毎年、家族で奄美大島に行っている。かれこれ7回行ったのだろうか。すっかり奄美の魅力に虜になっている。
今年はコロナ禍で行けなかったので、少しは奄美っぽい気持ちになりたいと思い、読んでみたのが本書である。
田中一村(1908-1977)の知名度はどれくらいだろうか。ウィキペディアの解説では、
50歳で単身奄美大島に移住。奄美の自然を愛し、亜熱帯の植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描き、独特の世界を作り上げた
とある。
同い年生まれは、モーリス・メルロー=ポンティ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、井深大、東山魁夷、クロード・レヴィ=ストロース。明治に生まれ、太平洋戦争を経て、戦後に活動した画家である。
奄美空港からほど近い、奄美パークの敷地内に田中一村記念美術館がある。同パークは2001年に開園し、奄美大島に訪れた人であれば皆、訪れるであろう観光スポットだ。
奄美大島に行ったことのある人なら、田中一村の名前とその作品群を記憶しているだろう。しかし、彼の生涯について本書を読むまで私はあまり知らなかった。
正確には、アウトサイダー・アート入門(感想文16-06)で田中一村についての言及があった。
ここだけ切り取ると田中一村の創作活動とハンセン病療養施設との関係が非常に濃密だったように思えるが、そうではない。ハンセン病強制隔離に抗した小笠原登(1888-1970)医師と共同生活したのはわずか半年間であり、たしかにハンセン病患者との接点やきずなは確かに存在したが、画家としての田中一村に強い影響を与えたとは、本書では読み取れなかった。
さて、そもそも田中一村の絵を見たことがあったが、画家の人生を知らなかった私の認識は、奄美大島で新たな画風を見つけたが、それが生前に評価されることはなく、不遇のまま貧しく亡くなり、死後に再評価されるようになった、的な薄っぺらいものだった。
そもそも、一人の人間の人生をそんなに簡単に144字くらいでまとめられるものではない。また、250ページくらいある本書だけですべてを描けるわけではない。
画家の生涯といえば、クリムト(感想文09-38)、アルブレヒト・デューラー(感想文09-47)があったが、その時代背景、人間関係、個性と執着など、生まれた作品の背景を知っていくと面白い。当然、作品と作者は分けて考えるべきだという意見もあろうが、作品を作品たらしめるのは作者の経験や生き様で、そこにお涙頂戴的要素は余計だろうが、特に絶望や挫折や苦悩を知ることが、作品への理解をより深いものにしてくれる、と信じたい。
さて、私の田中一村への理解で大きく間違っていたことは、そもそも田中一村は芸術界のエリート的存在だった。父の彌吉は彫刻家であり、彫刻界の大家である加納鐵哉(1845-1925)に師事していた。
そして、1926年に東京美術学校(現・東京芸大)日本画科に入学し、同期に東山魁夷らがいる。しかし、わずか3ヶ月で退学してしまう。南画(水墨画がひとつ)を得意とした一村に居場所がなかった、あるいは困窮した家族の生活のため、なのかその辺ははっきりとはしない。
その後、生活のために絵を描くが、太平洋戦争を経て、日本は敗戦し、世情が変わっていく。そもそも南画どころか日本画の人気が陰っていく。あるいは、新たな日本画の境地の模索が混迷を深めていく。
東京美術学校の同期たちは、評価され、華やかな画家人生を歩んでいくが、一村は展覧会に落選し、絶望を深め、そして50歳になり奄美へと単身で渡ることになる。
昭和28年、それまでアメリカの占領下にあった奄美大島が、沖縄に先がけて日本本土に復帰した。前島民が団結し、99.8%の署名をもって国を動かすに至ったという記念すべきその日は12月25日であった。復帰から5年後の昭和33年12月に、日本画家・田中一村は奄美に渡る。(p.12)
千葉から長い船旅を経て、奄美にたどり着き、そこで受け入れられ、絵を描く。奄美に着いてからも順風満帆とは言い難いがそれでも新たな絵を切り拓いていく。
一村の作品が、今なぜ人びとの心を魅きつけるのか、本当のところはわからない。50歳という年齢で決断した奄美行、友人たちの華やぎを横目に、あくまでも自身の納得する絵を追求した生き方が心をうつのであろう。しかし、それとは別に、作品のもつ魅力、それはひたすらな創作活動から醸成される魔力とでもいうべきもの、そうとしかいえないものがある。(p.250)
私も初めて田中一村の絵を見たときに心をうつものがあった。大胆な構図、イラスト的なフラットさ、しかしながら和を感じさせる独特さ。アカショウビン、アダンの木、ガジュマル、ソテツ、熱帯魚や大きなエビなど、奄美大島で見かける情景が、見事に映し出されている。
奄美大島に行った当初は、ガイドさんから動植物について説明を受けた。なるほどと思いながら、本土にはない植生や生態系に触れて、いい経験ができたなくらいに感じていた。
しかし、田中一村の絵を見て思い知らされた。直接自分の目で動植物を見ておきながら、全くそれらをきちんと観察していなかったのだ。珍しいな、初めて見たな、くらいのことで、真に向き合っていなかった。何をそんな大げさなと思うかもしれないが、結局、普段から見るということをほとんど意識していないのだ。
だからこそ、人生のすべてを懸けて描いた一村の絵に釘付けになる。同じ動植物を実際に見たのに、写真にも収めたのに、全く見ていないことを恥じ入る。長い時間をかけて研ぎ澄まされたいった観察眼と絵画スキル。田中一村という画家が生みだした作品に強く魅かれていく。