の問題を見過ごせない、と考える経済学者も増えてきた。ただし、著者たちのように、私有財産という資本主義のルールそのものに疑いの目を向ける主流派経済学者はまだほとんどいない。(p.422)

本書では、資本主義の根幹をなすルールである私有財産からの脱却を主張している。驚愕であると同時に目からウロコだ。要するに私有財産は独占であるという当たり前といえば当たり前の主張であり、だからもう私有財産制はやめにしませんかと言っているのだ。

それって最近流行りのシェアリング・エコノミーですかというと、たしかにそういう側面もあるかもしれないが、仕組みはタイトルのとおりもっとラディカル(過激)なのだ。

われわれが思い描くラディカル・マーケットとは、市場を通した資源の配分(競争による規律が働き、すべての人に開かれた自由交換)という基本原理が十分に働くようになる制度的な取り決めである。オークションはまさしくラディカル・マーケットだ。(p.25)

ということで、すべての財産をオークションにかけるというのが提言の根幹だ。例えば、シェアサイクルサービスをよく見かけるようになってきたが、その自転車はシェアサイクルサービスを提供する会社に所有権がある。その自転車を乗っても所有権はもちろん移転しない。

一方で本書の共同所有自己申告税(common ownership self-assessed tax=COST)という仕組みは、自分が持っている自転車に財産評価を自己申告して、一定割合の税金を支払う。より高い評価額を提示した人が現れたら所有権が移転する、というものだ。例えば、我が家の電動自転車(10年前に12万円で購入)に3万円の財産価値で自己申告したら、年に10%の税金で3000円取られる。5万円でほしいという人が現れれば、自転車はなくなるが手元に5万円が残る。その自転車により高い価値を見出す人に、行き渡るので経済学的には互いにハッピーな取引きということになる。

面白いのが、所有できない仕組みになっていることだ。高級品は持ってないと言っておきながら、よくよく考えてみると、ミラーレスの一眼レフカメラソーダマシン、ホームベーカリーなど、ほぼほぼ有休状態にある資産がいくつかある。メルカリで売っぱらえば良いのだけれど、日々の生活に追われてという言い訳っていうか怠慢で、無駄に退蔵していて、何の価値も生み出していない。

高い価値を見出している人に適切に所有権が移転されるような仕組みが達成されれば、経済は素晴らしく好転していくだろう。そしてそんな仕組みを実現できるテクノロジーがそろそろ実装できるかもしれない。

本書では先ほど紹介した「財産制度とCOST」だけでなく、「Quadratic Voting(QV)による民主主義の実現」、「個人間ビザ制度(Visas Between Individuals Program)による移民の活用」、「機関投資家による株式の所有制限による市場支配からの開放」、「データ労働者の組合による買い手独占への対抗」など物凄くワクワクする新たな制度のアイデアがたくさん示されている。

法律と経済はパラダイム転換の起きそうにない領域に思っている方も多いかもしれない。格差の拡大と経済成長の鈍化が世界的に同時に起き、テロとデモの区別のつかない社会運動が多発している現状は絶望的で、経済学あるいは経済成長という神話の終焉を想起させるが、そうではないのだ。

本書は、需要と供給、税、外部性、公共財、下限・上限規制、独占といった古典的な経済学の考え方をベースにしつつ、オークション、メカニズムデザイン、行動経済学など個々人の取引きとその制度に焦点を当て、新たな経済学の展開をさらに押し広げた知的貢献の結晶である。

最先端の経済学者の思考が垣間見れ、しなやかで重厚な知の営みを非常に分かりやすく味わうことができる。本書の内容はそこまで難しくはないものの、それでもちゃんとミクロ経済学を勉強してからチャレンジすることをオススメする。自称専門家が流布する経済予測や悲観論や楽観論や政策提言、ポピュリズム政党や政治家の思いつき&言いっぱなしマニフェストとは一線を画すどころか雲泥の差があり、本当に真に市場の仕組みを疑い考え抜いたアイデアの数々には脱帽するばかりだ。

もちろん今のところこれらのアイデアは実現される見通しはない。だが、自由主義経済かベーシック・インカムかといった単純化されすぎた構図と両陣営の不毛な論争はもう終わりにしたい。あるいは経済成長を追い求めるのか、経済の停滞を享受していくかというのももうやめよう。2つの極端な未来の間に不時着するほかないような幻想はもう捨てよう。

まだまだ人類は試していない制度があるし、アローの不可能性定理で選挙の意味はほぼないやんけと立証されているのにも関わらず未だにオンライン投票すら実現していない仕組みを根底から変えることも試していない。

悪いのは何か。独占なのだ。私有財産も、1人1票という選挙制度も、国家の移民コントロールも、機関投資家の経営陣へのちょっかいも、GAMFAによるプラットフォームビジネス(書い手独占)も悪なのだ。

その独占的支配を解き放つと、あらら不思議、生産性は上がり、経済は成長し、なおかつ格差は小さくなる。なんだ、素晴らしい未来は見えているじゃないか。

反知性主義(感想文15-27)ポピュリズム自国第一主義、格差の拡大と対立など、未来社会が暗くなるばかりのヒトという種族の残虐性と身勝手さにすっかり失望していたのだが、そこにほんの少し明かりが灯った気がした。